第5話 天使の嘘

 次の日から、紫苑は出来る限り華恋と行動を共にした。

 放課後、そのまま家に帰るのも無粋なので、クレープを食べに行ったり、カフェに行ったりとさながら恋仲の様な日々を過ごして約一週間たったある日、件から招集がかかった。


「久々だね、赤羽さん。どうだった、しののんとのカップル体験は」

「もしそれが目的だったならぶっ殺すわよ」

「これこれ、物騒な言葉を女子が使うもんじゃないよ。ちゃんとしののんから報告は受けてるし、ある程度当たりはついてるから」

「本当?」


 その声音は隠していても明るく跳ねていた。


「あぁ、とりあえず、君がまがいの被害に遭っていることは間違い無いだろう。その上でまず初めに、出会ったまがいの名を伝えておこうと思う」


 その言葉に華恋は固唾を呑む。件はもったいつけるように深呼吸した。


「その名もフィリング・デビル。西洋に伝わる悪魔の一種さ。とは言っても、悪魔にしては下の下。人間の視覚を弄れるがその目的はただの悪戯、飽きれば他の人間に取り憑くような下級の悪魔だよ」


 そう言って、件は晴れやかに笑う。彼女を不安にさせることのないように。


「それじゃあ、ほっとけば治るってこと?」

「あぁ、今はまだ目が霞むかもしれないけど、一過性のものさ。直に、また前の視力に戻るよ」


 拍子抜けしたように彼女は胸を撫で下ろした。変に気張っていたが、それが不意に終わり、安心感がどっと押し寄せたのだった。


「……そう。良かった」


 だが、言葉とは反対に彼女の瞳はまだ少し揺れていた。


「じゃあ、オカ研の入部の件だけど、まだ信用できないかもしれないし、視力が戻ってから続きをしようか。それじゃあ、その時またここに来てくれるかな」

「えぇ、分かったわ」


 そうして、華恋は席を立ち、オカ研の部室を去っていた。紫苑はそれを注意深く見守り、自分たちの話し声が聞こえなくなる距離まで、彼女の姿が小さくなった所で、件に問うた。


「これでいいのか?」


 取り調べの刑事さながら低く問い詰めるような声だ。


「いいさ」

「分かってるのか?」

「何を?」


 問い返された紫苑は逆に言葉を詰まらせた。頭の中で言葉を選んで続きを紡ぐ。


「……人を一人殺すということだぞ」


 その言葉に件の顔が強張った。


「それでもだ。その方が彼女の為だ」

「それはお前が決めることじゃない」

「ならどうしろと?」


 その声は明らかに苛立っていた。件も未だ迷っているのだ。自分の下した決断が果たして正しかったのかどうか。


「……全員を幸せにすることはできない。だけど、不幸だと悟らせなければ誰も不幸にはならない。僕の信条の一つさ」


 件は語る。だが、それは虚飾である。己の行動を正当化する為の道具に過ぎない。


「馬鹿が」


 吐き捨てるように紫苑も部室を後にした。


「そうしてこれから一生、罪悪感を引きずるお前は不幸じゃないのかよ」



 荷物を取りにクラスまで戻る紫苑だったが、いざ扉を引くとそこには華恋が机に腰掛けて、紫苑が戻って来るのを待っていた。


「どうした? もう、調査は終わったし、別に二人で帰る理由もないんだが」

「そうね。でも、どうせ君には一緒に帰る友達なんていないんでしょ。代わりに美少女が横にいてあげるわ」


 おちゃらけて話す彼女だったが、浮かべる笑みは少し硬い。だが、それには気づかないふりをして彼は課題を出された教科の教科書とノートを鞄に詰めていく。


「そうかい。そりゃ、ありがたい話だ」


 そして、無言。彼も彼女も何も話そうとしない。いつもなら、軽口を言い合ったりするものだが、今日はただ沈黙が彼らの前に横たわった。居心地の悪さにわざと筆箱を鞄に入れたり出したりしてみた。


「ねぇ、何か隠してるでしょ」


 唐突に彼女は語った。紫苑が最も恐れていた言葉が彼女の口からもたらされた。


「君も不知火君も様子がおかしい。何が原因かわからないけど、でも多分、それって私に関係することじゃない?」


 淡々と彼女は綴った。そんな彼女の顔を見ないように彼はただ机の板目を見つめていた。


「そうでしょ。どうにか言ってよ」

「知ってどうするんだ」

「え?」


 紫苑は自分の声が震えているのを感じた。きっと、件に怒鳴りつけてから来たせいもあるのかもしれない。無意識の内に、言葉が苛立ちを含んでいた。


「真実はいつも正しいが、真実を知ることが正しいとは限らない。……件の受け売りだがな。仮に、俺と件がお前に何か隠し立てをしていたとして、それを知って何になる。お前に何ができる」


 荒い語気で彼は言い放った。理不尽な怒りだと紫苑は自分でもそう思う。

 だが、件は悩んだ末に嘘を選び、紫苑は件の決断が正しかったのか懐疑し続けている中で、彼女が安易にその領域に踏み込んで来たことに対して不愉快な気持ちになったことは否定できない。


「それでも、私の問題よ。まがいは人の心の結晶、とあなたたちは言ったわね。ならば、なぜ私の視力が奪われたのか、その原因を知る必要が私にはある。私は、私の心と向き合わなければならないはずだわ」


 そこで、彼は彼女の方を再び向いた。いつになく真剣な瞳がそこにはあった。だが、いくらそんな熱意に当てられても、紫苑には真実を語る為の勇気が出なかった。


「本当にいいのか。これを聞けばもう以前の日常には戻れないぞ。そして、お前は大きな決断を下さなくてはならなくなる」


 それは、あまりの重責に、選択を押し付ける卑怯な言葉だった。


「構わないわ」


 それでも、彼女は自我を通した。そんな彼女に紫苑は気圧された。


「……場所を変えよう」


 酷く澱んだ声で呟く。


「あまりおおっぴらに話す様な内容じゃない」

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