邪神が打ち壊したもの
予知夢は不思議で特殊な力が絡んでいるため、一般人が体験することはまずないものだ。しかし未来視の力を持つ銀杏、そして彼女と絡み合っている紫もまた予知夢を見る資格がある。
一方、過去が夢で映し出されることは多くの人間が体験している筈だが、特殊な力とは関係ないが故に銀杏と紫は振り回されていた。
『世界が、神が望んでいようと無駄だ。失せろ英雄。この二人は殺させん』
『なら世界を相手にしたらいいだけの話だ』
『天上天下唯我独戦』
「っ!?」
ぱちりとベッドで目覚めた銀杏は、思わず目を彷徨わせ今現在の状況を確認する。
ここは地獄の足つぼ店ではないし、その店内で起こった戦いは一昨日のことだ。
そして彼女が目覚めたのは学園女子寮の自室、ではなく紫の部屋のベッドだ。
自室ではなく別の部屋で朝を迎えるのは完全に女子寮の規則違反なのだが、以前にも述べたように真黄や心白を始め、歴代のキズナマキナの多くはこの規則を無視している。数少ない例外は赤奈と桜だ。
「ああもう……」
思わず息を漏らした銀杏は、この数日ずっと見ている夢に頭を悩ます。
本気も本気で世界を敵に回そうとも守ると言われた人間がどれほどいるか。しかもその男は欲に塗れた男の思考しか知らなかった銀杏の常識を壊してしまっていた。
そのせいで能力とは全く関係なく、脳に焼き付いた光景が夢として現れ続けているのだ。
「どうすんだよ……」
銀杏は困り果てたように艶のある髪をガシガシと乱す。
その原因は魔気無異学園にしてみれば至極当然の行動だった。
大百足と蛟が原因となる海岸での決戦、過去の遺物である都市伝説の猛威が立て続けに起こったことで、本来なら出撃しなくてもいい筈の学生キズナマキナも動員された。
そこで学園は奈落神こと墨也に、学生キズナマキナも瀬田伊市にいるのだから、祭日と週末の五連休を利用した住み込みの超短期集中で、闘神として彼女達の修行相手になってくれないかと駄目元で打診したのだ。
だが墨也としても実戦に参加する学生を鍛えてくれと言われたら断り難い。寧ろちょうどいいかと判断して話を受けたため、マキナイの広報として予定がぎちぎちのアイドル活動をしている歌川碧、モデルをしている天海青蘭以外の桜、赤奈、真黄、心白、銀杏、紫のキズナマキナが参加する行事となったのだ。
(それに俺と紫、一条さんだけの秘密……)
銀杏は紫と墨也しか知らない秘密を共有している。
墨也はペルセウスのことを統合本部に報告すると絶対に面倒になると、予知ではなく直感が訴えたことでこの件を無かったことにした。
どれくらい面倒かというと、態々タロットカードの塔を筆頭に不吉を現すものが現れて、その直感は正しいからペルセウスの件を広めるのは止めとけと制止する程度だ。実際なぜペルセウスが現れたんだという疑問から、輪廻転生しているメドゥーサを追っかけているのではと、限りなく近い正解に辿り着いて転生という疑似的な不死を求め蠢動する者が現れる可能性が高かった。
そのくらいしかペルセウスが現世に現れる理由がないのだ。
そして、墨也がステンノーとエウリュアレーに纏わりつくシステムを壊したことで後続の襲撃の恐れがなく、銀杏と紫の前世は権能を用いて遮蔽しているので、黙っていれば二人の秘密が漏れることはないだろう。
だがそれでも油断ならない面倒さがギリシャ神話体系であるが故に、墨也は曽祖父に頼み自分の視界を貸すという裏技を用い確認してもらうガチガチの対応をしていた。
なお秘密の共有とは連帯感を強めるものであり特別なものだ。つまり銀杏と紫だけの繋がりに真っ黒な存在が手を伸ばしていると言っていい。
「は、はれ?」
ぼやけた視点を彷徨わせ、あまり呂律の回っていない言葉と共に紫が目覚めた。
(紫もか……)
銀杏は幼馴染の恋人であるが故に、紫がついさっきの自分と同じ夢を見ていたのだと確信する。だが少し前なら恋人の夢に男が出ると思うところがあっただろうが、自分も全く同じなのだから何も言うことができない。
「今日は緊張するね銀杏ちゃん」
「そ、そうだな」
ナイトキャップを被っている紫が言葉とは裏腹にほほ笑むと、銀杏はどきりとした。
学園の者は紫の素顔を見たことがないが、牛乳瓶の底のような眼鏡を外して前に垂れている髪を取っ払った彼女は、そこらのアイドルが裸足で逃げ出すほど整った顔立ちをしている。
そして緊張に強張っていない紫はあどけない表情を浮かべることが多いが、妖しく光る紫の目がぞくりとする色気を湛えており相反する魅力が際立っていた。
「銀杏ちゃん、目が元に戻ったよ」
「おう」
一方、銀杏は絶望という崖っぷちから解放されたことで、人殺しのような目つきが単に鋭いものに戻っていた。
そのお陰で相手が女子生徒限定で中性的な男らしさを取り戻しており、同学年の女子生徒の一部が思わず二度見してしまう目の離せない格好良さを漂わせている。
特に今現在、ベッドの上で気だるげに足を延ばしている様相は、その一部の女子生徒なら鼻血を出してしまいかねない鋭さと色気を併せ持っていた。
「さあ、準備しようぜ」
「うん。そうだね」
銀杏はしなやかな肉食動物のように、紫はゆっくりと忍び寄る蛇のようにベッドから起き上がるが、育ちの良さのせいか気品がありながらどこか艶めいている。
(一条さん……)
出かける前に身だしなみを整えるためシャワーを浴びる紫もまた、逞しすぎる男のことを思い出す。
桜達と同じように改めてお礼をしに行った際、必要以上に背負い込むなと言われたのは紫と銀杏の常識から外れている。
日本の裏の影響力が強い戸鎖家と石野目家では行いには対価が必要であり、彼女達もそう教え込まれていた。
しかし、ちょっとした親切なら無償のものがあることは理解していたが、現代に現れたペルセウスとアテナの呪いを粉砕して、愚かな神が相手なら世界が敵に回っても味方になると本気で宣言することは、決して無償の範囲で収めていいものではない。
だから紫と銀杏は実家が裕福なことも伝えたのだが……。
『人命救助者は相手が無事な結果があれば満足するんだよ。表彰状のためにやる奴なんていない。そんで俺はできる範囲が広かっただけの話だ』
墨也は相も変わらず女の立場や面子を気にすることなく持論でごり押ししていた。
「はあ……」
紫の口から無意識の吐息が漏れるが、シャワーの温度が少し冷たいことに気が付かない。
女性が君臨する石野目家と戸鎖家は色々と徹底しており、銀杏と紫は父親の顔と名を知らず優秀な遺伝子の持ち主としか教わっていない。
つまり彼女達は古来から異能を受け継いできた女達と、外部から受け入れた優秀な男を掛け合わせ続けた末に生まれたサラブレッド中のサラブレッドなのだ……なのだが、この環境に加えて男の醜い仮定と結果を見てしまったことで、学生キズナマキナの中では男に対し最も歪な価値観を持っている。
それを例外的に壊してしまったのが墨也であり、これから紫と銀杏は今まで一度も経験したことがない、頼れる異性と接触を続ける環境に行かなければならないのだ。
「よし、頑張ろう」
紫は強くなるんだと気合を入れて浴室から出る。
闘神にして邪神が待ち受ける社へ向かうために。
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