神に捧げられる赤奈とその間に入り込む力の深淵

「ようこそ魔気無異統合本部へ」


「今日はよろしくお願いします」


「よろしくお願いします!」


 その日の赤奈と桜は瀬田伊市を離れ、全てのマキナイを管理している魔気無異統合本部へ訪れていた。


 魔気無異統合本部は、妙に手強い妖が出現することで有名な極東日本を守護しているため予算も潤沢であり、立派な高層ビルの中で大勢の職員が働いている。


 そして、赤奈と桜がこの地を訪れた理由は勿論マキナモードフェイズⅡが原因で、学園にはない機材を使用して調査が行われることになったのだ。


(ついこの前に来たばかりだけど)


 赤奈は太陽光を反射しているビルを見上げながら、少し前のことを思い出す。


 赤奈達は絆を結んでキズナマキナとして覚醒した直後にも、一度調査のため本部に訪れていた。尤も、キズナマキナは研究が行われていた最初期に比べて、今現在は替えが効かない程でないため、定められた調査と検査が終わればすぐに解放された。


 しかし、それはあくまで彼女達が単なるキズナマキナだった時の話だ。マキナモードフェイズⅡという未知の境地に至った者には、相応の調査をしなければならなかった。


 ◆


『マキナモード!』


『マキナモード展開!』


「学園の機材では碌なことが分からないということが分かったが……」


「本部の機材なら大丈夫だとは思うんですが……」


「技術部と上の連中が悪いんだよ。技術部の奴ら、なんでか動きましたからいけますだなんて上に報告して、しかも強力だったからゴーサイン出たけどよ。未だに原理が分かってないシステムの次の段階とかどうしろってんだ」


 特殊な訓練場でマキナモードとなった桜と赤奈を、モニタールームの研究者達がデータと同時に見定める。


 だが、彼らの口から出るのは愚痴だ。


 以前にも述べたが、偶然機能していると言っても過言ではない絆システムは殆ど研究が進んでおらず、その更に先であるフェイズⅡの原理が分かるのは、まだまだ先の話になりそうだった。あるいは、結局分からない可能性すらもあるが。


「唯一の取っ掛かりは、どうも危機的状況に陥った時に発動しやすいことか」


「ですね。雑魚の式神符では反応しませんが、強力な存在に対しては高確率でフェイズⅡになるようです。現に今も、弱めの式神では意味ありません」


 彼ら研究員に光明が全くない訳ではない。学園で行われた調査の結果、強力な存在に押されている場合にフェイズⅡが発動する傾向を掴んでいた。


「じゃあ、なんで他のキズナマキナはフェイズⅡに至れないって話になるんだけどな」


「ですよね……」


 しかし傾向が掴めても気休め程度だ。


 研究対象だった最初期より一つ後の世代のキズナマキナは、実戦データを集めるために激戦を潜り抜けている。だが、フェイズⅡに至った者は誰一人存在せず、なぜ赤奈と桜が特別なのかという問題にぶち当たっていた。


「次はその強力な式神だが、さてどうなるか。うん?」


「失礼します」


「ちょっと。関係者以外立ち入り……」


 いよいよ高確率でフェイズⅡが発動する条件で測定が行われる直前、作業服を着ている者しかいない観測室に、スーツ姿の男性が入室してくる。その見覚えがない別部署の人間を追い返そうとした研究班だが、後からやって来た者を見て言葉に詰まる。


「ふむ。少しは面白いことになっていると聞いたが」


 入室してきたものは、光り輝く布を身に纏った絶世の美男子だ。髪と瞳こそ日本人らしい黒だが、世紀の天才が生み出した西洋の彫刻がそのまま動きだしたような人体の黄金比は、面白そうにモニターに映る少女を見ていた。


 そんな場違いの美青年の登場に、観測室の職員は感動する。


(管理部のクソ野郎! 仕事しやがれ!)


 どころか悪態を吐いていた。


(禍津神を連れてくんじゃねえよ馬鹿!)


