桜への黒い影響

「始めるぞ」


 しーんと擬音が浮かび上がりそうなほど、魔気無異学園の教室は静寂に包まれた。


 教室に入ってきたのは女教師は、黒いスーツとズボンを身に纏い、女らしい体のラインが浮かび上がっているが、顔が、もっと言えば目だけで人を殺せるかのような人相の悪さだ。


 名を安藤優香。優しい子に育つようにと名付けられたものの、そこに慈愛など一欠けらもなく、あるのは油断も隙も無い戦う者の気配を持つ女傑だ。実際戦闘力も抜きん出ており、在学中に学生が勝つことはできない壁として聳え立っている。


 そんな教師だから、当然学園中の生徒から恐れられており、私語などしようものなら殺されると本気で思われていた。


 桜が所属するクラスも例外ではなく、これが安藤の二回目の授業なのに、生徒達は背筋を伸ばしてる。


「前回の授業の最後、自分に足りないものを考えてこいと言った。伊集」


 安藤は学生に手を上げろと言っても、無駄な時間を費やすだけだと知っているので、出席番号一番の桜を指名した。


「はい! 筋力と誰も知らない必殺技です!」


(桜らしい)

(可愛い……)

(やっぱり変わってないんじゃないか?)

(必殺技って……)

(よかった。いつも通りの桜だ)


 はきはきと答える桜に対してクラスメイトは、あまりにも単純な筋力と、子供っぽい必殺技という単語に頬が緩む。中には男子生徒の視点で、ここ最近おかしくなっている桜が、普段通りになったと安堵している者もいた。


「必殺技とはどういう意味だ? 高威力の攻撃か? 範囲攻撃か?」


「え、えーっと。か、必ず殺す技? みたいな……」


(え?)

(はい?)


 頬が緩んでいたクラスメイト達だが、安藤の問いに答えた桜の言葉にポカンとする。クラスのマスコットのようなアイドルのような可愛らしい桜と、必ず殺す技という単語はまるで合っていなかった。


「誰も知らないとは言葉通りか? 確か二年の野咲と絆を結んでいたな。彼女もか?」


「え? いやその、赤奈先輩は大丈夫かなあと」


「駄目だ徹底しろ。親兄弟から恋人、友達、近所の悪ガキから野良犬に至るまで、誰も知らん必ず殺す技を持て」


(なんだか大事に!?)


 桜は誰も知らないとは言ったものの、愛する赤奈は例外だと思っていた。それなのに安藤は大真面目な表情で、言ったことを徹底しろと念を押してくる。


「詰めは甘いが、伊集が言ったことは正しい。初見殺しと不意打ちは戦いの基本だ。それが通用しない場合、長期戦に必要なのがフィジカルなことを考えると、お前達はまだまだ足りていない」


 力説する安藤だが、桜の答えは受け売りでしかないため、詰めが甘いのは仕方ないだろう。


『す、す、墨也さん! 私に足りないものってなんですかうきゃああああああああ!?』


 桜は墨也に足を刺激されている最中、とんでもない激痛からなんとか意識を逸らそうと、自分に足りないものを尋ねた。


『そうだなあ。筋力と筋力、あと誰も知らない必ず殺す技と書く必殺技だな』


『いたたたたたあああああ!?』


 すると殺伐とした返答が返ってきたが、桜の本当の目論見は上手くいかず、悲痛な叫び声をあげることに変わりはなかった。


 だがこれは、桜の思想まで邪な影響があるということに他ならない。


 しかもである。


『組手相手がいなくて困ってるんだけど、暇なときに相手をしてくれないか?』


『私でよければ喜んでええええええええええ!?』


 余計なおせっかい焼きである墨也は、単に桜の訓練相手を申し出ても遠慮されると思い、自分が困っていると説明して、彼女の思想だけではなく戦闘方法まで自分色に染め上げようとしていた。


「よし。では次」


 安藤が次の生徒を指名する。


 魔気無異学園の生徒達は、こうして逞しくなっていくのだった。


 ◆


「はあ……」


「どうしたの花蓮ちゃん?」


 休み時間に桜は、心底面倒そうな溜息を吐く女友達を気にして声を掛けた。


「実家からお見合いの写真がどさっと送られてきたのよ。マジで面倒」


「なるほど……」


 桜は退魔で著名な家に生まれた友人の悩みに頷くしかない。


 こういうった家は血筋を重要視するので、できるだけ優秀な者を取り入れてその子を望んでいる。そのため、学生だろうとお見合いの話が絶えることはなく、まだまだ青春をしたい者からすれば鬱陶しいことこの上なかった。


(赤ちゃんかあ)


 一方、桜は可愛らしい赤ん坊を抱きあげている姿を想像するが、それには相手が必要だ。


(……赤奈先輩と私と墨也さん?)


 一瞬だけ。ほんの一瞬だけ桜は、自分と赤奈がソファに座る墨也を挟んで、赤ん坊をあやす光景を幻視する。


 それなら色々と問題が解決するのだ。色々と。


「顔真っ赤だけど大丈夫?」


「え!? だ、大丈夫!」


「明日、野咲先輩とデートとか言ってたから興奮した? 鼻血が出た時用のティッシュいる?」


「私のことなんだと思ってるの!?」


「隙あらば襲い掛かる猪」


「猪!?」


 その幻視は友人の揶揄いで霧散した。


 そして確かに桜は明日、赤奈とショッピングに出かけるのだが、夕方は用事があると言っていた。


(明日は朝から赤奈先輩とお買い物して、夕方は墨也さんところで)


 桜は、愛する赤奈と買い物に出かけた帰りに、男の部屋に訪れようとしていたのだ。


(こ、今度は三十分で済むって言ってたからきっと大丈夫! 多分!)


 足つぼを刺激されに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る