大いなる鬼と大いなる■の決戦
実のところ、大いなる陰謀や世界を滅亡に導く理、更には影の支配者なんてものは関係していなかった。
ただ少し財政で困っていたので予算を減らし、少しお金が欲しかったので仲介して下に丸投げし、今まで大丈夫だったから今後も大丈夫だろうと思い、専門家の話は面倒なので周りの人の利権関係の調整を頑張っていただけのことだ。
そんな馬鹿な話が何度も何度も何度も何度も引き起こされるのも、結局人間がその程度の存在というだけの話であり、犠牲が発生して外部からこれでもかとぶん殴られようやく改められる、かもしれない。
だが未来の仮定は今現在起こっていることに対して、まるで役に立たなかった。
予算不足で監視する人員と見回りの回数が減り、以前から使用している高額な邪気を散らすお札はまだ大丈夫だと判断した結果、気が付いた時には全てが手遅れだった。
尤も厳重な警戒が必要だったはずの場所に邪気が溜まり、伝承と結びついて溢れ出した。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
百鬼夜行の……鬼の軍勢として。
餓鬼のように膨らんだ腹ではなく筋骨隆々を体現したかのような体。
金属を容易く切り裂く爪。口から飛び出したギザギザの鋭い牙。人を視線だけで殺せそうな目。
まさに誰もが思い浮かべる強者としての邪悪なる鬼達が、現地のキズナマキナやマキナイと衝突していた。
「避難状況は!?」
「遅々として進んでない!」
「くそっ!」
現地の司令部は、突然の事態を楽観視するか誤報だと思い込んだ周辺住人の正常性バイアスに手を焼いていた。
だがあの山で鬼が出たとなれば、最悪の想定をしなければならない。
「万が一にでも酒呑童子が復活していれば、日本が陥落する可能性があるんだぞ!」
酒呑童子。九尾の狐に並ぶ日本最強の妖怪であり、下手をすれば神の一柱に分類してもいい存在だ。
なにせ陰陽寮最盛期の平安の世にあってなお京を脅かし、間違いなく平安最強の英雄である源頼光が家臣を引き連れた上で毒酒を飲ませ、騙し討ちをせざるを得なかった怪物なのだ。
現代の雑多な神格とキズナマキナ揃えた飽和攻撃でも、どうにかできるか怪しいだろう。
だがいるかいないかはっきりしていない酒呑童子のことを考えることもいいが、現場では非常に面倒なことが起こっていた。
「なんで飛べないの!?」
山に到着したキズナマキナのペアが、驚きながら地表への着陸を強制される。
これは空域の制限が設けられている訳ではなく、山周囲の不可視の力場が展開されて空へ飛び上がることができなくなっているのだ。
「正々堂々と戦えー!」
「妖術か!」
鬼の叫びでキズナマキナは、なんらかの術によって同じ地面での戦いを強いられていると判断したが、真実は非常に面倒な事態だった。
源頼光による酒呑童子への騙し討ちが卑怯だと思う人間の意識が混じってしまい、無理矢理対等に戦える環境を作り出してしまっており、ある意味人間がこの事態を招いていた。
「低空から侵入するわ!」
「はい!」
この飛行できない力場の情報を得た赤奈は、やむを得ず低空から戦場に突入することに決め、続いて桜、真黄、心白、銀杏、紫。更には上空で合流した碧と青蘭も続く。
その間でも戦場は更なる混沌と化していた。
「射撃兵装が効かない!?」
「近接武器なら切れたわよ!」
「まさか飛び道具を無効にするのか!?」
日本人に鬼が遠距離攻撃で敗れるという認識が希薄なせいで、キズナマキナのビーム兵装などの遠距離攻撃を防ぐ作用まで働いていた。
そのためマキナイやキズナマキナは鬼の軍勢に対し接近戦を挑むしかなく、複数の地点で平安の世さながらの泥臭い戦いが繰り広げられることになる。
「ビッグパーンチ!」
「装甲展開!」
「こっちを見ろー!」
「突撃」
「チェーンスネーク!」
「チャームアイ……の効果がなくても!」
つまり最近、近接戦闘において無類の強さを誇る闘神との修練を経験した桜、赤奈、真黄、心白、銀杏、紫には全く問題なかった。
