身内

「ふう……うちのひいひい爺さんが驚かせたな」


 墨也は高祖父との……ある意味で再会後、疲れたように溜息を吐く。


「ひいひいお爺様。ですか」


「ああ。あんまり聞かないでくれ。正直、本人含めてどんな存在なのか誰も分かってないガバガバスケールだから、俺も詳しく説明できないんだよ」


 奇妙な衝撃体験に巻き込まれた形の青蘭に、墨也はそれ以上のことを語る術がない。


 馬鹿げたことに本人ですら自分の起源を把握していない高祖父は、本人の主観による自称と、多分そうなんじゃないかという曖昧な他からの評価で構成されている存在だ。


 それは墨也はもちろん、高祖父にとって最も近しい実の息子すらも把握し切れていない事柄であるため、悪性ウィルスのように広がった一族全員が、あの人は例外だからで終わらせていた。


「そうだな……どっちかって言うと、人間寄りの中立中庸だから問題になってないだけの自然現象だと思ってくれ。結構常識を知っていて普通に話も通じるし、なんなら無垢な子供のお願いはかなり聞いてくれるけど、行動に移したらとんでもないことになる」


「なるほど…」


 曖昧な墨也の表現に、碧と青蘭はなんとも言えない表情で互いに視線を合わせてしまう。


(参ったな。見られて恥ずかしい人生を送ってるつもりはないけど、ホームビデオとなれば話は変わるぞ。まさか、おむつ姿でハイハイしてる過去なんて流れないだろうな)


 一方の墨也は、的確に自分の急所を攻撃してくる可能性のあるこの時空に慄いており、人生最大のピンチを迎えていた。


「またか」


 実際、そのピンチはすぐに訪れる。景色がぐにゃりと歪み、再び墨也の過去を投影し始めたのだ。


『ごめんなさいねえ……』


『お気になさらず。自分の方はこの体ですので、風邪を引いたことがありません』


『そうは言っても…』


 ただ先程とは違い、いたって普通の過去だ。


 通り雨に濡れながらシルバーカーを使って歩いている高齢の女性を見つけた墨也が、自身は雨に濡れながら女性に傘をさしているだけの光景である。


 ただ、中学生程の墨也は既に筋肉達磨となっており、高祖父の膝の上にいた頃の彼を知っていれば、この間に何があったのかと目を疑うだろう。


 答えは筋トレとプロテインだが。


「お知り合いの方ですか?」


「いや、全く面識はなかった。単にいい歳の取り方をした人がいたから傘をさしただけだ。誰にでもする訳じゃない」


 碧の問いに何でもないように答える墨也だが、目的地が分からない人間に声を掛けて雨の中で付き合うのは、多くの者が遠慮する事態だろう。


 そこから特に面白みはない。ただ老人を家に送り届けて引き留められても断り、家に帰っただけの話だ。


「さて、晩飯はどうするか」


 墨也は過去の自分を気にすることなく、敢えて呑気に晩飯の献立を考える。


「あの、こんな時に申し訳ないのですが、養母から食べるなと言われてるものがありまして……」


「ん。大体想像が付く」


 すると青蘭が目を伏せて養母の言いつけを口にしようとしたが、墨也はその内容が分かっていた。


 念のためにザクロは当然として、魚もそうであるだろうということが。


 それから数時間後。碧と青蘭は夕食を終えてテントの中に入り、横になっていた。


「ねえ青蘭」


「なんだい?」


「……なんでもない」


「そっか」


「……うん」


 他愛のない恋人のじゃれ合い。


 ではない。


「私ね。オルフェウスとかセイレーンの神話因子を持って生まれてきた可能性が高いんだって……」


 碧は意を決して墨也から伝えられた可能性を青蘭に打ち明ける。


 本来なら面倒事を招き寄せることが分かっている事柄は、秘密にしておいた方が賢いだろう。しかし碧は、この次元が見せつけてきた可能性の一端が、どうして起こったのかを説明しなければならないと思った。


「私の方はイザナミで、母さんはひょっとしたらリリスだってさ」


 しかしそれは青蘭も同じだし、養母の件を合わせたら彼女の方が持っている爆弾は大きい。


「じゃあ私達、似た者同士だね」


「夫婦は似るって言うんだ。じゃあ恋人もさ」


「なるほどー」


 打ち明けた秘密をすんなりと受け入れた碧と青蘭は、僅かに笑いながら互いの手をぎゅっと握る。決して相手が消えないように。いなくならないように。


「それにしても一条さんがいてくれてよかった」


「うん」


 青蘭に碧は同意する。


 あれから他にも過去の映像が流れたが、墨也が人助けをしているか筋トレしているかのどちらかだ。そしてランダムな過去の映像というものはこれ以上ない、その人物の性根を知る決定的証拠と言っていい。