 それはこの美青年の正体が原因だが、現代の基準で禍津神なのだ。


 魔気無異統合本部は新しく生まれた神の管理も行っており、施設内で出くわすことはそう珍しくない。だが、会ってはいけない、もしくは非常に面倒な神も存在している。それが人間の益になるどころか害を齎したり、性格がねじ曲がっている禍津神に属する神々だ。


 統合本部の管理部はこれらの神々をなんとかコントロールしていたが、この神は面倒な一柱だった。


 なにせ一言目にはあれが欲しいこれが欲しいと口にして、二言目にはこいつは気に入らないから殺せというような神なのだ。管理部は、気に入らないと言われた者に対しては遠ざけるだけだが、欲しがる物に関しては言われるがままに差し出して機嫌を取っていた。


 こうするのも禍津神が強力なためだ。比較的最近生まれたこの神は、先に誕生した新しき神の力を大きく上回り、何かを与えて大人しくなるなら安いものだった。


「ふむ。女というものを楽しみたいと思っていたところだ。小さい方はいらん。肉付きのいい赤い髪の方を私の神殿に連れてこい。暫くは女と戯れる故、大人しくしてやろう」


「は、はい!」


 突拍子もない神の言葉だが、管理部の人間は喜んだ。この神にはほとほと手を焼かされており、それが女一人で大人しくなるというなら、願ってもないことだった。


「ちょ、ちょっと待ってください! 彼女は貴重な人材なんですよ!?」


「この件は管理部の管轄になった。口出しは控えてくれ」


 管理部の人間に異を唱えた研究者だが、この両者には絶対的な力関係が存在する。神と関わっている管理部は、個人的にも組織的にも背後に神がいるようなものであり、絶対的な権力を持っていた。そのため管理部が話を進めた場合、研究者達には止める術がなかった。


「急げよ」


「はい!」


 神を管理している気になっている、もしくはそう信じたいだけの傲慢な人間は、禍津神に急かされて勢い良く頷いた。


 代わりに。


 彼らよりもずっと有能で、ありとあらゆる手段を札として持っている組織が、管理や制御どころか消去も不可能だと断じて、完全なる敗北をするしかなかった存在の末裔を呼び起こすことになる。


 ◆


 それから数日。


 禍津神に急かされた管理部だが、当然根回しが必要である。だが幸いにもご所望の女、赤奈は同系列の組織である魔気無異学園に通う学生だ。しかも、異能の力を見込まれた孤児であり、魔気無異統合本部が出している補助金で学園に通っていたのだから、それを攻めれば説得は容易い。


「野咲君、これは非常に名誉なことだよ。我が校の学生から巫女が選出されるなど、今までなかったことだ」


「左様ですな。今までは鎮守機関から選ばれていた中、こうして野咲君が巫女に指名されたのは何かの縁です」


 魔気無異学園の理事長室で、壮年の男性である理事長の金村十蔵は肥満で弛んだ腹につっかえながら身を乗り出し、管理部の職員と共に赤奈に迫る。


 言葉だけは理解できるものだ。


 神を鎮める役目はその役職上非常に名誉ある職とされている。それは間違いない。


 では言葉以外の所ではどうかというと、莫大な金が動くチャンスだ。


 今まで神を鎮める人材は、魔気無異学園や統合本部とは少し系統の違う、鎮守機関と呼ばれる組織が統合本部に派遣するという形を取っている。しかしこの鎮守機関、専門職の人間を派遣している適正価格を統合本部に請求しているのだが、その額は本部の人間の顔を顰めさせる程度には大金だった。


 そしていつの時代でも、外部の組織に資金が流出することを嫌うグループが存在しており、それは統合本部だって例外ではない。彼らはなんとか費用を抑えるための努力に取り掛かった。


 これも言葉通りならよかった。


 費用を抑えようとするのは組織として当たり前なのだが……悲しいかな。志ある者が費用削減計画を策定したのではなく、自分の金が欲しい者が率先して動いていた。


 要約すると、そんなことをするくらいなら自前で安く済ませて、不透明な浮いた金を懐に入れたい者達のことである。とは言え、神を鎮める仕事はきちんとしなければならない。


 そこで計画で白羽の矢が立ったのが、統合本部の下部組織といえる魔気無異学園だ。妖を討伐するための教育機関に、新しく神を鎮める分野を設立すれば、遠からず分散している神という大きな利権を独占できると考えて、近いうちに実務段階に移る手筈になっていた。


 故に鎮守分野の設立前に、実績とノウハウの蓄積になり得るこの機会は絶対に逃がせないものである。利権のお零れに預かる金村理事長の口座には、統合本部から既に金が振り込まれていた。