「パワーソング!」
「これちょっとよくないなあ。水が効いてない」
一方、時間的な制約で修行を行えなかった碧の全体強化はいいものの、青蘭の方は水を操って遠距離攻撃を仕掛けるタイプなので鬼に対して強く出られない。
そんな不利な作用ばかりする人の思いだが、中には妙なことになっている鬼もいた。
「おお! 年若い女子ながら見事な武者振り!」
桜に殴り掛かられた逞しい赤鬼がにっこりと笑い称賛する。
「最早武士などおらぬと思っておったが、最近の者達も捨てたものではないな!」
「はあああああ!」
「うむ! そうでなくては! 力比べといこう!」
赤鬼は桜へ話しかけたのに無視されて機械腕を叩きつけられたが、寧ろ喜んで自身の逞しい腕で殴り返した。
「ひひひひひ! 女だあああああ!」
だが妙に武人気質な鬼がいるかと思えば、女に眼の色を変える鬼も存在しており統一感がない。
それに強さもだ。
「こっちー!」
「串刺し」
真黄は分身体に惑わされた鬼に渾身の蹴りを食らわせ、心白は長大な針で串刺しにする。
「おら!」
「やあ!」
どうやら体の延長として認識されているチェーンスネークが鬼を噛み砕き、普段の雰囲気からは想像もつかない紫の拳で鬼は粉砕される。
闘神との修行の成果か、はたまた彼女達の才能故か、雑多な鬼では今現在のキズナマキナの相手にならない。
「わんわんわん!」
この時、異常を感じた付近の犬が吠えた。
「っ!?」
すると驚くべきことに、逞しい鬼や禍々しい鬼の一部がびくりと肩を震わせ、単なる犬の吠え声に慄いたように見えた。
「犬に怯えた……桃太郎の伝承が混ざってる!?」
「妙に武人気質な鬼がいたら報告しなさい!」
流石はベテランのキズナマキナだ。僅かな差異や鬼の反応で、この場に現れた者達がどういった怪異か推測がなされた。
「学生の野咲赤奈です! ここにいます!」
「分かった!」
全員への通達に反応した赤奈が、桜と戦っている鬼が武人気質だと報告して位置も発信する。
「ここか! 鬼よ聞きたいことがある! 嘘を言ったら舌を引き抜かれるか!?」
「……そうだ」
桜だけではなく赤奈と楽しく戦っていた鬼だが、突如間に割り込んできたベテランキズナマキナの言葉に対し顔を顰めた。
「全員か!?」
「……俺の知る限り十と少しだ」
「それぞれ様々な鬼の伝承が混ざっているということで、お前は閻魔大王に仕える側面と潔い武人としての鬼の意識に引っ張られているな!?」
「……そうだ」
「豆は効くか!?」
「……知らん」
これでもかと顔を顰めている鬼は、ベテランのキズナマキナに正体と特性を見抜かれた。
人間達が思い浮かべる地獄の極卒と、武人としての鬼の意識という比較的ましな思念によって生み出された鬼は、その上更に正直者という側面まであるマキナイ側にとって大当たりな鬼だったのだ。
「主な鬼は誰がいる!?」
ここでキズナマキナが最重要の質問をしたが……。
「……星熊童子、熊童子、金童子、虎熊童子。それと酒呑童子だ」
ほぼ最悪の答えが返ってきた。
「やはり酒呑童子がいるのか! くそっ!」
「近くで豆を買い占めろ!」
「待て! 敵の情報を鵜呑みにするな!」
英雄源頼光が纏めて騙し討ちせざるを得なかった鬼が四柱だけではなく、その主である酒吞童子がやはりいるという情報は司令部に混乱を齎した。
そして混乱は更に酷いことになる。
「おお……おおお……!」
「はあ!? あぶねえぞ婆さん!」
「ここは危険ですから立ち去ってください!」
銀杏と紫は自分達の背後にいるはずのない、目を見開いて声を漏らす老婆を発見して避難を促す。
そう、どこからどう見ても単なる老婆であり、マキナモードのセンサーすらも相手が人間だと認識していた。
源頼光の家臣である渡辺綱も伯母と認識した程。
「兄弟たちよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「っ!?」
