桜の心に迫る墨也の手
(体に異常はなかったが、実戦を経験して感覚が鋭敏になりすぎてるか?)
墨也は車を運転しながら、桜に起こった異変について考える。慢心でも過信でもなく、精密検査と遜色なく人体を把握できる墨也は、桜と別れる日に彼女の体を確認して、問題ないと結論を下している。そして研究では、妖界は人体になにも影響を及ばさないと結論されているため、考えられることはそう多くない。
(僅かな動作を感じて頭の中で声に変換されたり、戦いの読み合いの中で、予知のように先が見えることもある。感受性が高そうな桜だからあり得るな)
可能性が高そうなのは、実戦を経験した桜が戦闘者として高みに至り、無意識に周囲の動作を声に変換していることだ。
実際に墨也はそういった現象を体験したと聞いたことがあるし、それなら桜の体に異常がないことを説明できる。
(分かったぞ。キズナマキナは絆を持っているパートナーとの愛情で強化されるんだったな。ある程度付き合いがある奴の欲の想いを、戦う者として成長した桜は、無意識に敵意として読み取ってるんじゃないか? もし負の念ばかり読み取れるなら、多分これが原因だな。それに欲情も愛の一部と言えるか)
更に墨也は仮説を組み立てる。あまり研究が進んでいないキズナマキナだが、パートナーからの強い愛情を受け取って戦闘力が強化されることが知られている。そのため墨也は、想いの感受性を強め過ぎた桜が、拾わなくていい愛と言えなくもない欲情を感じているのではと考えた。
(いた。随分嫌な念を拾ったらしいな)
魔気無異学園の正門に近づいた墨也は、警戒するように辺りを見渡す桜を見つけた。
「桜、乗ってくれ」
「墨也さん!」
桜は、学園の正門に止まった軽自動車の中にいる墨也の声を顔を認識した瞬間、この世で唯一安全な場所に駆け込むように、助手席に座り込んだ。こういったところでも、未だ彼女が男との距離感を誤っていることが分かる。
「大丈夫か? 俺の心の声も聞こえるか?」
「えっと、声が重なって聞こえます」
墨也は車を出しながら、単刀直入に尋ねた。
(よかった! やっぱり墨也さんは変なことを考えてない!)
一方の桜は、墨也の声と心の声らしき物が一致していることに安堵していた。つまり墨也は邪なことを考えず、心から桜を心配していることの証明であった。
「いつからだ?」
「昨日からです」
「嫌なことを聞くが、学園ではどんな声が聞こえた?」
「その……私を押し倒すとか、自分のものにするとか……」
「そういう嫌な声だけか?」
「はい」
(男の、男の人は私をあんな風に……)
桜はできるだけ考えないようにしながら、墨也に答えていくものの、それでも彼女が聞いた声はべったりと耳に張り付いている。
「まず病院へ行くか? ただ、あんまりお勧めはしない」
「その……治りますか?」
「分からん。急に心の声が聞こえるという症例がないから、かなり長くなることは覚悟しておいた方がいい。裏の後ろ暗い研究者とか医者なら、ひょっとしたら何か知ってるかもしれない程度だ」
墨也はまず一般論として病院へ行くかと桜に聞いたが、心の声が聞こえるようになった彼女に不信を与えないよう、包み隠さず正直な考えを告げた。
異能が溢れる現代ですら、心の声が聞こえる能力者は存在せず、いたとしてもそれは表に出ないような組織が重宝していたりするかもといったあやふやなものだ。
それ故に、単に病院へ行ったからといって、桜の症状が劇的に改善する見込みはなかった。
「それでお勧めしない理由だが、心が読める力を欲しがって、色々なところが接触してくる可能性がある。勿論きちんとした組織もいるだろうが、桜には向いてない上に所属しなかったら危険だと判断される可能性が高い」
「そんな!?」
心を読めるのは強力過ぎる力だ。それ故に、桜に対する病院の守秘義務はないと考えていい。ましてや異能を研究する病院や機関は、多くの組織と関わりがあるため尚更だ。勿論公的な機関も多いが、人の悪意や本音を感知するため利用されるのは確定している。これが適正ある人間ならいいが、桜にないのは明らかで、心を壊すのは目に見えていた。
しかし、所属しなかったら危険すぎると排除される可能性が高く、その力が無くなったと言っても聞き入れることはないだろう。心を読むとは関係ない他者までも疑心暗鬼を引き起こす力なのだ。
そして墨也は、人の善意を信じていると同時に、人の悪意を信じている。間違いなく桜を巡ってよからぬ企みが動くと確信していた。
「ってな訳で、病院勤めじゃない一条墨也気圧師の所見を聞くか? おっと。医者じゃないから診察じゃないぞ」
「は、はい!」
墨也は暗い話題を打ち払うように、敢えて冗談めかす。