「……」


 そして無言で重厚なソファに座る赤奈に選択肢などない。


「神は神殿から出ることを許さないと言っているが、なにぶん飽き性だからそれほど心配することはない」


「学園には在籍したままで休学という形になるから安心しなさい。いつでも戻って来れる」


 執行部職員の言葉は気休めであり、金村の言葉はその方が都合がいいからだ。


 それでも赤奈は断れない。孤児でも優秀な素質があったため統合本部が関わっている施設で育てられ、学園にも通うことができたのだ。


「分かり……ました……」


「おお! そう言ってくれるかね!」


「いやあめでたい!」


 絞りだすような赤奈と違い、気色を浮かべる大人達。


 縁と柵に捉われた赤奈は、いつ務めが終わるか分からない供物として、神に捧げられることが決定したのだ。



 ◆


(こうするしか……なかった……)


 赤奈は人気ない夜の公園のベンチに座り、桜に送ったメールを思う。


 オブラートに包んで、自分が神の巫女に選ばれたこと。どうも暫く神殿から帰れないこと。そして気持ちの整理を付け、明日説明することを伝えて携帯の電源を切った。


 尤も、どれだけ湾曲にしても桜は正しく理解して行動に移したが。


(相手は男の神……なにを求められているかは分かっている……)


 赤奈は偏見ではなく客観的な事実として、男神が女に求めていることを分かっている。


(ごめんなさい桜………でも……でもきっと私は戻って来るから)


 赤奈が絆と愛の証である桜色の指輪にそっと触れた時であった。


「使えん奴らめ。私は急げよと言ったはずなのに、どうして三日もかかるのだ」


「誰!?」


 赤奈の目の前に、転移したように突如現れた絶世の美男子が顔を顰めながら近づいてくる。その突然の異能の行使に、赤奈は警戒しながら立ち上がった。


「話くらいは聞いているだろう。貴様の主人となる偉大なる神だ。あまりにも遅いから、私が自ら出向いてやったのだ」


(ああ……やっぱり……)


 そんな気はしていた赤奈だが、神の目を見て絶望する。


 その瞳は壊してもいい玩具を見るような目でもあり、地を這う蟻を見るようでもあった。


「人間の女というものに興味があったが、まあ少しは遊べそうだな」


(桜……私は絶対負けないから……!)


 その神の瞳に、馴染み深い好色が浮かんでいるのを感じた赤奈は、これからどれだけ悲惨な目にあっても、必ず自分を保って桜の元に帰ると誓いを立てる。


 そして……神の手が赤奈に伸びて……。


「正直なところ、慌ててやって来たものですから、不意打ち食らわそうにも事情がいまいち飲み込めてなくてですね。まずは話し合いといきませんか?」


「……なんだ貴様?」


「え?」


 神と赤奈の間に巌のような人間が挟まる。


「なんだと言われても……そうですね。予想なんですが、誘拐犯と女子生徒の間に割って入った、善意の一般人といったところでしょうか」


「貴様! ふざけたことを!」


 善意の一般人と宣う男、一条墨也の言葉に神も赤奈もはいそうですかと頷かない。直前まで付近には誰もいなかったはずなのに、神と同じように突然現れた墨也に警戒感を強めた。


「もう人は自分達で立ち上がってるんですよ。神が必要以上に介入するのはよしましょう。人同士の恋仲が幸せに暮らしてるのに、その女が気に入ったからなんて理由はもっての外です。人にとって都合のいい存在になれとは言いません。ですが、人の生を乱すのはやめましょうよ。ね?」


 一見真摯な表情の墨也だが、この血族を知る者なら誰も油断しないだろう。


 じっと観察しているのだ。それが善か悪か中庸か、善き者か悪しき者か。


 そして。殺すべきかを。


「ふんっ。知っているか? 孤児だったこの女が今まで生きてこれたのは、我が下僕達が金を出していたからと聞いた。ならば下僕の主である私が、この女を弄び楽しんでなにが悪い」


「育ててたんだから尊厳も全部差し出せってか? 人に家畜へ対する理論を押し付けるな間抜け。この日本じゃ子供が成長するまで支援するのは当たり前なんだよボケ。お分かり? もう一度言ってやるよ。ここ現代日本だから、それでも命があるだけマシとか通用しねえんだよ。お、分、か、り? ディストピアを支配してる機械かお前? ああそうだ。俺がお前に金出して品性ってのを買おうか? いや、金で買えないものの代表例だったわ」


 神の理論を聞いた墨也の口調が途端に汚くなる。


「家畜とな! それ以下よ! 猿など全て、我ら神の玩具風情に過ぎんわ! それを邪魔するというなら貴様を殺してから楽しむとしよう!」


「なら死ね。変身」


 いずれ。


 いずれ。


 いずれ奈落の虚無タルタロスに至れる資格を持つ者が真っ黒な人型となった。

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