恐怖を打ち砕きし強者
敢えて言うならば“部屋”が生まれたばかりのくせに強力過ぎたことが原因だろう。
別空間からの移動、隔離空間、過去の再現、人の悪意と言う信仰心の塊。そのどれ一つとっても強力な要素であり、概念的上位存在と言える“部屋”だからこそ、同じ空間系の力を宿している闘神の探知網に引っかかり、こんな様を引き起こしてしまった。
一条墨也という名の邪神であり闘神を呼び込んでしまうという様を。
『キイイイイイイイイイイイ!』
『ギイイイイイイイイイイイ!』
真黄の母も心白の父も、彼女達の恐怖を糧に成長して首や腕、足が伸びる。そして幽鬼のようにぽっかりとした瞳は益々大きくなり、口からは鋭い牙が出鱈目に突き出た怪物となる。それなのに携帯端末の撮影モードというある意味鏡と、注射器はしっかりと握りしめ、真黄と心白の逃れられない恐怖を象徴していた。
一方。
「すう……」
僅かな呼吸。揺らめく黒い靄。ギチギチギリギリと圧縮された漆黒の肉体。燃え盛るような赤き瞳と反比例して凪の如き明鏡止水の心。
若輩ながら闘神として完成に至っている存在が、親でありながら親でなかった者を真似ただけの木偶の坊を迎え撃つ。
だが状況は圧倒的不利。真黄と心白の精神世界とも言うべき場所で、極大に膨れ上がった恐怖の象徴はまさにこの場の君主に等しい。
それがどうしたというのだ。
『ギャアアアアアアアアアアア!』
最早人語も話せぬほど歪みに歪んだ恐怖は伸びきった長い腕で注射器、そして金属も貫く長いネイルを墨也の体に打ち込もうとした。
愚か極まる。
邪神流柔術継承者に対し技術を介さぬ力技など、なんの意味もないどころか死に直結する行い。
【邪神流柔術“捻じれ”】
何度も述べる。そして比喩でもなんでもない。文字通り基礎にして奥義、対概念にすら至った最奥の技にして業。
墨也は僅かにほんの少しだけ、ほんのちょっぴりだけ、注射針とネイルの側面を撫でた。それだけ。
『ギャ!?』
ただそれだけで異形の腕は理解不能な回転を加えられるどころか、その捻じれはなんと腕を内に折りたたむほど強烈なものであり……恐怖の象徴は自らの得物を胸に突き刺してしまった。
『ギャアアアアアアアアアアアア!?』
だがまだ片腕が残っているとばかりに異形達は腕を振り下ろし……。
【邪神流剛術“捻じれ”】
柔ではなく力で捻じられ千切られた。
完成された邪神戦闘術後継者に接触するとは、触るとはこういうことなのだ。手玉に取られ全く相手にならない。
柔よく剛を制す。剛よく柔を断つ。その二つが合わさった非の打ち所のなさ。そして揺るがぬ精神。
心・技・体の極致と権能まで兼ね揃えた理不尽の権化。
【邪神流剛術“阿修羅塵壊尽”】
そんな存在が自身の霊力に加え仏法戦闘守護神阿修羅の力まで腕に纏い、高速回転させながら幽鬼を殴りつけたのだから結果は分かり切っている。
言葉通り幽鬼の尽くが壊れ塵と化した。
だが終わらなかった。
部屋にあったタバコの吸い殻、注射器、競馬競輪の本、夥しいゴミや巨大な姿見鏡。真黄と心白にとって恐怖の象徴である部屋の全ての物が浮き上がり、弾丸並みの速度で侵入者を排除しようとした。
それを墨也の拳の間合いは通さない。しっかりと真黄と心白が背後にいるのを認識して、全てを両の手で叩き落し、弾いて粉みじんに粉砕した。
後に残ったのは物が無くなって広くなった部屋と墨也。
そして恐怖から守られて呆然とする真黄と心白。
(ちと厄介だな。この“部屋”、二人と結びついてる)
墨也が素早く部屋を見渡して解析を行い、複雑な事態になっていることを把握した。
“部屋”は真黄と心白の深層心理に侵入して恐怖を具現化した形となっており、無関係な墨也が外部から入り込むならともかく、彼女達が“部屋”の影響下にある状態で無理に内から脱出。もしくは墨也が“部屋”そのものを破壊しようとすると、その精神に悪影響が現れる可能性が高かった。
(それに恐怖を形作るだけじゃない。現実世界の時間軸からも切り離されている。そんな都市伝説があったな。千年か万年別の空間に飛ばされて、帰ってきたら一瞬しかたっていなかったとかなんとか。まあそれはいい。この二人と“部屋”を分離させながら現実世界への帰り道を作るか。この中での一週間は見た方がいいな。なら……)
墨也は“部屋”に対する理解を深め真黄と心白に振り向きながら、正体不明な自分が彼女達の新たな恐怖になる前に……。
「言っておくけど、俺の足つぼが痛くてトラウマになってても、それはアフターサービスの対応外だからな」
「え?」
「え?」
ある意味既にトラウマとなっているマッサージ店店長、一条墨也の姿に戻ると、呆然としている真黄と心白に太い笑みを向けながらそう宣ったのであった。
だが墨也の目算では一週間。本来親から貰うはずだった無償の愛を得られず、誰にも守られなかった捨て子同然の女二人と、その恐怖を打ち倒した邪神が同じ部屋にいるのだ。
しかも……見返りも求めず誰かを助ける。この行為には類語がある。無償の愛という呼び方の。
果たして真黄と心白がこの部屋を出た時、以前と同じ彼女達なのか。それは神すらも知らないことだった。
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