突然老婆が叫ぶがどう聞いても男の声だ。
更にはぐにゃりと老婆の姿が歪んだかと思えば、次の瞬間……現れた。
逆立つ黒い髪から飛び出した二本の角。捻じれたような耳。般若のような歪んだ顔。皺だらけの皮膚。
そんなものはどうでもいい。
片腕に荒い縫合痕さえなければ。
それは切断された腕を無理矢理くっ付けたかのようであり、事実その通りであった。
いるのだ。
酒呑童子の一件で明確に死んでいない鬼が。
豪傑である渡辺綱と戦いそれでも生き延び、切り飛ばされた腕を奪還した鬼が。
「茨木はここだあああ! 再び! 再び鬼の世を作ろううううううううううう!」
酒呑童子の腹心、名を茨木童子が。
平安から生きた鬼が、兄弟達の気配を感じてはせ参じたのだ。
「ちょうどいい肉もここにある!」
興奮で狂喜している茨木童子がぎらぎらとした瞳で銀杏と紫を見る。
高貴なる血筋の姫を捕まえて仕えさせたか肉にして食べていた鬼からすれば、古くから最も優秀な血を残してきた銀杏と紫はまさにご馳走だった。
かつてを思い出して茨木童子の力は更に高まる。
『シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
その力は至近距離にいた銀杏と紫のマキナモードフェイズⅡ、ヒュドラを強制的に起動させる程だ。
「雑魚がああああああああああ!」
九つの蛇に対し叫ぶ茨木童子。
善・中庸・悪。鬼の立場は様々ではあるが、ほぼ共通している認識は……単純に、あまりにも単純に力が強い暴力の化身であることだ
ましてやそれが、魑魅魍魎最盛期の平安に生まれし茨木童子。
「があああああああああ!」
『ジャア!?』
経験則か中央の首が弱点だと見抜いた茨木童子は、鞭のように襲い掛かる他の首には目もくれずに、極限まで握りこんだ拳で殴りつけた。
『ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
怯む中央の首を助けるため、他の首は牙から桃色の毒液を茨木童子に噴出する。ヒュドラの名を冠せし蛇の毒液なのだから、そこらの神格ならこれだけで致命傷になるだろう。
ただこの鬼、少々の疑惑がある。
偶々難を逃れたのではなく、神が作り出した神便鬼毒酒を飲んでなお渡辺綱と殺し合っていた疑惑だ。
「毒なんぞ効かんわあああああああ!」
その疑惑は毒に対する完全耐性という形で現代に証明された。
桃色の毒を浴びてもなんの影響もない茨木童子は、構わず襲い掛かってくる九蛇の頭をぶん殴りのけ反らせる。
「銀杏ちゃん! 紫ちゃん!」
「マキナモードフェイズⅡを使用します!」
「心白!」
「ん」
同胞の危険に桜達が他の鬼を始末して駆けつけようとしたが、周りの鬼が邪魔をするためマキナモードフェイズⅡを発動する。
その僅かな間にも茨木童子は、渾身の妖力を込めた拳をヒュドラの中央の首に叩き込もうとした。
『他一件の絆を確認! 変身しますか?』
「変身!」
銀杏と紫は命の危険を感じる前に、どす黒く染まっている指輪から発せられた声に応じる。
『変身を認証! 選択完了! 邪神■■■! 絆システムコネクト!』
「なっ!?」
どろりとした黒い卵に包まれたヒュドラに茨木童子は追撃をできなかった。それどころか、深淵から覗くナニカ……ナニカとしか表現できないナニカに肌を粟立たせることしかできない。
だが今注意するべきは卵から生まれる
「ああ……俺、あの人のもんだ……」
黒い粘膜かタールのように包まれた銀杏は、自分の首から伸びる黒い触手を手に持ち呆然と呟く
「ああ見える! 私、あの人の目であの人と同じ世界を見てる!」
紫は顔の上半分に黒がべったりと纏わりつき、その中心で真っ赤に光りながらぎょろりと蠢く瞳で世界を見る。
肉の動きどころか風すらも捉えている物質界を見る瞳など人間の脳では処理し切れない筈だが、紫の脳すら補強している黒き汚染がそれを可能にしていた。
そして銀杏と紫がこの力を茨木童子に向ける。
「くたばれ!
「死んでください!
