「使い古された表現だが、素人の思い付きと短絡的な行動は恐ろしいと言われている。ではなぜか。歌川」


 碧と青蘭は、陰で絶対人殺しマキナイと呼ばれている安藤教員の授業を受けていた。


「はい。専門家がリスクに比べてリターンが見合っていないと判断するような行動でも、気にしないからだと思います」


「そうだ。天海。異能におけるその例を一つ言ってみろ」


「呪術でしょうか」


「ああ。呪術は間違いなく代表例だろう」


 ギロリとした目で睨まれている教室では私語一つなく、安藤と指名された生徒との会話だけが響いている。


「丑の刻参り。髪の毛や血液があれば、相手がどれだけ離れていようが呪い殺せる。言葉だけは便利だろうさ。呪詛返しで即死したり化け物になるリスクを考えなければな」


「成功して相手が死ぬ。失敗して何も起こらない。これだけなら今頃は呪術師が世界の覇権を握っているはずだ。しかし現実はそうじゃなく、呪術師は常に死か死ぬより更に恐ろしいリスクを抱えている」


「だから呪いを扱う連中はプロ中のプロか天才しか生き残っていないのに、素人は簡単に手を出そうとする。異能溢れる現代で、呪いの危険性を子供の頃から散々教育されてるのに手を出すか? なんて考えは忘れろ。誰しもが賢ければもっと世界はマシだ」


「そもそも呪いに手を出す奴は、嫉妬や恨みを抱いて性根と精神状態がおかしくなっている。そんな連中が欲しているのは常識じゃなく自分にとっての正義だ。常識や話が通じると思うな。自分の行動は正しい行いだから、失敗する筈がないと本気で思いこんでるからな」


 淡々と話し続ける安藤に睨まれている生徒達は、碧と青蘭を含めて全員の背筋が伸びている。まるで新兵が鬼軍曹から教育を受けているような光景であり、何も知らない人間が見れば体罰でも受けているのかと疑ってしまうだろう。


「呪いに手を出す奴が更生することはまずない。先程も触れたが、呪いの面倒さを教育されているのが現代なんだ。それなのに呪術を行うということは、踏み込んではいけない線の認識をできない場合が殆どと言っていい」


「そんな連中は更生云々の前に術の失敗で死んでいるか殺されている。遊び半分でこめかみに銃口を突き付けてくる奴に専門の対処チームが遠慮すると思うか? 答えは否だ。アマチュアの愉快犯だろうがプロの呪術師だろうが、対処チームはなんの遠慮もなしに殺す前提で動く。そうしなければ自分が殺されるからだ」


「心に刻み込んでおけ。呪術を扱う者とは常に死の危険を抱え、生死問わずの対象となる恐ろしい技だ。素人が、いや、人間が好き勝手気楽に手を出していいものではない、起源からして神の領分なのだと。そしてもし、なんのリスクもなく認識するだけで呪術を行える者がいるとすれば、それは人が手を出してはいけない神だ。新しき神々が対処できる範囲であることを祈るしかない」


 更に安藤は淡々と殺人機械のように呪いについて説明を続け、脅されているように見える生徒達の一部はごくりと喉を動かす。


 だが安藤ですら知らないことがある。


 まさに認識しただけで全人類を呪殺できる復讐神の末裔が、何食わぬ顔でマッサージ店を営んでいるなど、誰も想像できるはずがなかった。


 ◆


「座学の前後で柔軟運動が必要なんて、少し前の自分なら想像もしなかったよ」


「私も」


 授業が終わり殺人空間から解放された青蘭と碧が、両手を天に向けて背筋をぐっと伸ばす。それを見目麗しい二人がしても他の生徒達は注目せず、似たような運動を行っているため、どれだけ安藤の目力が強いか分かるというものだ。


