世の破滅と世界の欠片
「一応聞いておくが、今更現世でどうこうしようと思っていないだろう?」
「まあ、そうだな。邪気に呼ばれたから歩いていただけだ」
彼岸花が咲き誇る地で墨也は酒呑童子と相対して話しかける。
だが呑気に話しているように見えて圧は高まり続けてビリビリと空間を震わせていた。
現世に未練なんぞ今更ないと肯定した酒呑童子もだ。
「だがなあ。人間が俺を呼んだのなら応えてやるのが義理ってもんだ。その望み通り世の破壊ってのを成し遂げてやろうかと思ってな。という訳で邪魔するんなら殺し合おうじゃねえか」
「ああそうかい」
酒呑童子は口まで裂けるような笑みを浮かべると、抑えていた妖気を全開にして墨也との殺し合いを宣言する。
人の邪気。自分のせいではなくあいつが悪い。突き詰めては世の中が悪いという念は酒呑童子を呼び出すという結果に結びつき、平安という世界を脅かした大妖怪は人の望み通り世界を滅ぼすため常世から抜け出そうとしていた。
(どうりで態々ひいひい爺さんから連絡が来るはずだ。一番マズいことになってるな)
対する墨也は酒呑童子が途轍もなく面倒な状態であることに気が付いていた。
死の世界である常世は次元の境界がかなり曖昧で、現世に比べて異なる世界と近しい位置関係にある。
そのせいで無理に呼ばれて復活しようとしている酒呑童子は、別世界の同一存在と混ざってしまっていた。地球という並行世界において最も妖異や怪異の力が強い次元の個体と、である。
つまり墨也の目の前にいる酒呑童子は……。
「鬼の力を見るがいい!」
全次元の数いる酒呑童子の中で最強の個体。もっと言えば墨也の身内が一番集まっている魔窟出身の鬼だった。
「オオオオオオオオ!」
駆けただけで天地を揺るがす酒呑童子だが、単なる暴虐に対して理合いの術である邪神流柔術は絶対的な力だ。
しかし身内から酒呑童子の権能を聞いていた墨也はその選択肢を捨てている。
【横道なし】
これまた全次元最強の安倍晴明を忙しい最中に片手間で処理できないと苛つかせ、源頼光が騙し討ちせざるを得なかった最強の権能の名だ。
「カッ!」
山すらもひっくり返す酒呑童子の拳が墨也の胸に突き刺さり……。
「ガハッ!?」
同じ様な力で酒呑童子もぶん殴られた。
「ガハ。ガハハハハハハハハハハハハハハ!」
それだけ。単に殴って殴られたのに酒呑童子は狂喜する。
(なにが横道なしだ。人間とのスペック差を考えたら正々堂々って銘打ってるだけの卑怯じゃねえか)
再び殴り合う中で墨也は悪態を吐く。
曲がったこと。卑怯なことはしない。正々堂々と戦うことを強制する権能【横道なし】だが解釈の範囲が広すぎた。
刀や陰陽術符などによる技術で生み出された物体による攻撃無効。
格闘術や剣術などの技術体系によって生み出された攻撃無効。
一対一以外での攻撃無効。
更には鎧や体の強さによる防御力を無視した精神への攻撃。
攻撃に対する回避不可能。
通用するのは原初の攻撃。単に拳を握り締めての殴り合い、それを避けられないという最初の正道の戦いのみ。
この縛りは酒呑童子にも適応されるが意味がない。鬼という最上位の肉体スペックを持つ存在と真っ正面から殴り合わなければならないなど、それ自体が横道であり理不尽なものだ。
神器や権能に頼っているペルセウスのような英雄などとは真逆も真逆。
伝説に刻まれた武器に頼っている。もしくは修練の果てに技術という力を手にした多くの英雄を、正々堂々の殴り合いという名の下で屠れる妖怪の中の妖怪こそが酒呑童子であり、まさに世界の敵というに相応しい存在だった。
そして対処策は神々が渾身の力を用いて、酒呑童子のためだけに作り上げた特注の毒を飲ませ権能を封じるか……。
真っ正面から殴り勝つだけだ。
墨也の選択は後者になる。
「オオオオオオオオオオオオオオオ!」
酒吞童子が殴る。既に五十回を超えてもまだ殴る。拳を握り締めて殴る。腕をぶん回して殴る。
墨也もまた殴り返す。淡々と殴り返す。息を漏らすことも雄叫びを上げることもなく淡々と腕を振り回す。そこに磨き抜かれた邪神流の戦闘術はない。
見ている分には単調だし、表現も複雑ではない。ただ鬼と黒い闘神が超至近距離で殴り合っているだけ。
男を比べ合っているだけ。
強さを比べ合ってるだけ。
原初の戦いを演じているだけ。
「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
酒呑童子の狂乱はますます酷くなる。
楽しくて楽しくて堪らないと笑う。笑う。笑う。
夢見ていた。戦いが始まれば勝手に発動してしまう己の権能自体を破るのではなく、その中で真っ正面から戦える者を。
(狐は駄目だ。あれは人間じゃなく狐の面が強すぎる。泰山夫君祭や鬼門を閉じる作業を終えて本腰を入れたなら、権能すら突破して圧殺してきただろうが全く面白くない。うん? そう言えば狐を苛つかせたまま俺は死んだのだからある意味俺の勝ち逃げか。ガハハハハ!)
