赤奈にこびりつく黒

「お邪魔します墨也さん!」


「お邪魔します」


「おーう入ってくれ」


 菓子折りを買った桜と赤奈が、邪神の住処に足を踏み入れる。桜の時もそうだったが、これまた目の覚めるような美少女が二人も、現在無職の筋肉達磨の部屋に入るなど、誰かが目撃したら通報していたかもしれない。


「改めて、今回は本当にありがとうございました。つまらないものですが……」


「ありがとうございました墨也さん!」


「なに気にしないでくれ。無事でよかった」


 改まって頭を下げて菓子折りを渡す赤奈と桜に、墨也は敢えてなんでもないように答える。


「いえ、このご恩は一生忘れません」


(真面目なのはいいことだが真面目過ぎるな。ミスしたら半月は引きずるタイプか)


 言葉通りの気持ちが籠っている赤奈だが、墨也はそれも善し悪しがあるなと思った。陽の気から発せられた言葉なら素直に受け止めることができるが、赤奈のそれは気持ちを全く切り替えることができない負の気が絡んでいる。


「椅子に座ってくれ。もう統合本部の人間が謝罪にやって来ていると思うが、あちこちに釘を刺した。神と統合本部が、野咲さんと桜にちょっかいを掛けてくることはそうないだろう」


「重ね重ね本当にありがとうございます」


 墨也に言われて椅子に座る赤奈と桜だが、彼の尽力に再び深々と頭を下げた。


「それでなのですが、一条さんの不都合は……」


「俺の影絵というか、意識もほとんどない抜け殻みたいなのを統合本部に置いてる。社ができてもそれが座禅してるだけだから不都合はない。ああ、先に言っておくけど、俺の巫女に立候補しようとしたりしないでくれよ。抜け殻に付き合う必要はない」


「で、ですが、それではなんのお返しも」


「墨也さん、私も助けてもらってばかりで……」


(やっぱりそれを考えてたか)


 釘を刺された赤奈と桜が身を乗り出す。


 墨也の懸念は必要以上に責任を背負い込むように見える赤奈と、これまた責任感の強い桜が、その恩返しとして自分の巫女に立候補しかねないことだ。実際に赤奈はそれを考えていたものの、殆ど置物に等しい抜け殻には何の意味もないし、墨也としても必要としていなかった。


 余談だが、その抜け殻に対する巫女の選定は揉めに揉めている。統合本部が黒い禍津神を手に負えないと判断したように、神を鎮めることを専門とする鎮守機関も匙を投げた結果、一体誰を巫女として送ればいいのかと混乱していた。


「どうか私達にご恩を返させてください!」


「お願いします墨也さん!」


「おバカめ。同じ状況なら相手が洟垂れ小僧でも年寄りでも助けるわ。妙なこと考えずに学生は学生生活送ってろ。てなわけで茶菓子食って帰れ」


「お、おバカ……?」


 必死な赤奈と桜の訴えも空しい。それどころか、赤奈は人生で初めて男にぞんざいな態度を取られた上に、おバカとまで言われて呆然としてしまう。


「でも墨也さん!」


「純真に生きているお前達を助けられた。それ以上に俺が何を欲しろって言うんだよ。悪因悪果があるなら善因善果もある。それでいいだろ。まあ、守られてばかりの女じゃないのは見て分かるからその点は尊重する。お前さん達は自分の覚悟で人のために戦える凄い人間だからな」


 桜の言葉を遮った墨也は、妙に逞しい笑みを浮かべて無理矢理締めくくった。


 赤奈の桜色の指輪が一瞬だけ黒く蠢いた。


 ◆


(眠れない……)


 その日の晩、赤奈はベッドで横になっても眠れずにいたが、聡い彼女はその原因を把握していた。


(……これは単なる麻疹。私にちゃんとした男への免疫が無いから……)


 赤奈は瞼の裏にいる墨也を、どれだけ忘れようとしても振り払えないでいた。


 赤奈が男に親切らしき行動をされたのも、食事に誘われた数も星の数。その中には兄どころか親子以上に歳の離れた者だっていた。しかし、警戒心の強い赤奈はその誰も彼もに下心があることを見透かすことができた。


 そして実の父も兄弟もおらず、ましてや交際している男もいない赤奈は、その生涯においてまともな男と関りを持ったことがなかった。


 しかしこれは少々世の男には酷かもしれない。それだけ彼女は服の上からでも分かるほど男好きする肉体を持ち、年齢にそぐわない陰ある美貌を持っているのだ、男という生物上、完全に下心なしで彼女に近づくのはほぼ不可能だ。


 そのため男からぞんざいに扱われることも、無償で命のやり取りをしてまで守られたことも、そして戦士として尊重されたことも、なにもかもが初体験で全く免疫がなかった。


(別のことを考えよう……そう、桜のことを。桜が言うには一条さんは組手の相手を探しているらしい。それで桜は一条さんと組手をしているようだから、私も参加させて貰って恩返しの機会を……ああもう……結局一条さんのことを考えてるじゃない……)


 赤奈はなんとかして墨也ではなく別のことを考えようとしたが、結局また墨也のことを考えてしまい、寝返りをしながら瞼へ力を入れる。


 だが、墨也との関わりを続けることに対しては、全く打ち消すことなく夜が更けていった。

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