「戦うものとして意識が拡大して、敵意や害意だけじゃなく、欲情も拾ってるのかもしれない。ひょっとしたら、キズナマキナであることの影響も考えられる」
「で、でも墨也さんは」
敵意や害意、欲情と言われても、桜は墨也からそんな声は聞こえてこないと否定する。
「俺は根っこが邪神だから、存在が邪なのさ。おっと自虐してるわけじゃないぞ? 気にしてないし単なる事実だ。ただ、俺の声が聞こえるのは過敏すぎる。普通はよっぽどの存在でも無理だ。そうだな……明鏡止水の境地にいるから……は分かりにくいか」
しかし清らかと自称する墨也の一族だが、彼自身神としての立ち位置がほぼ闘神でも、大本の祖が暗黒だ。そこから全人類のマイナスエネルギーが続いたため、頑固汚れを引き継いだ墨也もれっきとした邪神である。
そして通常の異能で、墨也の心の中を覗き込むことはほぼ不可能だ。僅かな隙間もない程に完成された精神防御壁は、その類の侵入を許さない。ただ、心に侵入するのではなく、発する心の声を拾うだけなら、特別な才能を持つ者が可能かもしれない。
幸か不幸か、感受性が強すぎる上に絆の力で戦う桜は、その特別な者の一人だった。
余談だが、ほぼ人間である墨也の心の中を覗き込んでも問題ないが、家系図の上を辿れば辿るほど、決して覗いてはいけない。もし覗いたら、深淵を超えるナニカに見つめ返される羽目になるだろう。
「それでも……墨也さんが邪なんて思えません。だってこんなにも……私のことを心配してくれてて……」
自らを邪な存在だと言う墨也を桜は否定する。
墨也の心の声は、実際の言葉と何ら変わりないどころか、より心配する想いを桜は心で直接受け取っていた。
落差が酷すぎた。桜は学園で無遠慮に妄想を送り込まれた後に、自分を心底心配する男の想いを感じてしまったのだ。
「ありがとうな。さて、所見を言ったところで、実際に確認してみるぞ。掌出してくれ。ちょっと痛むけど勘弁してくれ。鋭敏になりすぎてると思わしき霊的な感受性を麻痺させる。心配すんな。気脈を整える腕は並でも、麻痺させるとか乱すのは超一流だ」
「はい!」
信号で止まったタイミングで、そんな男に掌を出してくれと言われた桜は、かなり後半の言葉は怪しいのに、何の躊躇いもなく小さな手を差し出した。
麻痺や乱すと言っているが、正確に述べると超一流なのは壊すことだ。
「とりゃ」
「うきゃ!?」
墨也の大きい親指でぐっと掌を押された桜は、そこから発生した痛みが体から脳に伝わり、可愛らしい悲鳴を上げて仰け反る。
「今俺の声どうなってる?」
「え? あ! 重なってません!」
「よしよし。これで霊的な感受性が暴走していることが確定したな。なあに、邪神流柔術と剛術の免許皆伝者は活殺自在だ。その言葉通り、キズナマキナとして必要な感受性はそのままに、余分なのは聞こえない程度の調整をしよう」
「ありがとうございます!」
またしても不穏な言葉を告げる墨也だが、桜は心の声が聞こえないことに感動してそれどころではない。
だが実はこの機能を麻痺させる技、気脈を整える通常の気圧師としては邪道だ。なにせ人体の生命に直結する気脈を乱すのは、人を壊すことを徹底的に極めた果てにある境地で、通常の人間なら獲得するはずがない技術だった。
「尤も、キズナマキナとして人の想いを受け取りながら戦う以上、ずっと定期的な処置が必要だぞ」
暗に、キズナマキナを止めた方がいいと言っている墨也だが。
「私が嫌な目で見られるのと、誰かのために戦うことは別です!」
桜は力強い目で墨也を見返し、嫌な思いをしようが肉欲を受けようが、それと罪なき人々を守るのは全く別のことだと宣言した。
「お前さん、本当にすごいよ。心の底から尊敬してる」
「あ、いえ……そんな」
丁度麻痺していた感覚が治り、ダイレクトに墨也からの想いを受け取った桜は、微笑んだ彼を直視することができず顔を伏せてしまう。
(こ、この感じ……)
桜は内に渦巻く異常に気が付いた。それは、彼女が愛する赤奈を初めてみた時、そして結ばれた時に脈打った心臓の音と同じだった。
(き、気のせい!)
それを気のせいだと断じた桜だが……キズナマキナの力を司る、左手の薬指にある指輪の宝石は、ほんの一瞬だけドス黒く染まっていた。
「ちゃんとやるなら大体一時間分くらいは足つぼを押す必要があるな。それで一週間は大丈夫なはずだ。そんでもってさっき伝えたけど、死ぬほど痛いから気張ってくれ。ああ、俺のアパートでやるけど、声が漏れないように結界張るから、その辺りは大丈夫だぞ。じゃないと警察が飛んでくるからな」
「え?」
だが……それどころではない危機が……桜に墨也の巨大な手が迫ろうとしていた。
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