鋼の蕾。しかしその中は。

(私はどうしたら……)


 赤奈は禍津神に襲われてからのここ数日を思い返して一人悩む。


『統合本部で管理外の神が二時間も待ちぼうけ。その意味が問われています』


 テレビでは最近お馴染みになっていることを放送しているが、それもまた赤奈の悩みの一つだ。


(一条……墨也……さん……私だけのためにこんなことを?)


 魔気無異学園が存在する瀬田伊市に住んでいれば、少々離れていようとマキナイの総本山である統合本部の混乱が伝わって来る。


 だがその混乱の元となっている、漆黒の神の正体を知っている赤奈もまた混乱していた。禍津神に襲われた後、墨也と桜から大方の事情を説明されてもだ。


 なにせ赤奈と墨也は初対面だ。それなのに面倒を避けて生活していた筈の墨也は、赤奈を救うために禍津神と決闘を行い、挙句の果てに統合本部へ乗り込んだときた。


(私が巫女になると言う話も立ち消えになって、統合本部からは謝罪の人まで来た。間違いなく守られている……でもどうしてなの?)


 大人たちの都合に振り回され、誰かに守られていると実感したことがない赤奈にとって、それは完全に未知の体験だった。


 そして統合本部は混乱しているものの、墨也が純真な学生を神と組織の都合で巻き込むなと釘を刺したことで、禍津神同士の決闘に赤奈が関わっていることを把握した。そのため話を穏便に済ませようと、かなり高位の職員が学園に菓子折りを持ってきて、赤奈は下にも置かない扱いを受けた。尤もそれは統合本部の保身故だが、確かに墨也の意向も働いていたため、守られていると言ってもいいだろう。


「赤奈。赤奈ってば!」


「え!? な、なにかしら?」


「桜ちゃん来てるわよ」


「桜が?」


「あなたこの数日ぼーっとしてるけど大丈夫なの?」


「え、ええ。大丈夫」


 友人に呼びかけられた赤奈がハッとして教室の入り口を見ると、そこには確かに桜がいた。しかし普段の赤奈なら、呼びかけにも桜が来たことにもすぐ気が付いたはずだ。


 ここで赤奈の陰の気質が悪い方に働いていると表現するべきか。必要以上に過去を向きやすい性格の彼女は、寝ても覚めても禍津神に襲われたことと、墨也に助けられたことを思い返してぼーっとしていた。


「どうしたの桜?」


「赤奈先輩。さっき連絡が合って、今日戻って来るそうです」


「そ、そうなのね……」


 赤奈は桜に要件を尋ねるが、それはあの騒動から墨也に会えていない赤奈が待ち望んでいたもだった。


 ◆


 幸いというべきか、偶々普段よりも授業の終りが早かった赤奈と桜は、訓練で流れた汗をシャワーで洗い落とし、菓子折りを買うために街を歩いていた。


(落ち着きなさい私。会ってお礼を言うのに、どうしてこんなに緊張してるの?)


 赤奈は全身の末端が収縮していることを自覚していたが、自分達の今の状態に関しては少々失念していた。善は急げとシャワーを浴びて身だしなみを整えると、直ぐに寮から出た彼女達はほんのりと赤らんだ肌となっており、独特の色香を放っていた。


 つまり、特定の種族に対する誘蛾灯のようなものである。


「ねえねえ。今からカラオケとかどう?」


 宿命というより、そうなるのは必然なほどの美女である赤奈と美少女な桜に、若い男達がまたしても声を掛けてくる。


「急いでますので」


「ちょっとだけ。ちょっとだけでいいからさ」


 赤奈はそれを取りつく島もなくきっぱりと断るが、諦めきれない男達は赤奈と桜の進路を塞ごうとした。


「すまんが知人でね。話なら俺が聞こう」


「ああ? なんだ……よ……」


 その間に滑り込んできた男を見た瞬間、若者達の語尾が弱くなる。


 買い物袋を持っている男の身長はそれほどでもない。だが厚みと感じられる密度が尋常ではない。特に半袖の下から露になっている前腕は浮き出ている血管と合わさって異常一歩手前なほど逞しく、もし殴られようものなら一発で気持ちよく寝られることを容易く想像させた。


「墨也さん!」


 桜はここが人通りのある場所でなければ、抱き着いていたのではないかと思えるような声でその名を呼んだ。


(ま、また守られた……)


 一方の赤奈は心の中で呆然と呟く。


 その割り込んできた背中の逞しさは赤奈の記憶と変わらず、守られることに免疫がない彼女は固まってしまう。


「行っていいか?」


「は、はい……」


 見るからに戦闘力を持っている墨也に若者達は腰が引けてしまい、去っていく彼らを見送ることしかできなかった。


「あ、あの、色々と本当にありがとうございました」


「ありがとうございました墨也さん!」


「おーう。それより視線が集まるから早く頭を上げてくれ」


 赤奈は墨也と会った時のことを考えていた筈なのに、実際に会ったらなんと言えばいいか分からず、桜と一緒にとにかくお礼を言わねばならないと頭を下げた。尤も墨也の言葉通り、美しい少女達が筋肉達磨に頭を下げる光景は注目の的になっているが。


「とりあえず歩こう。それにしてもうちに来る予定より随分時間があるが、なにか買い物か?」


「えーっと、お菓子を買いに行く途中でした」


「なぬ? まさか俺への菓子折りか? そういうのはいらん……と言っても気にするタイプか。まあ、俺の方もそれこそ家に人が来るのになにも無いと思って、色々買いに行ってたんだよ。ほらこれ」


 墨也が桜の言葉に苦笑しながら買い物袋を少し揺らす。


 赤奈と桜が菓子折りを買いに行こうとしたのは、世話になった墨也の家に手ぶらではいけないと思ってのことである。しかしその墨也も墨也で、家になにも無いぞと買い物に出かけ、ばったり彼女達と遭遇したという訳だ。


「まあ本当に気にせんでくれ。ここじゃあ込み入った話もできないから、このまま話せる場所に行こう」


「いえ! そういう訳にはいきません!」


「これだけお世話になっているのですからどうか……」


「責任感が強いところは一緒だな……」


 気にするなという墨也だが、桜と赤奈の立場ではそういかない。墨也はその姿に二人の共通点を見出す。


「分かった。それじゃあ後で来てくれ。だが本当に気持ちだけでいいからな」


「分かりました!」


「必ずお伺いします」


 どうも彼女達が、こういったことに妥協しないらしいと判断した墨也は、一応釘を刺してこの場を去るのであった。


 余談だが、桜と赤奈が購入した菓子折りはぎりぎり常識の範囲内だった。



「ずっと座禅してる……ひょっとして闘神系なのか?」


 一方統合本部では、座禅をしている黒い禍津神を観察していたが、これが抜け殻で本体は好き放題動いていると知ればひっくり返ったような騒ぎになるだろう。

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