力の使い方は黒から直接流れ込んでくる。
銀杏の蛇は地面へ影のように潜り込む過程を挟んだが、紫の力は至極単純に瞳で捉えただけで発動した。
「ひっ!?」
赤い瞳に覗き込まれた茨木童子は恐怖した。
彼が見ているのは鬼とマキナイ達が戦っている戦場ではなく、恐ろしい力を振るう銀杏と紫ではなく。
『なぜだ茨木……』
『どうしてお前だけ……』
『裏切ったのか……』
『恨めしや……』
地に倒れ伏しながらぽっかりとした空洞の目を向けてくる、かつての仲間達がいた。
精神を捕らえて崩壊させる紫の瞳は、茨木童子が千年間抱いていた後悔を暴き立てた。
唯一毒酒が効かず逃げおおせてしまった、死に場所で死ねなかった後悔を。
「お、お、おおおおおおおおおおおおおお!? ち、違う! 俺は!?」
ヒュドラにすら真っ向から挑んだ鬼が、同胞であり兄弟達から怨嗟の目を向けられ後ずさる。
だが流石は茨木童子というべきか、本来なら負荷が重ね掛けされて精神が崩壊する力を受けても健在だった。
そんな茨木童子の背後の地面から怨嗟の蛇が飛び出してくる。
「な、なめるぅなああああああああああ!」
間一髪で気が付いた茨木童子は蛇を殴りつけたが対処を誤った。
触れては駄目なのだ。
「ぎいっ!?」
ほんの僅かだけ蛇に触れた瞬間、茨木童子の指先に潜り込んだ漆黒の蛇は肌でのたうちながら心臓を目指す。
「おお!」
だがそんなものの対処くらいは茨木童子には容易い。彼はもう片方の腕で蝕まれた腕を切断し、蛇が胴体に到着する前に対処した。
勿論蛇の方もその程度で諦めるはずがなく、腕から這い出ると再び茨木童子を目指す。
ことはない。
「っ!?」
茨木童子はニタリと笑ったように見えた蛇の口に……五寸釘が生えていることに気が付いた。
茨木童子には同一視される存在がいる。嫉妬と憎悪が原因で男女を祟るために鬼となり、渡辺綱に腕を斬り落とされた女。
その女、宇治の橋姫の御業は後世一つの技術となって体系化された。
即ち。
丑の刻参り。
『怨』
蛇が囁きながら牙である五寸釘を茨木童子の腕に突き立てたが、その顔は女の恨みを現した般若を更に煮詰めて蛇にまで落ちた、真蛇の形相だった。
「ぎいいいいいいいいいやああああああああああああああ!?」
絶叫が茨木童子の口から迸る。
騒ぎにならないよう近年は隠れ潜んでいた茨木童子だが、平安の世は暴虐の限りを尽くしてきたのだ。
虫けらの様に殺された人間達の千年前の恨みを直接ぶち込まれ、全身が焼け爛れたように燃え上がって刀傷が浮かび、舌は裂かれて目玉は潰れて零れ落ちた。
かつての行いが触媒さえあれば距離を無視してそのまま返ってくる悪に対しての切り札は、鬼の耐久力すら超えて茨木童子を生き地獄へ叩き込んだ。
しかしこの権能、恨みが生き地獄を与えようとするため即死しない欠点があった。
「茨木ではないか!」
「無事か!」
「今助けるぞ!」
「人間め!」
茨木童子の力を感じて森から出てきた明らかに格の違う鬼達。
星熊童子、熊童子、金童子、虎熊童子。
いずれも酒呑童子の側近にして茨木童子の親友達だ。
「茨木!」
更には鬼の大将。
逞しい鬼の中にあってなお強大巨大。
見上げるような巨躯と筋骨隆々な体。立ち昇る妖気。
酒呑童子までもが友を迎えるため山を下りてきた。
「誰だ……」
だが銀杏と紫が新たな強敵に身構える前に。
生き地獄を味わっている筈の茨木童子が顔を呆然と呟いた。
「誰だとは心外だな。共に戦った我らの顔を見忘れたのか? いやそれより今助けるぞ!」
「そうか……そういうことか……そういうことかああああああああああああああああああああああああああ!」
茨木童子は何を言っているのだと疑問を覚えた五柱の鬼だが、その茨木童子はまさに怒髪天を衝く鬼の形相になった。
「鬼が! 鬼が! 鬼が人の意識を頼りにして! なんたる! なんたる無様ああああ!」
「なあ!?」
激怒した上に襲い掛かってきた茨木童子に五柱の鬼は混乱する。
「死ね! 死んでしまえ! 殺してやる! 殺す!」
五柱の鬼が混乱なら茨木童子は狂乱だ。
茨木童子はかつての故郷と兄弟達が復活した僅かな奇跡に縋ってこの場にやってきたと言っていい。だがその兄弟達は、よりにもよって弱者でありかつて自分が捨て去った人間の意識がなければ成立しない混ざりものとして復活していた。
そんな紛い物を茨木童子は許しておけなかった。
「があああああああああああああああああああああああああああ!」
既に死にかけて古ぼけた鬼が鬼の誇り、かつての仲間の尊厳を守るために呪いと精神への呪詛、限界を超える。
「真に酒吞ならば! 鬼熊ならば! 金ならば! 熊ならば! 虎熊ならば! 俺の怒りが分からぬはずがない! 消え去れ紛い物があああああああああああ!」
