代償

 奇妙な空間に囚われた碧と青蘭。


 芸能界に身を置く彼女達は今現在……。


「あわわわわわわっ」


「これはまた……」


 アメリカ映画界も真っ青なド迫力アクションを見る羽目になっていた。


『おおおおおおおおおおお!』


 高校を卒業した頃。もしくは成人する前の時期の墨也が、闘神として黒く輝きながら襲い掛かる十二の獣と殴り合っていた。


『ガアアアアアアアアア!』


『ブオオオオオオオオオオ!』


 二十メートルを超す巨神である猿の剣、槍、独鈷。そして牛の斧が世界を揺るがしながら墨也に振り下ろされる。


『キイィ!』


 一軒家を優に超える朱き鳥を筆頭にして龍、亀、虎が大地を粉砕する勢いで墨也に襲い掛かる。


『ワンワンワン!』


『ふん』


 八体に分裂した犬と十三の剣を振るう猪の煌めきが飛翔する。


 だが墨也は他の獣も合わせて全ていなし、叩き伏せ、蹴り飛ばし、殴りつける。


 例外は存在するが、もし日本に一体でも侵入すればキズナマキナが全力出動を命じられる怪物達と、闘神の過去の戦いを青蘭と碧は特等席で鑑賞していた。


 最奥で獣達を操る小柄な女がニヤリと裂けるような笑みを浮かべても。


 猿、鳥、犬が混ざり合っても。


 亀の尾で揺らめいていた蛇が瞬く間に巨大化しようと。


 残り八体が混ざり合い途方もない呪の化身を形作ろうとしてもだ。


 しかし、完全に姿を現す前に過去の映像はそこで途絶えた。


「懐かしい。と言うほど昔ではないか」


 それに対し今現在の墨也は、卵焼きを食べながら呑気な言葉を漏らす。この光景も彼にとってはホームビデオであり、特におかしなものではなかった。


「ところでだが、多分今日か明日くらいに、一番神話因子が活性化するタイミングが訪れるはずだ。それを乗り越えたらぐっと楽になるから知っておいてほしい」


「え、えっと。分かりました」


「はい」


 更には碧と青蘭を今現在に引き戻してある意味での予定を告げる。


 彼の見立ては正しかった。


 その日の晩のことだ。


(マズいっ! これが一条さんの言ってた、一番活性化するタイミングだ! 外へ!?)


 青蘭は身の内で煮え滾る力を感じ取り、慌ててテントの外へ抜け出そうとした。


「落ち着いて深呼吸をするんだ」


 しかしその前に、異変を感じ取った墨也が空間転移の応用で彼女を引っ張り出して、今までと同じように顔を固定する。


「うぐっ!?」


 急に至近距離で見つめられるのは青蘭にとって突然の事態だったが、それよりも溢れ出しそうな力が彼女に苦悶の声を漏らさせた。


(間違いなく一番酷いことになってる!)


 青蘭は自身の体を見ていないのに、状態を正確に把握していた。


 体の一部どころか全体が溶けたかのように腐敗して蛆が這いまわり、日に焼けた肌と白い肌は関係なく青褪めている。


 更には鼻がなくなって骨が所々露出し、体毛もごっそりと抜け落ちている有様だ。


 それはまさしく、神話において腐乱死体となり果てたイザナミと同じ姿であり、誰もが目を背けるだろう。


「わ、私。私」


「言っただろう。俺は見てる。ここにいる。お前さんは何も変わってない。ゆっくり呼吸をするんだ」


 体感として自分の状態を把握していた青蘭だが、頭部はがっしりと墨也に固定されている。


 半ば液状化している青蘭の肌から腐汁が零れて墨也の手を濡らしてもだ。


「で、でも一条さんの手が汚れて」


「解釈に違いがあるな。俺はそう思ってないし、人のことを気にかけてるお前さんは変わらず凄い人間だ。ほら、悪いが二、三十分はこのまま深呼吸だ」


「は、はいぃ……」


 そのことを気にした青蘭だが、墨也はどれだけ腐肉と腐汁が体や服に付着しようとお構いなしに彼女を見続ける。


 そして青蘭は普段のさっぱりとした性格からは考えられないような、どこかしおらしい声を漏らして頷いた。


「落ち着いたようだな」


「……え? あ、はい……」


 それから三十分後。至近距離で墨也の顔しか見ることができなかった青蘭は、彼の言葉に遅れて自分の状態が元に戻ったことを把握する。


 墨也に付着していた腐汁腐肉すらさっぱり消え失せ、元の姿に戻った青蘭だが……。


「おっと。お疲れさん」


「……すう」


 墨也は内の因子を燃焼したことで睡魔に襲われた青蘭を抱きとめ、寝息を立てる彼女をテントに運ぶ。


「続くものだな」


 だがそれが終わった瞬間、今度は眠っていた碧の神話因子が活性化したことを把握する。


「い、一条さん、私どうなって!?」


「ああ。俺はここにいるぞ」


 同じように短距離転移の応用で碧を連れ出した墨也は、苦し気にしている彼女にあえて的外れな返答をして顔を固定する。


 国民的アイドルの姿はそこにない。


 足は完全に魚の尾鰭となり、胴は鳥で腕は羽と化している。そして鱗と羽があちこちで斑模様を作り出し、魚と鳥、人間が入り混じったキメラとしか言いようがない存在になっていた。


 しかもそれだけにとどまらず、喉から胸にかけてオルフェウスの琴が浮き上がり、無機物との融合も果たしている。


「私、怪ぶぶぶぶぶぶ」


「妙なことを言うもんだ。人一倍頑張ってるお前さんがなんだって? 寝言は寝て言うものだ」


 見なくとも自分の体が怪物に変貌していることを察した碧だったが、墨也に両頬を押さえられて奇妙な声になった。


「俺は努力と修練の積み重ねが分かる。そしてお前さんは人のために戦う努力をしている。思いを込めて歌うために努力している。それは凄い人間の行いだ。そうだな、俺はファンになった」


「むぐ」


 オルフェウスは視線を動かしてしくじったが、墨也は一切碧から視線を逸らすことなく彼女の素晴らしさを説く。


 そして何度か述べたが、神話因子が活性化したことで、不可抗力かつ当然ながらファンが逃げたifの光景を見てしまった碧に、墨也はファンになったと宣言する。


「だから自分をしっかり持て。ほら、深呼吸深呼吸」


「ふぁい……」


 よそ見をさせないために顔を固定されたままの碧は、恋人と同じように三十分近く墨也の顔だけを見せられて、ようやく神話因子が沈静化した。


「お疲れさん」


 そして碧も疲れて眠りに落ち、青蘭の隣で寝息を立てることになる。


 光り輝く指輪の内部をどす黒く染めて。

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