連れ込まれた桜と足つぼ

「着いた。このアパートに住んでる」


 墨也がアパートの駐車場に車を止める。


 墨也のアパートは特徴がある訳ではない。オンボロではなく、さりとて高級感もない、いたって普通のアパートだ。


 問題なのは、筋肉達磨の住処に連れ込まれる可愛らしい桜という構図が出来上がることだが、幸いなことに誰かに見られることはなかった。


 そして桜は墨也の、邪神の巣に足を踏み入れた。


「悪い。物が多いが勘弁してくれ」


「いえそんな!」


 苦笑気味な墨也に対して、手を横に振る桜だが、客観的な事実として部屋は物で溢れていた。


(凄い色々ある。墨也さん、やっぱり気圧師なんだ)


 桜が部屋をぐるりと見渡すと、医学に関する論文、靭帯や半月板が付属している膝、肘の模型、薬の図鑑などが目につき、墨也が医療に携わっていることを実感する。


(これは……なんだろう? プロ……テイン? プロテイン!? こんな大きい容器に!?)


 次に目についたのが、英語で表記されたそこらの炊飯器よりも大きな容器だ。一見バケツのようにすら見える容器に入っているのはプロテインで、桜は常識外なサイズに目を見開いてしまう。


「お目が高いな。それはアメリカに直接行って、吟味に吟味を重ねた末にたどり着いたプロテインなんだ。プロテインはいいぞ桜。高度なマッスルはマジカルと区別が出来ない。筋肉は全てを解決する。そんな格言があるが、そこに至るまでにはプロテインが必須だ」


 桜の視線に気が付いた墨也は、急に饒舌になって馬鹿なことととプロテインを連呼する。


「やっぱり筋力なんですね! 墨也さんが戦うところを見て私もそう思いました!」


「そうとも」


 墨也が馬鹿なら桜は少々天然である。


 しかし、筋肉達磨な墨也の体が凝縮された、邪神形態の肉弾戦を見ている桜には、十分説得力があるものだった。それに桜は、巨大な機械腕で戦うから尚更である。


「そういやキズナマキナも普通のマキナイも、筋肉は凝縮されて見かけじゃ分かりにくいんだったな」


「はいそうです。あまり鍛えてる実感が湧かなくて」


 墨也はしょんぼりしている小柄な桜が、実は見かけよりもかなり鍛えていることを把握していた。


 機械で戦うキズナマキナや異能を扱う通常のマキナイは、その力が内側で複雑に作用しているため、筋肉が凝縮する傾向にある。それ故に外見上では普通の人間で、魔気無異学園の生徒も単なる学生にしか見えない。


 実はこれ、学園が設立された当初の瀬田伊市で、ある意味社会問題の原因となったことがある。不良が喧嘩を売った貧弱そうな相手が、日常的に戦闘訓練をしている魔気無異学園の生徒だったということが起こり、異能も使われず返り討ちになった事件があった。


 不良たちは木刀などを持ち出していたため、生徒の正当防衛が認められたが、一皮剥けば人間から逸脱しかけている者がうろちょろしていることに、一部の者は慄くことになる。


「なに。桜の努力は実を結んでるぞ。妖界での戦いを見れば分かる」


「ありがとうございます!」


 ここでも相性が良すぎる。


 桜は未熟なマキナイの卵であるため自己肯定感が少々低いが、墨也は彼女の体の鍛えようを把握しているので、その努力を認めて肯定した。


「とりあえず座ってくれ」


「はい!」

(よく考えたら男の人の部屋に入るのって初めて?)


 墨也に促されるままソファに座る桜だが、彼女は子供の時から外で遊びまわるのが好きだったので、今まで男友達の部屋にも入ったことがなかった。


(ま、また! 気のせい!)