読んで字のごとくの怪力乱神が現れた。
怒りの炎が物質化して真っ赤に染まり、燃える髪が天に反逆する。
最盛期の力を
「ばっ!?」
馬鹿なと言おうとしたのはどの鬼だったか。五柱全員が一瞬で燃え尽きてしまい、もう判別することは出来ない。
「この程度でええええええええええええええええ!」
力と引き換えに殆ど正気を失いかけている茨木童子は、紛い物があっという間に死んだのも気に入らぬようでますます激昂する。
「死ね人間んんん!」
そして次に気に入らない銀杏と紫を殺すため地を駆けるが、この神代の力に彼女達の指輪が更に漆黒に輝いた。
「紫!」
「うんっ!」
引き合わされた銀杏と紫は二つに溶けあい、黒き深淵が新たな力を形作る。
卵から蛇が孵った。
ドロドロとした粘液で形作られた下半身は蛇、上半身は女のようなシルエットの巨人。細部は分からずただ全体像が半蛇半人だ。
メドゥーサではないしヒュドラでもない。
その孫にして母だ。
ボトリと蛇人間の腹部から滴った泥が新たな命を形作る。
一つ、また一つと滴り落ちる。
一つの泥が立ち上がる。四つの足、三つの犬の頭。口から漏れる地獄の炎。
一つの泥が立ち上がる。四つの足、ライオンの顔。ヤギの胴体、蛇の尾。
一つの泥が立ち上がる。四つの足、双頭の犬。
名を順に。
ケルベロス。
キマイラ。
オルトロス。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
ギリシャが誇る怪物の中の怪物達が産声を上げる。
それぞれが小山のような母より僅かに小さい程度の怪物が、茨木童子を睨みつける。
「ぐうううううう!」
「ううううううううう!」
だが制御をしているのはあくまで銀杏と紫であり、彼女達は急に増えた眷属を操るため必死になっていた。
「逆だ。無理矢理手綱を引っ張ろうとするんじゃなくて、そうしろと命じて解き放て」
「は、はい!」
「分かりました!」
そんな時、銀杏と紫の間に覚えのある男が挟まりこんで語りかけた。
「お前らいけ!」
「あいつを倒しなさい!」
『オオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
古くから続く血族であるからこそ母の適性があったのか、銀杏と紫の指示に怪物達は素直に従うと茨木童子に襲い掛かった。
「異国の犬如きにいいいいいいいい!」
狂乱を続ける茨木童子は赤く燃え盛りながら、突撃してきたオルトロスの鼻っ面を殴り飛ばしたが、別の頭が復讐だと言わんばかりに噛みつく。
「駄犬が!」
茨木童子はオルトロスの牙で腹に穴が開いても気にせず渾身の力で振り解くと、続けて襲い掛かってきたケルベロスの頭すらも殴り飛ばす。
だがこちらは三頭犬でありオルトロスよりも頭が多い。
「がっ!?」
茨木童子は自ら切断した腕の方からの頭に対処できず、またしても体に大きな穴が開く。
「おおおおおおおおおおおおお!」
最後の瞬間はあっけないものだ。
茨木童子は満身創痍でありながら、それでも最後に襲い掛かってきたキマイラを殴りつけ……食われた。
いつか、千年前に人間を生きたまま食べた時のように、最後は自分も食われてその生涯を終えた。
鬼としての矜持があろうと悪行は悪行ならば、悪因悪果として返ってくるのは当然。
『オオオオオオオオオオオオオ!』
勝鬨を上げる怪物達の奥で佇む母。
後にエキドナと呼称される怪物達の母が、自ら産声を上げた瞬間だった。
「やりました!」
「ああ。よくやった」
「へ、へへ」
「えへ」
茨木童子を倒した銀杏と紫は、自分達の間に入り込んでいる墨也に視線を向けると、ぽんと頭に置かれた手の感触にはにかんだ。
「あ、あれ? なんか……」
「体が……」
だがここで銀杏と紫は、墨也の体が妙に薄いことに気が付いた。
「ああ、意識だけ飛ばしてる。ちょっと忙しくてな」
ここにいるのは墨也の僅かな意識だけなのだ。
本体は……常世にいた。
◆
「伝言がある。よくも七面倒臭い時期に騒いでくれたわね。だそうだ」
身内から伝言を預かっていた墨也の目の前には赤がいた。
真っ赤な真っ赤な肌。飛び出て捻じれた牙。鬼の形相。
常世が震える鬼気。圧。殺意。
京の都が震えあがり英雄が騙し討ちせざるを得なかった、妖怪の頂点種である鬼の中の頂点。
安倍晴明を苛つかせた。その一点でも墨也に最大の警戒を抱かせる存在。
「がはははははははははははは! 心当たりがあるような、ないような!」
大口を開けて笑う鬼。
正真正銘。
紛い物ではない。
復活しかけていた酒呑童子と闘神が相対していた。
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