(……頼光。紛れもなく英雄だった。凄まじい人間だった。素晴らしい人間だった。金時もだ。相撲をした方がずっと面白かっただろう。あいつの方もそれを望んでいた。鬼熊が人間に相撲で負けたと聞いた時は何事かと思ったが、あいつならば納得だ。あいつらとの戦いの果てで俺が殺されたなら面白かっただろうに)
酒呑童子は魑魅魍魎の最盛期であってすら、妖異を抹殺してきた人間の中の怪物達を思い出しながら昔を懐かしむ。
紛れもなく英雄達にとっても最盛期。鬼門が開き強大な妖異が溢れ、星の端である極東を舞台に世界が滅ぶかの瀬戸際を凌いだ豪傑達。最強の陰陽師の誕生によって陰陽寮の最盛期も迎え、間一髪で完全に開きかけていた鬼門が閉じられた混沌の時代。
だが酒呑童子の望みは、我儘にもと堂々と戦い敗れる夢は断たれた。
この鬼にとっても自らの権能は呪いに等しいのだ。鬼と人間の性能差なんてものは酒呑童子も分かってる。それなのに人間から武器も取り上げて、いったい誰が自分を倒せるというのだ。
結局酒呑童子は毒酒を飲んで果てた。
それから千年後、思いもよらぬ別の次元で復活しかけた酒呑童子は望みを果たすことになる。
「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
涙すらも浮かべてなおも笑い狂う酒呑童子。
「人間だ! ここに人間がいるぞ! 俺が殴っても死なない! 俺が殺される! ガハハハハハハハハ!」
酒呑童子の定義と客観的な定義は違う。
客観的に見れば邪神の血が混じっている墨也は完全な人間とは定義できないが、酒呑童子にしてみれば心が人間であればいいのだ。
ただし、邪悪の根源である力を纏っていながらなんの揺らぎもない精神を、人間の範疇で収めていいかという疑問はあるが。
「罅が一つも入らんかよ! ガハハハハハハハハハハ!」
そして、防御力を無視して精神を殴りつけている酒呑童子の方は削られているのに、墨也の精神は全く変わりがない不動。
精神による根競べの時点で酒呑童子は詰んでいたのだ。
それに墨也は応えることなく渾身の力でぶん殴る。
「がはっ!? ガハ。ガハハハハハハハハハ!」
最後となる一撃を受けた酒呑童子はまだ笑う。まだまだ笑う。面白くて仕方ないとばかりに笑う。
「ガハハハハハハハハハハハ!」
そして笑いながら消え去った。
(全く……)
満足! と顔に出ていた酒呑童子が消え去り、墨也は肩を竦めて元の次元に……帰れなかった。
(なるほどな)
消え去った酒呑童子を頼りにしてもう一柱、復活を遂げようとしていた。
瞳は縦に裂けた深紅。
体には苔どころか木まで生えている。
体の大きさ。八つの谷と八つの峰を覆う程度。
尾の数は八。
頭の数は八。
酒呑童子の親であり、同じように酒で身を滅ぼした者。
妖怪の中の妖怪が酒呑童子であるならば……。
『『『『『『『『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』』』』』』』』
日本神話最強の怪物こそが、八岐大蛇に他ならなかった。
【大国崩し】
人の望み通り世界を破壊するため現世に進撃する八岐大蛇が、最大の脅威である墨也に対し権能を全開にする。
(素戔嗚が面倒がって酒に頼る訳だ。なるほど世界の危機、滅亡の危機はこういう尺度か)
墨也に影を落とす原因。
山。
一つ二つではない。
十でもない。
百でもない。
千でもない。
一万と七千近く。
現代において日ノ本と認識される国の山全て。
言葉通りだ。
山神の力の面が強調された八岐大蛇によって、日本の全ての山が墨也めがけて落下した。
かつて太陽と月が肉親である三貴子にして最強の暴力装置、素戔嗚が態々酒に酔わせて八岐大蛇を討つというまどろっこしい手段を取る筈がない。
通常ならば。
源頼光と同じように、そうせざるを得なかった日本最強の怪物こそが八岐大蛇なのだ。世界の危機、人類滅亡の危機といっていい尺度なのだ。
そんな山々を前にした墨也はこれから殺す相手以外、誰も見ていないからこそ力を開放する。
「開放」
八岐大蛇には酒呑童子のような面倒な権能はなく、ただひたすら圧倒的質量で相手を圧し潰すだけだ。
だから墨也は技術と力で迎え撃つ。
墨也の手には
原初の力と人間の精神。混ざり合う。
邪神流柔術と邪神流剛術。混ざり合う。
陰一色だった体に陽が混ざる。
真っ黒な下半身と真っ白な上半身。その中心で黒と白が絡み合う。
祖の大邪神の力に負けない精神を持つ複数の人間。邪神流柔術から派生した剛術は融け合い一つの結晶として系譜に誕生する。
『っ!?』
言語化できない八岐大蛇の驚愕を言葉に表すとなれば。
太極か!?
であろう。
そう天地万物の基である太極。
尤もそこまでの段階にはまだ至っていない。精々が卵だ。
十分すぎる。
【太極闘術“地”】
墨也が肉親にも教えていない極限の状態にして彼だけの技。
最早超常の存在でしか認識できない黒と白の卵が山どころではない、世界を構成する大地と化して駆ける。
そんなモノをたかが万を超える山で防ぐことなどできず、触れる前から崩れていく。
『ッ!?』
八岐大蛇は日本の尺度で話すことなどできない、世界の欠片が拳を振り被ったことすら認識できず完全に消滅した。
後に残ったのは静寂のみである。
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