 そのため二人は、墨也が頼りになる脳筋という事実を容易く把握できた。


「明日も頑張ろう」


「そうだね」


 そんな青蘭と碧は意識が睡魔に負けて闇に落ちるまで、お互いの温もりを感じ続けるのであった。


 一方、墨也は碧と青蘭が寝静まったのを認識すると、テントから抜け出して座禅を組み、精神修行を始めようとした。


 しかしである。


「またか……」


 数時間ぶりに景色が歪むと、高祖父の家の裏庭が映し出される。ただ、登場人物は少し違う。


『十五かいれんぞくバックてんキックをきめる!』


 やってやるぞと気合を入れる幼少期の墨也と。


「がんばえ墨也ー! ひいお爺ちゃんは応援してるぞー!」


 和装を着こみ、なにやらヒーローのお面を被っている墨也の曽祖父がいた。


 そしてこの人物、墨也が例外だと断じている高祖父直系の息子であり、最も近しい関係にある存在だ。


「うん? ……うんんんん!?」


 だからこそ高祖父と同じように、座禅を終えて立ち上がる現代の墨也にちらりとお面を向けると、一旦視線を戻してから二度見で素っ頓狂な声を上げる。


「げ、幻覚か? 幻覚なのか? いや……幻覚じゃない! 二十年後くらいの墨也が未来から認識してると見た!」


「大体そんな感じだけど、そういう反応で助かるよ。ひいひい爺さんは普通に世間話の延長だったから」


「やはり墨也か! まあ、それはそうとしてナチュラルにホラームーブかますからねあの馬鹿親父」


 かなり軽い口調で話しかけてくる曽祖父に、墨也も気負わない普段通りの口調だ。


「それでどうしたんだい?」


「イザナミとオルフェウス関連の神話因子を持ってる人間の助っ人して、今は時間軸の狭間でキャンプ中。四、五日したら帰れる筈」


「ははあ。ちょっとだけ妙なことになってるね」


「一応の確認だけど、神話因子を手っ取り早く解決する手段はありそう?」


「直接見ないと詳細が分からないけど、一般論を言うならまずないねえ。魂とがっちり噛み合ってるのを分離したら、もうそりゃ本人とは言えなくなる。墨也の爺ちゃんの伝手ならワンチャンありそうだけど、まあ、それでもお勧めしない。やっぱ生まれ持ったものを削ると、どっかで不具合が出るもんだ。地道に抑える方向でやっていった方がいい」


「だよね」


 時間軸の狭間にいること。オルフェウスとイザナミの神話因子体が傍にいること。それら全てをちょっとだけ妙なことであると片付けた曽祖父は、墨也の相談に対し適切に答える。


 僅かながらきちんとした答えが返ってくる時と、大抵は発想が突き抜けすぎて参考にならない答えが混在する高祖父と違い、基本的に曽祖父の方はかなりまともな返答であることが多いのだ。


「しかしイザナミとオルフェウス関連かあ」


「なんか関わりあったの?」


「ぶっちゃけ全く関わってない神の方が少ない。特に日本とギリシャ系はコンプリートしかけてるレベル」


「ああね」


「しかも学生時代を中心に関わってるからね。ちょっとひい爺ちゃんの若い頃はいろいろおかしかった。アドラメレク、ルキフグス、ベルゼブブの契約者をぶっ殺して、ナヘマーの契約者は地獄送り。ベルフェゴールの契約者は死んだのを見届けて、バアルは本体を直接ぶっ殺したか。これでクリフォトは半壊。そんで九州じゃちょっとした戦争。イギリスは時間軸から追放される寸前。しまいには黙示録の獣と恐怖の大王の相手。信じられる? これ全部、ひいお爺ちゃんが学園で一年生してた頃の話だよ」


「無茶苦茶かなって」


「でしょ」


 年寄りの妄言ではなく、事実としてイザナミとオルフェウス関連の神話因子体を、妙なことで終わらせることができる経験に、ついつい墨也は肩を竦めてしまう。


『とう!』


「それにしても……あれだ。随分……鍛えたね……」


「プロテインが俺を呼んでた」


「その答え、マジでそっくり」


 曽祖父はバック転を頑張っている幼少期の墨也と、筋肉達磨と化した墨也を見比べ、やっぱりなとどこか諦めたような表情と化す。


「ああ、そろそろ終わりそうだ」


「おおっと。もっと話をしたかったのに」


 墨也は再び光景が歪み始めたことで終わりが近いことを察し、曽祖父は残念そうな声を漏らす。


「それじゃあ適当に頑張るんだよ墨也」


 ヒーローのお面を短い黒髪の頭頂に移動させた曽祖父の顔は、田舎に行けばどこにでもいそうな若い青年のものであり、悪戯気な光を宿した黒い瞳を細めて微笑んでいた。

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