第3話 訪問
「それで、どうして俺とお前がこうして二人並んで通学路を歩いているんだ」
彼らは陽光で白っぽくなったアスファルトの通学路を足取り重く進んでいた。春先でうだるような暑さがあるわけではないが、気怠さが紫苑を支配していた。
「私はあの不知火君が解決に身を乗り出してくれると思っていたのだけれど」
「まぁ、あいつはな。色々あんだよ」
紫苑は何か訳ありげな風に言葉を濁した。華恋がそれ以上、突っ込んでこなかったのが幸いだった。
彼は自転車を押す華恋と横になり、とある場所を目指す。
「それにしてもまだなのか? そこそこ歩いたと思うんだが」
「もう少しよ。そこを曲がれば見えてくるわ」
そう言って曲がった先は、特段語ることもない閑静な住宅街だった。
「あそこが私の家」
そう言って指し示したのは、経年で黒ずんだ白壁にぽっかりくり抜かれた木目調の黄土色の扉。庭には伸びっぱなしの金木犀の若木が青々と生えている。
そして、玄関前には郵便ポストがあり、投函口の下に「赤羽」とあった。
とりあえず話を進めるにも情報が足りないため、紫苑は華恋の実家を訪れに来たのだった。オカ研に彼女が訪れた時に、彼女にはまがいの気配がなく、ならば普段から身を寄せる家に取り憑いているのではないのかという結論に至り、赤羽家を訪れる手筈となった。
しかしながら、業務上とはいえ、彼女の家がいざ自分の視界に収まると動悸がし始めた。
「いいのか? いきなり俺なんかが急に訪ねて」
「構わないわ。母はそういうことを気にしない質だし。寧ろ喜ばれるんじゃない?」
「そういうものだろうか」
紫苑は不安を隠しきれなかったが、そんなことはお構いなしに彼女はさっさと家のインターホンを鳴らしてしまった。
呼び出し音がなり、女性らしい甲高い音が答えると、忙しない音を撒きながら何者かが玄関までやってきて、直に鍵の開錠がもたらされた。
そして、開かれた扉の先にいたのは、華恋と似た顔の女である。紫苑は一目でその女が華恋の母親だと分かった。
母親は、元々の顔のパーツからして童顔であること、肌の手入れを怠ってないのか未だ透明感のある艶があること、それらを総じてみると、ある程度歳は食ってるはずなのに妙に若々しい印象を与える。
また、彼女の髪は華恋よりも赤毛に近い茶髪で、もしかすると外国人とのハーフなのかもしれない。
エプロン姿で勢いよく放った彼女は暫しの静止の後、華恋と同じ朱色の柄の眼鏡の両のレンズが艶かしく光を反射し、その奥の眼球と紫苑の眼球とで視線が交錯した。
「あらあら、華恋ちゃんが家に男の子を連れてくるなんて。お母さんはもう胸が詰まって感動するばかりよ」
「そのくだりもうやったから」
「ここが私の部屋だわ」
そう言って、開けた部屋はまさしく女子の部屋といった風だった。ベッドに白いシーツがかけられ、向かいには簡素なつくりの勉強机がある。
構成自体は別段珍しくもないのに、布団の柄やペン立てに入れられた文房具の数々など、目を凝らしてみるとこの部屋のディティールには女の欠片が見え隠れしているのだ。
「とりあえず、そこにかけて」
そう言って指したのは例の白いベッドであった。シーツに皺をつけないよう彼は軽く腰かけた。
一方、彼女は勉強机の椅子を動かして、彼と向かい合うよう座り、眼鏡を外して机に置いた。赤茶の前髪がふんわりと顔に張り付く。
その隙間から丸みを帯びた目が覗いた。彼女は静止して動かない。ただ、部屋にはシャンプーの甘い匂いが暖かく彼らを包む。
「それで?」
彼女は紫苑を試す様に語りかける。
「まがいとやらの痕跡は見つかった?」
彼女のその言葉に彼はハッとする。当初の目的を失念していた。
「あぁ……いや、ここじゃないな」
「そう」
彼女は失意の声を漏らした。暗い諦観を含んでいて、隠そうとしても落胆の色が滲み出ていた。
「しかし、あとはここしかあり得なかったんだが」
そうして口に出してから、彼は前を向いた。今の言葉は彼女の身に起きた事柄がまがいのせいではないということを示唆するものである。
つまり、一連の出来事はオカルトとは無縁の存在で、ただの勘違いだったという様なことを暗に言っているものなのだ。
彼女を見ると、俯いて黙っていた。忸怩たる思いなのか、察することは出来ないが、バツの悪そうに目線を合わせない様にしていることだけは察することができた。
「いや何、まがいというのは常に世の理の埒外にいるもの。まだ、お前がまがいの被害に会った可能性は十分に——」
「華恋ちゃん。開けるわよ」
そう言って、ノックもなく部屋の扉を開けたのは華恋の母親であった。先程と同じく、彼女はエプロンを掛けていたが、違う点を挙げるならばその手に盆を持っていることだ。
