第28話 KEYCHAIN の誕生
岡谷は、麗奈を連れてカラオケボックスに入った。
キーボードを持ち、背中のリュックにはタブレットとノートパソコン、ヘッドホンにメモ帳などが入っている。
昼間のカラオケは安い。岡谷は5時間コースを頼み、部屋を取る。
とりあえずウーロン茶を二杯頼み、荷ほどきをする。
麗奈が興味深そうに見ている。
岡谷は麗奈に言う。
「今日来てもらってありがとう。」
麗奈が食い気味に
「どういたしまして。お誘いありがとうございます。」
という。
コートを脱いだ麗奈は、化粧をしっかり決め,真っ赤なセーターを着て茶色の厚手のスカートを履いている。その下は厚手のタイツと、毛糸の靴下だ。
「寒い中で連れまわしたね。ごめんね。大丈夫?」岡谷は尋ねる。
「はい、防寒はしっかりしているし、この部屋は暖かいので大丈夫です。それより、何をするんですか?」
まあ当然の質問だ。
「まずは、2つの曲の仕上がりを聞いて、感想というかコメントが欲しい。僕が好きなようにアレンジしたけど、もしコメントがあればどんどん言ってほしい。
いい作品にしたいから、遠慮は無用だよ。」
岡谷は本心から言う。
「わかりました。」麗奈が頷く。
「そのあと、時間があれば、一緒に曲を作ってみたいんだ。」
岡谷は言う。
麗奈はいぶかしそうに聞く。
「今までと何か違うんですか?」
岡谷は答える。「まあ、その時説明するよ。まずは『夜明けの虹』からね。」
岡谷はそういって、タブレットを操作する。
タブレットから、岡谷が作った曲に、麗奈が詞をつけた曲、『夜明けの虹』が流れ出す。
最初のデモで麗奈が聞いていたものとは、かなり違うアレンジだ。というか、あの時はメーンの曲があって、それを聞き逃さないような伴奏を軽く付ける感じで構成していた。 だが今回は違う。かなり本格的な編成にしている。
出来上がった曲と歌詞をレビューし、それにあわせて曲も少し変えた。そして、編曲についてもかなり気合を入れた。
パイプオルガンの音をベースにするところは変わらないが、それ以外に弦楽器、打楽器などを入れ、スローな中にも音の広がりを出せるようにしたのだ。
歌うのはボーカロイドなので、抑揚は独特だ。 これを生身の白石真弓が歌ったら、また違うだろうが、いまは これでいいと岡谷は思っている。
二回通して聞いた麗奈は、ゆっくりと口を開いた。
「素敵に仕上がっていますね。すぐに曲に入るのもいいと思います。最初の二つのパートはそのままでいいと思います。サビの部分で、高音の声になるのに、伴奏のベースの音が大きいような気がしてしまいます。 もしかしたら低音の楽器を変えたほうがいいかもしれません。
でも、そんなのは些細なことです。私が書いた歌詞が、本当に楽曲になったのを聞いて、とても嬉しかったです。」
麗奈は控え目な感想を言った。
「ありがとう。でも、本当にそれだけでいい? 一緒に聞いてみようよ。」」
岡谷は言って、タブレットで曲を再生する。
途中で止めて聞く。「ここまででどうかな?」
麗奈は考え込んでいる。
「どうしたの。気楽に言ってくれていいよ。」岡谷は促す。
「あの、岡谷さんは夜明けと暁と朝ぼらけの違いはご存じですか?」突然麗奈が聞く。
「うーん、暁と夜明けは同じような意味かな。朝ぼらけって、昔の言葉だっけ?」
岡谷は答える。
「いえ、朝ぼらけ、という単語は今でも使いますよ。ただ、今回は字余りなので使いません。でも、どこかに暁っていう単語を入れたいな、って思ったんです。」
「なるほど。で、どう違うのかな?」岡谷は聞いてみる。
「どちらも夜明けの時を意味するんですけど、暁は『あかとき』からきたと言われていて、昔は明るくなる前を言ったみたいです。だから、暁のほうが夜明けより前、という考えもできるんです。」
そんなことについて、岡谷は全く知るらなかった。
「今は同じ意味で使っていますけど、本当はちょっと違うので、歌の最初のほうに『暁』を入れたくなりました。せっかくできているのにすみません。」
麗奈が言う。
「その場合、どこを変えるの?」岡崎が聞く。
「最初のところの、『夜明けに』を『暁』に変えていです。」
パソコンを持ってきてよかった。岡崎は思う。
「わかったよ。ちょっと待ってね。」
岡崎はそう言い、ボーカロイドをいじる。
ついでに、伴奏についてもエレキベースからエレクトーンのベースに変更する。これもソフトウェアで楽器指定を変更するだけだ。
比較的簡単に変更が終わった。
「じゃあ、聞いてみよう。」岡谷は再生する。少し雰囲気が変わった。
「うん。こっちのほうがいい感じだね。」」岡谷は言う。
麗奈も納得したようだ。
「実際、白石さんが歌うとまた違うかもしれないけど、とりあえずはこれで『夜明けの虹』は完成でいいかな?」
「ええ、ありがとうございました。」麗奈も笑顔だ。
「じゃあ、ちょっと休憩しよう。ピザでも頼もうか。」
リラックスした岡谷は、ちょっと空腹を覚えていた。
「そうですね。カレーで匂いが籠るのと、ピザで手が汚れるのと、どっちがいいですか?」 そういって麗奈は笑った。
