(……自分がそうであるから、そうなるのだと思い込まない。抑えることは出来る……)


 テントの中で目を覚ました碧は、墨也に刻み込まれた言葉を呪文のように心で呟き、ゆっくりと目を開ける。


(私は私。神話因子を持ってるだけで本人じゃない)


 そして自分に言い聞かせながら起き上がり、体に異変がないことを確認した。


「おはようマイハニー。愛してるよ」


「おはよう青蘭。私も愛してる」


 碧へ声を掛ける青蘭も同じで、墨也の言葉を思い出しながら目を覚ました。


「一条さんにも挨拶しないと」


「うん」


 続いて青蘭は、凄まじく世話になっている墨也にもすぐ挨拶しなければと提案し、寝床を整理してからテントの外へ出る。


「あの、おはようございます一条さん」


「おはようございます」


「ああおはよう。そろそろ炊ける筈だから少し待ってくれ」


 そこにはコンセントを体にぶっ刺し、炊飯器でご飯を炊いている墨也の姿があった。


(ロケ弁とか食堂では食べてるけど、朝から白ご飯っていつ以来だろ)


 自室の炊飯器が殆ど飾りになっている碧が、ここ最近の自分を振り返る。


 アイドルとキズナマキナを両立している碧は非常に忙しく、朝食は菓子パンで済ませることが多い。それに実家にいた時は悪い意味で管理されていたため、栄養バランスのことしか考えていない固形食品だった。


「っ!?」


 碧が考え事をしていると、唐突に周りの景色が切り替わり始め、青蘭と共に警戒態勢に入る。


「どうも俺だな。気にせんでくれ」


 敢えて呑気な声を出す墨也の言う通り、それは間違いなく彼の過去だったが、この場にはもう一人当事者がいた。


 場所は街の中心地で、墨也はコマーシャルが流れている大きなモニターを背にしている。


『ふうむ。心が込められた歌声だな。ここ最近の歌手の中で一番凄い。誰だ? ……センターは伊達ではないということか』


 モニターから流れた音楽が気になった墨也が振り向いて確認すると、そこにはアイドルグループのセンターで歌っている碧の姿があった。


「その、えっと、ありがとうございます……」


「流石に予想外だ」


 過去の墨也に褒められた碧は照れたように俯き、ある意味ドンピシャな過去が映し出された墨也は苦笑するしかない。


(私のことを見ずに、歌が上手いって褒められちゃった)


 碧のファンになる入り口は、まず彼女の容姿とスタイルの良さを判断してからだ。また、僅かな歌を聞いてからファンになった者達も、国民民的アイドルなどと呼称されている碧の容姿に引っ張られ、比重はそちらに大きくなる。


 だが修正も虚飾もない過去に映し出された墨也は、碧の歌だけを聞き入り素直な称賛の言葉だけを送っていた。


 これもまた、ファンが逃げるという未来の可能性の一つを見せられた碧にとって猛毒であり、心の傷に入り込んでしまう。


 そして……あるいはこの次元は、墨也の人間性を碧と青蘭に証明するような場所とも言えるだろう。


『ひっく。ひっく』


『どうした。パパかママがいなくなったかい?』


『ひっく。うん……』


『なら一緒に探そう。近くの交番にいるかもしれない』


 現に今も、墨也は迷子になった子供を連れて親を探し始めている。


(禍津神とは……)


 青蘭は闘神ながらマイナスエネルギーの塊である奈落神が、禍津神に分類されていることを知っている。だが日常生活に溶け込んでいることもそうだが、迷子と親を探している姿から、禍津神の定義について疑問を覚えた。


(まあそれは置いておくとして、頼もしすぎる)


 養母がいなくなった後の青蘭の人生で、頼もしいという点では恐らくトップなのが墨也だ。少なくとも墨也の言うことを聞いていれば、この時空から脱出できて、神話因子を抑えられると思う程度には、既に信頼を寄せていた。


「うっ!?」


「ぐぅっ!?」


 碧と青蘭がそれぞれ考え事をしていると、突然神話因子が活性化して痛みが走り、碧はやはり魚と鳥が混ざった異変が。青蘭は全身の腐敗が起こりかける。


 だが墨也の対処は変わらない。


「心を落ち着かせるんだ。常世にいるから活発化してるだけで、ここを抜け出すころには落ち着いてるから安心しろ」


 やはり顔と視線を固定するため、碧と腐敗の起こっている青蘭の頬に手を添えて語り掛ける。


 逃げない。留まってじっと見ている。この動作は碧もそうだが、イザナギとの確執が起こったイザナミの因子を持つ青蘭には特に効果がある。良くも悪くも。


 腐肉が手に張り付こうと、蛆が蠢こうと小動もしない視線に青蘭は吸い込まれ、落ち着くというよりは呆然とした状態で因子が収まる。


「さて、朝飯にしよう。ああそれと、桃の在庫は気にしなくていい。子供の時に世話になった遊び相手が、よく送ってくれてな。それを保管してある」


 因子が収まったことを確認した墨也の方はいつも通りだ。


『ごーごー! どりふとそうこう!』


『バウバウ!』


「……若いなぁ」


 尤も背後の景色が再び歪み、畑の傍でおもちゃの車の助手席に乗り込んで、運転席に座っているブルドッグに指示を出している幼き自分を見ると、なんとも言えない表情になったが。

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