蛇と毒。それが通じぬ者。
「経絡を刺激する技術を持つ者達。例えば気圧師は時として恐ろしい存在となりうる」
相変わらず人殺しのような目をした安藤優香教員が、一年生を全員集めた講義室でぎろりとした瞳を生徒達に向けている。
(墨也さん)
その一年生の一部、具体的には桜、真黄、心白、紫、銀杏は気圧師の職にある男のことを思い浮かべてしまう。
「間違った方法で経絡やツボを刺激したとしても、命に直接関わることはない。だが特殊かつ裏の技術を持つ者達が経絡を刺激すれば、人体の気脈は大きく乱されるだろう」
気圧師にとって邪道の技術を安藤は説明する。
通常は気を整える技でも、特殊な経験を積んだ者は経絡やツボを乱して人体に悪影響を与えることができる。
墨也が桜、紫、銀杏に施したのもこれの応用で鋭敏になった感覚を麻痺させるのに用いており、彼女達も事前の説明で知っていた。
「尤も現代は大火力大出力の射撃戦になることが多く、動き回っている敵に対して正確に経絡を刺激し気脈を寸断するのは不可能に近い。だがもし実戦で行使できる水準の奴がいたら絶対に近づくな。近接戦闘において文字通り活殺自在な上に、そんな技術を今のご時世に持っているならまともな訳がない」
安藤の言葉通り活殺自在の技量を持っている墨也だが、まともな訳がないという言葉も当てはまる。
というのもこの闘神は戦いが命のやり取りにまで発展すれば、肉体的に殺すか精神的に殺すかの手段しかとらず、余程の例外でもなければ優しく無力化して確保するという思考がほぼないのだ。
「まあ完全に殺しの技術なのだから、態々それを身に着けていると言う馬鹿はいないがな」
安藤の言葉に桜、紫、銀杏の体温と血圧が上がったことに気が付いた者はいない。
その馬鹿がいるのだ。
通常であるならば壊しと殺しの技術を人に言うことなどありえない。言った瞬間から危険人物となり社会から爪弾きにされるのが人の社会だ。
だがその秘密を捨てて助けられた者こそが心の声を聞いてしまった桜と、醜い仮定と結果を見せつけられた銀杏と紫なのだ。
しかもそれだけではなく、墨也から邪神であるという秘密すら教えてもらって助けられている。
(どうしたら……)
思い返す必要なく常に貰ってばかりの立場であることを痛感しているキズナマキナは、どうすれば墨也にお返しができるのかと考えてしまうのであった。
◆
「それではマキナモードフェイズⅡの試験を始める」
安藤の授業が終わると、銀杏と紫はヒュドラの試験を行うため屋外訓練場に足を運ぶことになった。
「行くぞ紫!」
「うん!」
流石は世界でも有数の遺伝的素養の持ち主だ。
紫と銀杏はコツを掴んでいるのか即座に光に溶け……。
『シャアアアアアアアア!』
咆哮を上げる九首の鎖蛇と化した。
(デカい!)
研究者がヒュドラの大きさに驚く。
桜と赤奈の機械巨人と大きさはそう変わらないが、ヒュドラは横幅もあるため山のような威圧感を与える。
一方、怪物と相対するのは特別調整されたお馴染みの棒人間だ。
尤も数が足りなかったため九対五になってしまった棒人間達だが、臆することなくヒュドラの頭部めがけて駆け出した。
数で劣っている棒人間は一丸となって狙いを絞り中央の頭部を目指している。
だが、ヒュドラの牙から滴る桃色の毒が全てを狂わせた。
「なんだ!?」
棒人間達は中央の首を狙っていた進路だったのに、唐突に別れてそれぞれ別の首へ駆け出したものだから研究者達は混乱した。
(タンク職のヘイト管理スキル?)
