神智の導き -聖女候補と魔族の城を巡る冒険-
わかば あき
第1話 少女との出会い
その日、おれはいつものように深夜まで魔導書の解読をしていた。
ネズミの穴みたいな狭苦しい部屋。
そこへどうにか机と棚をならべ、さらに大量の書物を詰め込んであるから、ほとんど身動きもできない。
凝った背中を伸ばしたかったら、廊下に出るしかなかった。
三十六ページ目の解読を終えると、おれは一休みすることにした。
床に積み上げた本を崩さないよう、慎重に机を離れて部屋を出る。
外の廊下は広々としていた。三階分の高さがある天井には、青白い魔法灯が設置されていて、あたりをぼんやり照らしている。
おれの他に人の気配はなく、廊下の奥にはしんと静まりかえった闇だけが広がっていた。
ここは王都の中心にある魔術院だった。
古代魔術王国時代の魔法を研究し、現在に蘇らせるための施設だ。
石造りの重厚かつ荘厳な建造物で、王国の権威の象徴のひとつだった。
おれはここで魔術研究員として働いていた。
といっても、おれは魔法を使えるわけじゃない。
この世界で魔法を使えるのは、生まれつき資質を持ったほんの一握りの人間だけだ。
おれはそんな魔術師たちに奉仕している立場だった。
魔術王国時代に書かれた書物は、すべて古代語で書かれている。
それを解読して現在の言葉に直すのが、おれたち魔術研究員の仕事だ。
難解な理論をもとに書かれた書物は、ただ翻訳するだけでも大変だ。しかも、場合によってはわかりやすく意訳する必要もある。
だから、魔術研究員は実際に魔法を使う魔術師たち以上に、魔法理論に精通していることもあった。
もっとも、おれ自身の立場は決して高いものじゃない。
魔術研究員は三つのランクに分けられていて、そのうちの一番下の三級研究員だからだ。
しかも、どれだけ功績を積み重ねても、ランクが上がる見込みはゼロだ。
なぜなら、このランクは能力じゃなく、出自によって決まっているからだ。
そう、おれみたいな下層市民は、どうあがいたって三級以上にはなれなかった。
だけど、今更そんなことに不満をもったりはしない。
それよりも、下層市民でありながら魔術に関わる仕事につけたことを感謝していた。
おれは厨房まで行って、瓶の水を一杯飲んだ。
それから、もうひとがんばりするために、自分の部屋に引き返す。
そのときだった。
廊下の向こうの闇のなかで、何か白いものがひらひらと動くのが見えた。
おれはぞっとして立ち止まった。
古代魔術王国時代の亡霊がときどき建物のなかを歩き回っている。
そんな噂はよく聞いた。
でも、おれはまだ一度もそんなものを見たことがなかったから、ただの作り話だと思っていた。
(まさか、本当だったのか……?)
廊下の柱の陰にかくれて、おれはそっと様子をうかがった。
さっきまでひらひら動いていた白いものは、今はじっとしていた。
よく見れば、それは亡霊じゃなく、白いローブを羽織った人間だった。
(まったく、驚かせるなよ)
おれはほっとした。
しかし、こんな真夜中に、いったいだれがうろついているんだろう。
(……あれは、聖堂の?)
その白いローブの模様に見覚えがあることに気づいた。
魔術院の隣には、聖堂が建っている。
この王国の宗教的な象徴である聖女が住んでいる建物だ。
聖女は国王以上に、民衆から愛され敬われていた。
その聖女につかえる侍女が身につけるローブに間違いない。
(だけど、どうして聖女さまの侍女がこんなところにいるんだろう)
魔術院も聖堂も、古代魔術王国の遺跡を利用して建てられている。
だから、ところどころに二つの建物をつなぐ通路があった。
(まあ、何にしても下手にかかわらない方がいいだろうな)
おれは知らん顔をして横を通り過ぎることにした。
柱の陰から出ると、すたすた早足で歩く。
侍女が人の気配に驚いたように、こっちを振り返る。
おれは目が合わないようにうつむきながら、無言で一礼して、その横を通りすぎた。
「あの、ちょっとよろしいですか……」
そう呼びとめられて、おれはぎくりとした。
しかたなく、立ち止まって振り返る。
「わたくしに何か御用でしょうか」
おれはできるだけうやうやしく言った。
「あなたは、魔術院の方でしょうか?」
侍女がたずねてくる。
「さようでございます」
「それでは、聖堂につうじる通路もご存じですか?」
「もちろんでございます」
「でしたら……あの、ご迷惑かと思いますが、わたしをそこまで案内していただけないでしょうか」
侍女は遠慮がちな声で言った。
そこでおれは初めて目を上げて、相手の顔を見た。
思わず息をのんでしまう。
彼女は十四、五歳くらいに見えた。
あどけなさと凜々しさがいりまじった繊細な顔立ち。
肌は透けるような白さで、背中まで伸びた髪は銀色に近い金髪だった。
そして、彼女の大きな瞳は、吸い込まれるような深い碧色だった。
「あの……?」
彼女は不思議そうに首をかしげた。
「し、失礼いたしました」
おれは慌てて言った。
どうやらつい彼女に見とれてしまっていたようだ。
「聖堂へ通じる通路でしたね? では、ご案内しましょう」
「ありがとうございます」
彼女はぺこりと頭を下げた。美しい髪がさらさらと垂れ落ちる。
おれは彼女を案内して通路を歩き出した。
緊張していたせいだろう。おれはつい早足になってしまった。
しばらく進んでから、ふと気づいて振り返ると、彼女はかなり後ろを歩いていた。一生懸命歩いても、全然追いつけないみたいだ。
おれは慌てて足を止め、彼女を待った。
