第4話 察知

「それで、小学校の入学式の話なんだけどね」


 母親の話は小一時間経っても未だ終わりが見えなかった。

 既に紅茶はぬるくなり、紫音と華恋が少しずつつまんでいたクッキーもとうとう尽きてしまい、それに飽きた華恋はうとうととうたた寝を始める始末だ。


「すみません。そろそろ帰らないと母に門限を言い渡されているので」


 西日に傾いた太陽に少し目をやり、紫苑は話をたたみにかかった。


「あら、そうね。少し話しすぎちゃったかしら」


 話の終わりを察した華恋は眠気を覚ますように、眼鏡を掛けて立ち上がった。


「じゃあ駅まで送るわ」

「ありがとう」


 二人は身支度を整えて、玄関でローファーを履く。

 先程は彼女の母親と面と向かうのが気恥ずかしくて、さっさと彼女の部屋へと向かってしまったが、よくよく玄関を見てみると家族の集合写真がたくさん飾られていた。


 幼稚園の入園式、小学校の入学式、それから運動会や家族旅行など多くの写真の中には三人の姿が切り取られていた。

 内二人は華恋とその母親、もう一人の背の高い黒髪の男は父親だろうか。決まって、彼らは笑顔をそこに浮かべていた。


 他にも、幼い華恋が庭で転げる様にはしゃいでいる姿が若い金木犀と一緒に撮られた写真などを飾ってあった。絵に描いたような幸せな家族である。

 それを見て、どこか遠く、限りなく遠い夢を眺めるかのような目を紫苑は浮かべた。


「それでは。お邪魔しました」

「また来てね」


 母親は相も変わらず、心底優しそうな笑みで手を振った。それに、押し出されるように玄関を後にする。

 そして、扉を閉めようとした時、彼女はさらに言葉を付け加えた。


「華恋ちゃんをよろしくね」


 紫苑が振り返ると、母親は心からの笑みを浮かべていた。

 だが、同時に気づいてはいけない何か不気味なものを孕んでいる様な気もした。


「はい」


 返したその言葉は無理に明るく繕った。


「強引な母で悪かったわね」


 駅までの家路で、華恋から謝罪があった。


「いいよ、別に。まがい調査以外に予定はなかったし。いい人そうなお母さんじゃないか」

「えぇ、そうね。でも、門限があったんでしょう。なのに、遅くまで付き合わせちゃって」

「あぁ、そのことか」


 紫苑は宙を眺めた。何事かを逡巡している様子だったが、意を決したように言葉を紡いだ。


「あれは嘘だ。俺に両親はいない」


 彼女は大きく目を見開いた。そして、地雷を踏んでしまったかと決まりの悪そうな顔を浮かべる。


「それは、訊いてもいい話?」

「構わないよ。別に隠し立てするようなことじゃない」


 そうして、紫苑は空を見た。斜陽で血の様に真っ赤に焼けた空だ。


「俺が十二の時、両親が亡くなったのだと祖母から連絡を受けた。奥多摩の職場に車で出勤する途中、土砂崩れに巻き込まれたらしい。救急隊員に救出された時には既に息はなかったそうだ」


 あっけらかんと親の死を語る紫苑に華恋は少々面食らう。それほどまでに、両親の死というのは彼にとって日常だった。


「それじゃあ、今は、一人暮らし?」

「あぁ、そうだ。中学までは祖父母とくらしていたがな。幸い、実家が持ち家だったんでなんとかなってるよ。だが、まぁ、正確に言えば、今は家に居候がいるから一人ではないけれど」

「そう」


 彼女は掛けてやる言葉を持ち合わせていなかった。


「だからって訳じゃないが、家族との時間は大切にした方がいい。いつ別れるか分からないというと仰々しいが、少なくともいつ別れても後悔しない程度には」

「そうね。肝に銘じておくわ」


 その言葉はなぜだか深く彼女に突き刺さった。そして、暫し沈黙が彼らにもたらされた。


「……そうだな。腹が減った。飯でも食いに行くか」


 それを紛らす様に紫苑は語り始めた。


「良い提案ね。だけど遠慮しておくわ。乙女は常に食事には気をつけるものなのよ」

「そうか。そりゃ残念だ」


 そんなやり取りを交わしていると、いつの間にか駅前の繁華街を歩いていた。

 北口側は商店街やデパートなどが犇くショッピンクエリアだが、紫苑たちのいる南口方面は居酒屋やラーメン屋などの類の飲食店が多い。

 夕方ということもあって、制服姿の学生がちらほらいるぐらいだが、夜になればさらに活気は増す。今はその夜に向けて、街は眠りに就いている。

 ここから線路沿いにいった高架下近くに紫苑の住む家があった。


「ありがとう。ここまでで大丈夫だ」


 彼はそう言い残すと、返答も聞かずに足早に彼女の元を去った。その後ろ姿に彼女は語りかけた。


「それじゃあ、また明日」


 その言葉に紫音は足を止める。交友関係の希薄な彼にとってそれは久方ぶりに聞いた言葉だった。


「あぁ、また明日」


 振り返らずに、手だけを振ってそれに答えた。



 彼は繁華街を抜け、人混みを抜けたところでポケットからスマートフォンを出した。そのまま、液晶に指を滑らせ、連絡帳からある人物へ電話をかける。

 一コール、二コール、三コール鳴った所でその男は電話に出た。


「やあ、しののん。何か進展はあったかい」

「件、今どこだ」

「家だよ。それがどうかした?」

「ならちょうどいい。今から言うことを調べて欲しい」


 そうして、いくつかキーワードを伝えた。無言の内に件はキーボードを走らせ、電話口からかすかにタイピングの音が漏れ聞こえてきた。

 暫し、タイピングの音が断続するが、やがて何かを見つけたのか、音がピタリと止んだ。

 唖然としたのか言葉は出ず、ただ荒くなっていく件の呼吸のみが聞こえる。


「ねぇ、どうして君はこんなこと思いつくの?」


 どうにか絞り出した言葉がそれだった。例え、推察する材料があったからといって真っ先にこんなことを思いつく者はきっと異常者だろう。


「なんでだろうな。ひねくれもんだからかな」


 紫苑は答えになってない答えを独り言の様に呟く。だが、言葉とは裏腹に真意はもっと別のところにあった。終始、彼女とは似たものをどこかで感じていた。きっと、それ故の結論だった。


「こんなのあんまりだろう」


 件もまた呟く。それから、またタイピングの音が聞こえ始めた。


「僕はもうちょっと色々調べてみる。まだ、到底信じがたいからね。君はその間、引き続き彼女の身辺調査をよろしく頼むよ。」

「了解した」


 そうして、電話を切った。

 顔を上げると、一匹の黒いアゲハ蝶が今にも消え入りそうに目の前を舞っていた。

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