 その初体験を実感した瞬間、再び妙な感情が沸き上がるが、それを桜は気のせいだと打ち消した。


「じゃあ改めてインフォームドコンセント……専門用語出しちまった。説明と同意ってやつをするな」


「はい!」


 墨也は専門職に携わっている者特有の、専門用語を口にしてしまう悪癖を出しながら、あらためて説明を行う。


「戦闘者として高みに至った結果、霊的な感覚と感受性が高まり、絆で戦うキズナマキナの能力が合わさって、敵意や害意だけでなく、まあ、あれだ。欲も感じ取れるようになってるのが現状だ」


「はい……」


 車の中で説明されたことだが、桜にしてみれば、男子生徒達からの裏切りのような想いは、彼女の顔を暗くするには十分だ。


(スカート長いのにしないと。それと訓練服も出来るだけ肌が見えないのにして、遊びに行くのも止めよう)


 視線にも敏感になっていた桜は、学園で男子生徒がどこを見ていたかを察していた。それ故に、自分を守るための考えをようやく持つに至った。


 しかし、全ての男を忌避している訳ではなく例外もいる。


「それに対して、感受性を麻痺させる気圧を一時間行う。これで一週間は大丈夫だが、正直なところ、気脈を乱して麻痺させる技は、正規の技術とは言い難い裏の技だ。それでもいいか?」


「はい!」


 例えば、桜を心配しながら彼女の瞳だけを見ている墨也とか。


「後はメンタルケアだが……相談があったらいつでも聞くし、学園の外に逃げ場が欲しかった来てくれ。とは言ってもこちらはあんまり心配していない。なにせ覚悟を見たからな」


「あ、ありがとうございます……」


 しかも墨也は、桜を心配するだけではなく、マキナイとして学園に通い続けると決めた彼女を信じているかのように、逞しい笑みを浮かべる。それに桜は耐えきれなくなったのか、ついつい恥ずかしそうに俯いてしまう。


「では気圧を行おう。手を洗ってくるから、ソファに横になっててくれ」


「分かりました!」


 桜はその恥ずかしさを隠すように、元気よく墨也に応えるが……懸念があった。


(だ、大丈夫だよね! 死ぬほど痛いって言ってたけど墨也さんだから。で、でも、墨也さんが嘘つくとは思えないし、やっぱり痛いのかな!?)


 墨也から散々痛いと脅されている上に、その逞しすぎる骨格を考えると、どう考えても言葉通りの運命が自分を待ち受けているとしか思えないのだ。


「よし。防音のための結界も張った」


(やっぱり痛いかもおおおおおおおおおお!)


 服の袖をまくって手を洗い終わった墨也は、その逞しすぎる前腕を披露するが、それを見た桜は心の中で絶叫した。


「じゃあ足裏を押すぞ」


「は、はい!」

(大丈夫。大丈夫。大丈夫)


 いよいよその時が訪れた桜はソファに横になったまま、心の中で平静を保とうとする。


「そい」


「んいきゃあああああああああああああああああああああああ!?」


 軽い墨也の掛け声だが、桜の上げた叫びは全くその比ではない。


 彼女は足裏から発生した激痛を脳が認識した瞬間、断末魔を上げる猫のような声を出しながら、本能的に墨也の腕を止めようとした。


「良薬口に苦しと一緒だ。足つぼは激痛とセットなんだよ。それ」


「絶対嘘おおおおおおお!?」


「嘘じゃない嘘じゃない。動画サイト見てみろ。皆悲鳴を上げてるから。そい」


「いたあああああああああ!?」


 桜は涙まで流しながら墨也を止めようとしたが、そのたびに発生する足裏の激痛にそれどころではなくなり身をよじって逃げようとする。しかし邪神流柔術後継者に捕まっている以上、力での脱出は不可能だ。


 そして、普通なら別の気圧師を呼んでくれと頼めるのだが、生憎と生命に直結する気脈を乱す技を習得しているのは、それだけでも犯罪に関わっていると自白しているようなものだ。そのため裏の世界でも数名しかおらず、代わりを呼べないのだから、桜はただひたすら耐えるしかない。


「じゃあ一時間頑張ろう」


「が、頑張りまああああああああああ!?」


 哀れ伊集桜。彼女は一時間もの間、墨也が病院から追放された原因を味わう羽目になったのだ。

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