頼りになりすぎる男

 墨也の乱入から暫し。恐怖で麻痺していた真黄と心白がなんとか落ち着き、会話ができるまで持ち直した。その間墨也は、体の中から布やらカーペットやらを取り出し、真黄と心白のトラウマともいえる部屋の床壁天井を隔てて、少しでも違う部屋にしようと試みていた。


「自己紹介をしよう。一条マッサージ店の店長一条墨也だ。そして最近、瀬田伊市を担当することになった神でもある。先程のはその神としての姿で、時空間の乱れを感じてここにやってきた」


 これ以上ないトラウマを刺激されたであろう真黄と心白だ。墨也は変に隠しごとをして恐怖を増長するより、事情を説明した方がいいと判断したが、彼女達にすれば唐突すぎて理解不能な状況である。


「か、鏡谷真黄です。そ、その、ありがとう、ございます……神?」


「針井心白です。ありがとうございました……マッサージ店店長?」


 助けられた真黄と心白は、動画を撮影しに訪れたマッサージ店のトラウマ店長の正体が神と言われてもピンとこない様子だ。


「まあ、神にも色々と人生があるのさ」


 痛すぎるマッサージが原因で病院を追放された男には万感が篭っているだろう。


「それでだがこの部屋と今後のことについて説明する。心構えをしてほしい」


 墨也は話を戻し、真黄と心白が少し青い顔でも頷いたのを確認して事情を説明することにした。


「俺の見立てではこの部屋は恐怖を再現する概念的存在だ。脱出するにはその恐怖を克服するか、俺が一週間ほどかけて君達と部屋の精神的繋がりを絶った上で脱出するかのどちらになる。この繋がりを絶つ工程を省くと、君達の精神に悪影響が出る可能性が高いから試みない方がいいだろう」


(それなら……)


(なんとか……)


 かつて封印していたのに暴かれたトラウマの克服など無理だと表情に出ていた二人だが、一週間耐えれば何とかなると聞いて安堵した。殆ど見ず知らずの男と一週間暮らすことも不安要素でしかない筈なのに考慮せず。


 本来ならこんなことはあり得ない。ブログを通じて男の醜い面を知っている二人は、異性が常時すぐ傍にいることなど絶対に許容しないだろう。


 だが真黄と心白は状況を完全に呑み込めていないが、それでも墨也は恐怖から守ってくれる唯一の存在と言うことが分かって、無意識に例外を作り出していた。


「さて、もういい時間だし一緒に飯を作ろう」


「え?」


 更には、真黄と心白のために私心なく行動する男であったため、その無意識を余計に補強する羽目になるだろう。


 ◆


 この部屋の難点は、空気はどこからともなく供給されているくせに、電気ガス水道が完全に断たれていることだ。しかも真黄の母は家事などせず全てコンビニで完結しており、心白の父はあらゆるものを売り払っていたため調理器具など存在しなかった。


 しかし全く問題ない。


 桜との一件で妖界という別世界に滞在した墨也は、再び似たようなことが起こってもいいように、体の中に存在する収納空間へ物品を更に詰め込んでいた。


 単純な机や椅子などは自らの泥で作り出せるが、機械的な物は再現できなかったため家電製品。食材用に拵えた時間が凍結された別のスペースに、多種多様な食材から膨大な水。果ては発電機にキッチンまで収容している有様だ。


 この人型キャンピングカーを目指しているのであろう墨也の体と繋がっているキッチンがドンと置かれ、真黄と心白は初体験に挑戦していた。


「本当に汚れ取れてます……?」


「あの、これでいいんですか?」


 流し台が二つもついているキッチンで悪戦苦闘しているエプロン姿の真黄は、野菜用ブラシで野菜の水洗い。同じくエプロン姿の心白は困惑しながら米を研いでいた。


 なぜ悪戦苦闘しているかというと、やはり彼女達の生い立ちが原因だ。幼少時に親と料理すらしたことがなく、自炊するという概念に触れずに育ってしまった。そして今現在は総菜パン、学園の食堂、コンビニ弁当という食生活なのだから、野菜を洗ったり米を研いだ経験があるはずがない。


「ん。大丈夫だ。米の方もだな。ちゃんとできてるぞ」


 墨也は真黄から野菜を受け取り、米の状態を確認して上手くいっていると保証する。


 邪神流メンタルケア術なる奇妙な技術を修めている墨也は、トラウマが溢れている場所でじっとしていてもいいことはないと、真黄と心白に料理の補助を頼んで、自分はカレーを作る作業をしていた。


「駅前の新しい喫茶店は知ってるか? 漂ってたコーヒーの匂いがよかったから試しに飲んだが、ありゃ中々こだわってる人が作ってたな」


「あ、行きました行きました!」


「でもコーヒーの良し悪しはちょっと分からなかったです」


「ははは。まあ、俺も分かるようになったのはつい最近の話だな」


 話題を振る墨也に真黄と心白も応じながら料理を進める。それは本来、真黄と心白がとっくに経験している筈のものだった。


 そして……。


「おいしー!」


「ん」


 初めて自分で作った料理を食べる真黄と心白。


 これも何かのきっかけがあれば、二人で行うはずだった経験だ。


「うん、美味い」


 頷く墨也はいなかったはず。


 断じて三人での行いではなかったはずの経験。


 全て“はず”だ。


「その、一条さんは正体を隠してるんですよね。あたし達に言ってよかったんですか?」


 そこでふと、真黄が気になっていたことを墨也に尋ねた。


 瀬田伊市に居を構えた新しき神と、マッサージ店店長が繋がっていることなど表沙汰になっておらず、どう考えても墨也が真黄と心白に正体を明かしたのは彼にとって不利益にしかならない。


 しかし、最初に述べたように結論は出ている。


「こんな場所なんだ。君達にとって真っ黒な奴より多少知ってる奴の方がいいだろう。内緒にしてくれれば大丈夫だ。まあその目が濁ってたら隠してたが、それだけ綺麗なら隠す必要もないしな」


 どこまでも真黄と心白のため。自分にとっての利益ではなく無償の想い。


 真黄と心白の瞳は揺れるしかなかった。

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