二人は結局カレーを食べることにした。こういうところの食事はだいたいレトルトなので、何を頼んでもどうせ大したことはないのだ。
「さあ、次は『走れ!恋心』だよ。
今度は、麗奈が歌詞を作り、そのあと岡谷が曲をつけたものだ。
一昨日、仮曲をつけて麗奈に聞かせたときには、まだ未完成だった。
だが、あのあと帰宅して、一気呵成に仕上げたのだ。
岡谷は再生する。
軽快なイントロとともに、すぐに歌が始まる。
効果音が入ったりして、かなり凝っている。
♪走れ (走れ) 走れ (走れ)わたしの恋心
岡谷はボーカロイドを二つ使い、違う声にした。
「アイドルソングだから、実際はここは会場からのアンサーコールが入る感じだね。」
曲を流しながら岡谷が軽く解説する。
フレーズの間にも、たとえば「L O V E レッツゴーまゆみ」とか入るんだろうね、と岡谷は笑う。
曲が終わって、岡谷が聞く。
「どうだった?」
麗奈は目を輝かせていった。
「凄いです。本当に、現役アイドルが歌う、アイドルソングみたい。 やっぱり曲がいいと、心に残りましね。」
「いや、歌詞があっての曲だよ。この歌詞がお経だったり寿限無だったりしたら、さえないよね。
ほら。たとえば♪寿限無 (じゅげむ) 寿限無(じゅげむ)五劫のすりきれ~ なんて歌だと、違うよね。」
「…それはそうですね。まあ寿限無もアリなような気はしますけど、ぜんぜん別のものですね。」
麗奈も合意する。
「じゃあ、これも最初から再生しよう。」岡谷は言い、最初から再生を始めた。
こちらもお互いに意見を出し合い、少し変更した。
修正して、仮曲がこちらも完成した。
「もう一つやりたいことがあるんだけど、まだ時間は大丈夫かな?」岡谷が聞く。
麗奈は「まだ大丈夫ですよ。」と答えた。
「じゃあ、もう一曲作ろう。」岡谷は笑顔で言う。
「え…もちろんそれは構いませんが、どっちが先に?」麗奈が聞いてきた。当然の疑問だ。
「ここで、一緒に作ろうよ。曲と歌詞を一緒に作るんだ。」
「どんな曲を作りましょうか?』麗奈はもうその気になってkる。
「タイトルだけ決めたんだ。『普段着のアイドル』ってね。」
岡谷は説明する。男の子の視点で、同級生の女の子に対する恋心を描く。
彼女は着飾っていないけど、自分にはステージ衣装で着飾ったアイドルのように輝いて見える、という歌だ。
「制服じゃないんですか?」麗奈が突っ込んでくる。
「いや、その学校は、私服通学なんだ。それに、制服をテーマにした曲はたくさんあるからね。」
この辺は岡谷のこだわりのようだ。
二人は相談しながら、曲を作っていった。
時間はあっという間にたち、夜の7時になっていた。
「うん、大体できたね。あとは僕が家で仕上げてくるよ。」岡谷は言った。
「その部分、お手伝いできなくてすみません。」麗奈がすまなそうに言う。
そんな必要はないのに。
「いや、気にしないで。そこは僕の領分だから。」岡谷は言う。
「そんなことより、またこういう機会を持ちたいんだけどどうかな?」
「私がお願いしたかったことです。この際、アルバムを作るつもりでやりませんか?」
麗奈が言ってくる。
「ほお、大きく出たね。やろうじゃないか。」岡谷は答える。
「もちろん、すぐじゃないです。バンドの練習もあるでしょうから、ゆっくりでいいですけど。」麗奈は言う。
「うーん。バンドはどうなるかな? 正直、バンドは辞めようと思っているんだ。」
岡谷は言う。
驚いた麗奈が聞く。「え、じゃあ白石さんの曲はどうなるんですか?」
岡谷は答える。
「僕一人でも十分さ。作品だって君と僕だけで作ったんだから、演奏もそれでいいんじゃないか? それに、沖峰も時松もやる気なさそうだし。」
「まあ、話を聞く限り、そんな感じですね。でも、岡谷さんの負担が増えるんじゃないですか?」麗奈は心配する。
「いや、そこは正直、変わらないよ。むしろ楽かもしれない。」
実は、ギターの沖峰は、正直なところ下手なのだ。少なくとも、完璧を目指す岡谷からみれば失格なのである。 ベースの時松はそれなりなのだが。
「…そうなんですか?」 麗奈は不思議そうに言う。まあ、どうでもいい。
「それより、もしこれからも僕たちがユニットで活動するなら、名前を付けないか。二人のユニットだね。ボーカルは変わるかもしれないから。」
岡谷は提案する
麗奈は言う。
「それなら、キーチェーン、ってどうですか? 鍵についている鎖って意味ですけど、まあキーホルダーですね。
キーチェーンだけでは使い道がない。かぎとくっついて初めて意味を成す。 一方、鍵も単独じゃあ無くなってしまうから、キーチェ-ンが有ったほうだがいい。
ユニット名として、いいんじゃないかなって思って。」
「いいね。じゃあそうしよう。ただし、英文にしてね。それから、一単語がいいな。」
「わかりました。全部大文字で、KEYCHAINにしましょう。」
「決まりだね。」
これが、後に音楽シーンを席巻することになるユニットKEYCHAINの誕生秘話であった。
」
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