第13話 それぞれの火曜日 真弓 (2)
==白石真弓視点==
放課後、私は事務室で鍵を受け取って、音楽室に行く。
音楽室を使う部活は合唱部だけだけど、合唱部の練習は月・水・金だけだ。
火曜日は使われていない。
音楽室で何をする?もちろん音楽ね。
音楽室にはピアノがあるし、防音もしっかりしているから、歌の連取にピッタリ。もちろんカラオケボックスとかでもいいんだけど、お金は節約したいし、ピアノがあるのはありがたい。
私は、鞄から教本と楽譜を出す。
この教本は「はじめての声楽」というものだ。
中学のとき、私は少しだけ声楽を習った。その時の教科書だ。
いまから本格的な声楽をやるわけだはないけれど、発声練習とかにはこの本は向いている。
ピアノで音程を取り、発声練習を始める。
私は立ったまま和音を弾き、それに続けてあーあーあーあーあーとl声を出す。
最初の和音はハ長調、ツエ―・ドゥアだ。次は一音上げて、ニ長調。あーあーあーあーあー。
こんな感じで、ちょっと慣らし運転。
次に、楽譜を見ながら発声練習。腹式呼吸で、お腹から声を出す。
長い声、短い声、大きい声、小さい声。
だんだん、思い出してきた。声楽の授業の最初はこんな練習だった。
練習をしていると、音楽室のドアが開いて、誰かが入ってきたみたいだけど、私は練習に集中していて気づかなかった。
一息ついたところで、ぱちぱちぱち、と拍手が聞こえた。
見ると、音楽の駒谷珠子(こまたに たまこ)先生だ。
珠子先生は、去年音大を出て、この高校の先生になった。だから、私たちと入学時期は同じだ。あれ?先生だから入学とは言わないかな。まあいいでしょ。
珠子先生は綺麗な茶髪でショートボブにしている。今は、ぴしっと紺のスーツを着こなしている。ジャケットの下には白いブラウス。 今日はスーツで気づきにくいけど、高橋香苗さんのボリュームを上回る巨乳で、男の子たちの視線をくぎ付けにしている。
大きければいいってものではないと思うの。;
色白で、目鼻立ちのはっきりした和風バービーみたいな美人だ。。
気さくで、 女子からの人気も高いけど、一部の女子からは、体の一部分を見て「死ねばいいのに」とか「半分分けろよ」とか「肩凝りでくたばってしまいなさいとか「もげろ」とか妙な呪詛も飛び交っているのは内緒だ。黒っぽいストッキングを履いて、黒くぺったんこな靴を上履きにしている。
「白石さん、やっぱりいい声ね。何で、ここで発声練習しているの?」 先生は聞いてきた。
「えっと、音楽室が使われてないので、ピアノを使って発声練習をしたくて、ここに来てます。もしかして、先生が使うんでしたか?