「それにしても週末に仕事で行く場所が被るとはね」


「夏に向けてって考えたら、寧ろ当然じゃない?」


「ふむ。確かに」


 話題を変えた青蘭と碧は、それぞれモデルとアイドルの仕事で海に行くことが決まっていた。


 内容は、新学期が一息つく時期に訪れる夏へ向けてのもので、碧はアイドルグループと共に。青蘭は単独で海を背にした写真を撮ることになる。


「そのままホテルで一泊して……とかどうだい? 碧がいてくれるなら私はどこでもロイヤルスイートに泊ってる気分になれる」


「ぷふっ。お酒飲んだりしてないよね?」


「勿論素面さ」


 それにしても青蘭の舌の動きは止まらず、碧は思わず笑いが混じった息を可愛らしく漏らしてしまう。


「でも帰ってきた後ならデートはあり」


「なら決まりだ。愛してるよハニー」


「ええ。私もよ」


 碧は慣れたもので代わりにデートを提案すると、青蘭は指を鳴らして頷き、恋人の耳元でこそりと愛を囁いた。


 だが青蘭が顔を近づけたことで、碧は彼女の瞳に一瞬だけギラリとした光が宿ったことに気が付かなかった。


(グループのメンバーか、スタッフか……確認するのにちょうどいい機会が巡ってきた)


 青蘭の瞳に宿った光は怒りだ。


 青蘭もまたかなりの確率で碧の周囲にいる人間が好き勝手な情報を流したため、恋人が追い詰められていると考えていた。それを確認するのに、碧のアイドルグループと仕事場が被るのは青蘭にとって願ってもない機会だった。


「あれ? 桃の香水付けてる?」


「ああ、うっかり桃のジュースを胸に溢しちゃったからその匂いが付いてるんだ。味見してみる?」


「変なこと言わないでよ。本当に好きだよね」


 碧は超至近距離に近づいた青蘭から、桃の匂いが漂ってくることには気が付いたようだ。しかし深くは考えず、そんなこともあるかと納得した。


「さぁて、次は屋外訓練場か」


「頑張ろう」


「そうだね」


 青蘭の言葉に頷く碧。


 まだ……まだいつも通りの日常が二人を包んでいた。


 ◆


 ◆


 ◆


「いっ……つ……」


 校舎の陰で青蘭は頭痛をこらえるように顔を顰める。


「お母さん……」


 青蘭の言うお母さんとは養母のことだ。ここ最近、彼女は頭痛が起こるたびに養母の言いつけと顔を思い出すことが多くなり、奇妙な習慣に従うことがより顕著になっていた。


 しかし、養母が青蘭の前から去って久しく、習慣の理由を尋ねることができない。


 それに習慣のこともそうだが、親戚だと名乗った養母は明らかに異国の人間だったため、どうして自分を引き取ったのか疑問を覚えていた。


 愛情を受けていたとは思う。養母との暮らしで悲しく辛い体験などなく、よく笑っていた記憶しかない。だが成長するにしたがって、この習慣がやたらと果物ばかり食べていた養母の呪縛なのか愛情なのか分からなくなり、青蘭を混乱させていた。


「神様神様神様神様……神様神様神様神様……神様神様神様神様……神様神様神様神様……」


 青蘭がぶつぶつと呟く言葉もまた養母の言いつけの一つだ。


「……ふう。週末の準備をしないと」


 顔を横に振って気を取り直した青蘭が、仕事で海へ行くことを思い出して歩き出す。


 だが……青蘭と碧が向かう海は瀬田伊市の外。


 墨也が感知網を張り巡らせていない地だった。




 ◆


 一方、呪いの末裔である墨也。


「そろそろ四年生が実習だから近いうちに予定が空く? それはタイミングがよかった。一回だけでいいから来てもらえないか聞いてほしい。実戦投入されてる学生に色々と教えてるんだけど、やっぱり呪いは専門家に頼みたいんだよ」


 どうやら……。


「え? 爺さんが俺を占ったらラバーズの逆位置だって? いや、爛れた生活とか全く覚えがないけど。っていうか隣にいるの? 一緒に昼飯食ってる? 相変わらず仲がよろしいことで。そんな大声で否定しなくても聞こえてるよ」


 誰かと通話しているようだ。

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