ゲーム好きな研究者の一人が妙な感想を抱くが、解釈は正しいと言っていいだろう。
滴った毒により五感を狂わされた棒人間達は、ただひたすら別々の頭にだけ注目してしまい他の頭に意識を向けることができなくなっていた。
そんな束ねられていない矢の運命など決まり切っている。
「ダメだ話にならん」
研究者の言葉通りだ。
「嚙み砕け!」
銀杏の言葉と共にヒュドラの首は一瞬で棒人間を咥えると、その鋭すぎる牙で噛み砕いた。
だが残った棒人間の内の一体がかなり特殊な個体だった。
「分身した!?」
驚く紫の視線の先で、熱源まで備えている二十体ほどの棒人間の分身体が溢れ出した。だが数こそ多いが真黄のミラーアバターほど高性能ではなく実体がないものだ。
そしてこの分身体に対してヒュドラは簡単な解決方法を提示する。
「げっ!?」
「やっぱり!」
研究者の中で度肝を抜かれた者と、そしてヒュドラの様相からやはりと納得する者に分かれた。
なんとヒュドラは首元から新たな頭を生やすと、二十を超える頭部を持つ更なる異形になり果てて、分身体全てに襲い掛かったではないか。
本来一本の首を切り落としたら新たに二本の首が再生するオリジナルのヒュドラの伝承を超え、任意で頭部を生成した鎖蛇は虱潰しに棒人間を粉砕し、ついには大本をも噛み砕いた。
(伝承に影響されてたら中央の首をどうにかしないと死なない可能性まであるぞ。時間切れしか欠点はないんじゃないか?)
研究者が考察をする。
ヒュドラは大本である不死身の首をなんとかしないと倒せないとされており、もしその伝承に鎖蛇が影響していた場合、手数が無尽蔵で一分間だけ敵を釘付けにする無敵の壁である可能性があった。
(そんなの逃げ回るしかないだろ)
対抗策が思い浮かばない研究者だが数日後、真っ正面から墨也は対峙した。
◆
「やっぱヤベえ!」
「うん!」
慄いたような銀杏の言葉に紫が心底同意する。
「実は遊び相手に似たような者がいてな」
真っ黒な空間でヒュドラと対峙する墨也は、襲い掛かってくる蛇の頭部を粉砕する。
十。二十。三十。四十。まだまだ。五十どころ百を超えてなおヒュドラの首は増える。だが蛇の頭による竜巻はその全てがいなされ、叩き伏せられていく。
そしてこの蛇のいやらしいところだが、頭の数が増えるにしたがって牙から滴る桃色の毒も増え、濃度を上がっていくのだ。
つまり百を超える蛇の頭部から発せられた毒の香りは、雑多な神性すら意識を失いかねないほど凶悪なものになっている。
これもまた紫が持つ誘惑の力なのだが……同時に血に由来する篩いの選別だ。
本来なら誘惑して人を意のままに操る力のくせに、血が望んでいるのはそんなものを歯牙にもかけない強さなのだ。
そんな力を前にしている墨也になんの綻びもない。邪神だから効いていないのではなく、例え彼が純粋な人間だったとしても我を見失うことはない程の精神は神にすら届く毒も通さない。
(見えた!? けどこれダメじゃん!?)
銀杏は暴走しているのではなくコントロールされている未来視が下した結論を見た。
山のようなヒュドラがなにをどうしても投げ飛ばされる光景を。
「ぬあああああああ!?」
「きゃああああ!?」
実際そうなってしまい、首の一つを掴まれて投げ飛ばされたヒュドラの内部で銀杏と紫は悲鳴を上げた。
「この前よりずっと重心が安定してるな。立てるか?」
「だ、大丈夫です……」
「は、はい」
ヒュドラが解除されてペタンと座り込んだ銀杏に最近の気高さはなく、それどころかしおらしくチラチラと墨也を見る。そして紫の方は男に対する作り物めいた微笑ではなく、ほにゃりと顔を崩して墨也を見るのであった。
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