「すみません。わたし、足が遅くて」
彼女は少し息をはずませながら言う。
「とんでもございません。わたくしの方こそ、気遣いが足らず、もうしわけございません」
「そんな、謝らないでください」
そう言ってから、彼女は少しためらいがちに、
「それと、そのような丁重な口のききかたをなさらなくて結構ですよ。あなたの方が、わたしよりずっと年上なのですから」
「はあ……」
そう言われても、まさか聖女さまの侍女に気さくに話しかけるわけにもいかない。
だけど、馬鹿丁寧な言葉遣いをするのはやめることにした。
(それにしても、この子は何者なんだろう)
おれは不思議に思った。
聖女の侍女は、建前上は、聖女の資質を持った少女が選ばれることになっている。
そして、侍女たちのなかから、次代の聖女が選ばれるんだ。
だけど、実際のところは、貴族たちが自分の娘に箔をつけさせるため、裏で工作して聖堂に送り込むケースがほとんどだと聞いている。
だから、侍女たちは、うわべは慎ましく心優しそうに見えても、その本性はわがままで傲慢な者ばかりだった。
それなのに、目の前の少女は、いかにも素直で礼儀正しく見えた。
(……まあ、おれには関係ないことだけど)
それから、おれたちはいくつかの階段を上り、さらに通路を進んでいった。
「この建物は、まるで迷路みたいですね」
彼女が言った。
「建物の構造は、そんなに複雑でもないんです。ただ、同じような見た目の場所ばかりだから、慣れない人は迷ってしまうんでしょうね」
おれはそう言ってから、ふと気づいた。
「……もしかして、さっきあんなところにいたのは、道に迷ったからなんですか?」
「はい、じつはそうなんです」
彼女は気恥ずかしそうにうなずいて、
「わたし、今夜がはじめての宿直でして……」
と事情を説明しはじめた。
その話によると、侍女たちの役目のひとつに、聖女の寝所の隣室で朝まで待機するというものがあるらしい。
二人一組で部屋に詰め、深夜になにか聖女から命じられるようなことがあれば、ただちに応じなければならないそうだ。
「明日の朝、聖女様がお花にあげる水を用意しておくようにと言われて、中庭の井戸へ行こうとしたんですが、どこかで道を間違えて……お恥ずかしいです」
「いえ、わたしだって、ここに来たばかりのころは何度も迷子になりましたよ」
「本当ですか?」
「ええ。ですから、こんな地図まで作って、道を覚えたんです」
おれは懐から手帳を取り出した。そして、ページの間に挟んであった、折りたたんだ紙を取り出す。
紙を広げると、そこには詳細な魔術院の見取り図があらわれる。
「まあ、すごい。これは、あなたがお作りになったのですか?」
「そうです」
彼女にほめられて、おれは照れくさかった。
「あの……よかったら、この地図を差し上げますよ。これがあれば、もう迷子になることもないでしょうから」
「そんな、こんな大事なもの、いただけません」
「いいんです。もうわたしには必要の無いものですから」
「でも……」
「さあ、どうぞ」
おれが地図をたたみ直して差し出すと、彼女はおずおずと受け取った。
「ありがとうございます。わたし、大切にします」
彼女はじっとおれを見つめて言った。
おれは嬉しかった。彼女なら、きっと本当に地図を大切にしてくれるような気がした。
もっといろいろなことを話したかったけど、残念ながら目的のドアに着いてしまった。
「さあ、この先が聖堂とつながる廊下になっています」
「ご親切に、ありがとうございました」
そう言って、彼女は深々と頭を下げた。
おれは彼女のためにドアを開けた。
その先は屋根つきの渡り廊下になっている。建物の五階同士をつないでいるから、手すりの向こう側をのぞきこめば目もくらむような高さだろう。
彼女は渡り廊下に出て、歩き始めた。
が、数歩進んだところで立ち止まって振り返る。
「どうしたんです?」
「あの……わたし、クレールといいます。あなたのお名前を聞かせてもらっていいですか?」
「……マサキです。マサキ・カーランド」
「マサキさま、ですね」
クレールは嬉しそうにおれの名前を口にすると、
「それでは、失礼します」
と一礼して、今度こそ去っていった。
おれは彼女が長い廊下を渡り、反対側の建物の中に消えていくまで見送った。
彼女の姿が見えなくなると、おれは大きくため息を吐いた。
なんだか、夢でも見ていたような気分だった。
目を閉じると、彼女の美しい姿が浮かんでくる。
(……馬鹿な話だな)
おれは自嘲した。
まさか、初めて会った少女に、心を奪われてしまうなんて。
しかも、おれと彼女の身分差を考えれば、もう二度と会うことはできないはずだ。
おれは胸を締めつけられるような気分のまま、ドアを閉め、来た道を引き返した。
自分の部屋に戻っても、もう仕事は手につかなかった。
ずっとクレールのことばかりを考えてしまう。
おれは仕事を諦め、ランプを消して部屋を出た。
とぼとぼ廊下を歩いて、裏門に向かう。
魔術院を出てすぐの場所に、おれたち三級研究員の宿舎があった。
古くて、いつもカビ臭い空気がただよっている陰気くさい建物だが、安全だし、なにより無料だった。
おれは自分の部屋に帰ると、すぐにベッドに横たわった。
せめて、夢のなかで彼女に会いたいと願った。
まさか、その数日後にふたたび彼女に会えるとは思いもせずに。
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