私は聞いてみた。
「火曜と木曜は、合唱部がないから、私が授業の準備を兼ねて使っているの。でも、いつもピアノを使うわけでもないし、時々なら使ってもいいわよ。それより白石さんは、どこかで歌うの?」
先生に聞かれた。
「はい、たぶん年内に一度歌うと思います。その時に、歌いたい曲があって、それに発声練習とかしたほうがいいと思って。」
「そうなの。何を歌うか聞いてもいい?」先生が興味深そうに私を見る。眼が合うと、ちょっとどきどきする。
「一曲は決めています。クリスマスなので、『グローリア』を歌いたいんです。」
いm・
グローリアとは、クリスマスで歌われる讃美歌の一つだ。メインのフレーズは短くて、たぶん30秒もない。それを何回かクリかえす感じ。
「ああ、グローリア。いいわね。日本語だと『あら野の果てに』ね。何語でやるの?」
珠子先生が聞く。
そこは私も悩みどころではある。
「一応、私の持っている楽譜は…英語ですね。グローリア、のあとはどうも英語じゃないみたいですけど…」
「ラテン語ね。」珠子先生が言う。そうなんだ。
「でも、みんなに聞いてもらうなら、日本語がいいかしら。楽譜があれば。」私はつぶやく。
すると珠子先生が応える。「日本語の楽譜、あるわよ。しかもたくさん。多分、昔の合唱部で使って、後輩のために置いていったのね。使うならどうぞ。」
戸棚の中から楽譜が出てきた。私は、それを見ながら歌ってみる。♪あら野の果てに~
あれ?旋律が、私の楽譜と違う。
「やっぱり、私の楽譜とちょっと違うので、私の英語のほうにします。」
私は決めた。
「そう。いいわよ。これから、毎週火曜日、練習しましょう。発声とか教えるわ。私、実は声楽科だったの。」
私は恐縮する。
「でも、正直、レッスンにお金払えません。」
中学で声楽を習っていた時は、たしか一回5000円くらい払っていた。今考えると、すごい贅沢ね。
「お金なんていいわよ。というか、業務時間中に、他の仕事でお金もらったら怒られちゃう。生徒を指導するのは先生の役割よ。」
そういうものなのかしら。でも、ありがたい。
それから30分くらい、発声練習をした。横隔膜を使って声を出す、とか言われたけど、うまくできているのかな。
そのあとは、「グローリア」の練習だ。
ちょっと英語が怪しいけど、やってみる。
先生は言う。
「うーん。やっぱり、ちょっと発音に違和感があるわね。日本人は日本語のほうがいいと思うよ。あなたの楽譜に、日本語の詞を載せてみましょう。
私は、英語の楽譜に、日本語の歌詞を書き込む。 音程はちょっと違ったけど、多分大丈夫。
今度は日本語ので歌ってみた。
♪あら野の果てに~…
オーオオオオオーオオオオオーオオオオグローリア」
うん。いい。これ、クリスマスキャロルはだいたい合唱するんだけど、ソロでも十分いける。やっぱり、好きな歌を歌うのは楽しいな。
歌っている途中で、音楽室のドアが開いた。
そこにいたのは、朝会った一年生の合唱部の女の子だ。たしか、坂峯みかささん。
「うわ、白石さん、素敵。これ、私も歌ってもいいですか?」みかささんが意気込んで尋ねてくる。私はうなずく。
先生が、みかささんに楽譜を渡す。旋律がちょっと違うけど、まあ何とかなるよね。
先生の伴奏で、二人で歌い始めた。
主旋律の音程がちょっと違うけど、もともと彼女は私より低音パートを歌っているので、ハーモニーは問題ない。
合唱もやっぱり楽しいな。
二人で三十分くらい歌ったところで、先生がそろそろ授業の準備をする、というので練習は終わりにした。
「毎週火曜日に練習するんですか?」彼女が聞いてくる。
「その予定よ。」私は答えた。
「じゃあ、来週も来ますね。」みかさんは笑顔で私に言った。 私も「ええ、楽しみにしているよ。」と答えた。
まさか、翌週から合唱部が全員来るとは、その時は思いもしなかったけど。
家に帰って、宿題を軽く済ませ、夕食後は自己流のピラティス。
ヨガみたいなものなんだけど、動かないのにすごく汗が出る。
歌い続けるためには、体力が必要だから。それに、美容にもいいはず。
そのうち、踊りとかやるのかなあ。
まあ、自分がやりたいのは歌だから、無理に踊らなくてもいいよね。でもできればピアノとかギターの弾き語りはしたいな。
…すごくやることが多い。
メリハリつけて、取捨選択しないと時間が足らないね。
これじゃ、デートもできないな。
…といいながら、ちょっとだけ空しい気分が心をよぎる。三重野君は私を相手にしてくれないもの。
ううん。今の私には、歌がある。歌は癒し、歌は元気。
…そして、歌は、もしかしたら三重野君のことを思いださないための気晴らし、なのかな。
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