載せられたポットには内側から三本の紅茶のパックの紐が飛び出て、皿には白と焦茶の丸いクッキーが盛り付けられていた。
「この前焼いた自家製クッキーよ。たんと召し上がれ」
その言葉に釣られ、華恋が顔を上げた。紫苑はこういう気遣いは煩わしいと感じる質だったが、今回ばかりはその好意に乗っかることにした。
「お気遣いありがとうございます。娘さんの友達の東雲紫苑という者です。今日は、娘さんに誘われて勉強会に」
胡散臭いオカルト研究会という言葉を出さない方がいいだろうと言葉を選んだ紫苑だったが、始業式当日に勉強会というのもなかなか胡散臭いことに言ってから気づいた。
だが、彼女は特に何も気にする様子はなく、盆をそのまま部屋の小テーブルに置くとそのまま床に腰を下ろした。
「紫苑君ね。私は赤羽陽菜乃。今後とも華恋ちゃんをよろしくね」
そう言いながら、二人分のマグカップに紅茶を注ぎ入れた。渡されると、紫苑は一口含んだ。
「ところで、紫苑君は華恋ちゃんの彼氏?」
紫苑は口を固く噤む。でないと危うく紅茶を吹き出してしまうところだったからだ。
「いえいえ、違いますよ。僕はただのクラスメートです。やましいことは何も」
「そうよ。こんなパッとしなくて、碌に友達もいないような男と付き合うわけないわ」
さっきまで暗い顔をしていた華恋だったが、ここばかりは反論せざるを得なかった。
「あら、碌に友達がいないのに華恋ちゃんとは友達なのね」
「あっ」
気を使って変な嘘を吐いたばかりに、妙な所で揚げ足を取られてしまった。咄嗟に言い返せず、華恋も紫音も黙ってしまい、余計に怪しさが増してしまう。
「まぁまぁ、年頃の男女に物言いするほどお母さんも野暮じゃないわ。……でも、男女の友情は成立しないって言うのが、お母さんの持論よ」
「もう、お母さん!」
揶揄う母親に苛立った様子で華恋は叫んだ。だが、母親は涼しい顔をするばかりだ。
「そろそろ私は戻ろうかしらね。……それじゃ、後はごゆっくり」
そう言って、彼女は立ち上がろうとする。しかし、足を滑らしたのか、よろけて膝を突いた。その拍子に掛けていた朱色の眼鏡を落としてしまった。
「大丈夫ですか」
紫苑は、それを拾い上げて彼女に差し出す。その時、柄の内側に太い黒い線が入っているのを見た。
「……これは」
紫苑は思わず声に出してしまった。それを聞き漏らさなかった彼女は懐かしそうに目を細めた。
「これは昔、華恋ちゃんが車に轢かれそうになったことがあってね。助けに入った時、眼鏡を落として轢かれちゃったの。片方の柄が飛んでいったんだけど、新しいネジで締め直したらくっついたわ。でも、タイヤ痕だけはどうしても消えなくてね」
「新しいのを買わないんですか」
「これは、華恋ちゃんが幼い頃に溜めてたお年玉で買ってくれたものなの。ちょっと度が強くて合ってないけど、それでもずっとつけてたいのよ」
彼女は眼鏡を受け取ると、大切そうに耳に掛けた。紫苑は一連の話を聞いて、考え事をするように俯いた。それから、一度華恋が机に置いた眼鏡を見て、それから母親の方に向き直った。
「娘さんの掛けている眼鏡も似たデザインですが、同じものですか?」
その質問は、紫苑にとって当たり障りのないものだろうと思っての発言だった。
しかし、それを受けた彼女は暫し黙った。否、黙るどころか、完全に生き物としての性質を失ったかのように静止してしまった。
一瞬、無機物さえも蜂起させたが、すぐに魂が戻ってきたかのように呼吸をし始め、口を開いた。
「えぇ、前に同じ物をプレゼントしたわ」
何事も無かったかのように母親は柔らかく微笑む。だが、紫苑は今の間に突っ掛かりを感じざるを得なかった。思考の海に身を投じるように自身の顎をさする。
そんな彼を引き戻したのは母親の声だった。
「それにしても、やたら聞いてくるのね。もしかして、華恋ちゃんを落とす為にまずは私から籠絡して情報を引き出そうとしてる?」
「いえ、そんなことは断じて——」
「仕方ない。その思惑に乗っかってあげましょう。何から聞きたい?」
「いや、だから——」
「まずは、やっぱり華恋ちゃんの幼少期の話よね。あれは幼稚園に通ってた時の話かしら——」
まるで会話が噛み合わず、紫苑は助け舟を求めて華恋の方を見るが、彼女はただ首を横に振るのみだった。
なるほど、こうなると彼女の母親は手がつけられないらしい。ココア味のクッキーに手を伸ばし、紅茶を啜ると、紫苑は観念した。
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