夢見る乙女に忍び寄る邪悪な影(主人公)

「キズナマキナって事はパートナーがいるんだよな。どんな人なんだ?」


 桜の初めての勝利を祝う祝勝会が開かれ、墨也はお菓子とジュースを口に入れながら、彼女のメンタルケアを行おうと、心の支えであろうパートナーの事について尋ねた。


「一年年上の、野咲赤奈先輩って言う人です!」


 その質問に桜はそりゃもう食いついた。どうやら命の恩人である墨也に、自分の敬愛する赤奈の事を教えたくて仕方ないらしい。


「ほほう。当ててやろう。たった一つ年上とは思えない様な、大人びた人と見た」


「す、凄い! どうして分かったんですか!?」


「ふ。これが人生経験の差というものだよ」

(こんな元気娘が一つ上と絆を結んでるんなら、自分にはない包容力みたいなもんに惹かれたと思ったけど正解か)


 まさに墨也の予想通りだった。天真爛漫な桜は、自分にはない赤奈の大人びた包容力と頼もしさに惹かれたのだ。


「赤奈先輩と初めて会った時、わあ、すっごい大人な綺麗な人、私もあんな風になれるかなあって、一目惚れみたいに憧れちゃったんです!」


「ふむふむ」


「その後一週間くらいだったかな? 靴箱に赤奈先輩の名前で手紙が置かれてたんです!」


「ふむ?」


 当時の思い出を語る桜だったが、一方の墨也は、はて? マキナイが絆を結ぶ手順はそういった流れなのか? っていうかそれって……と思い始めていた。


「読んでみたら放課後、体育館の裏に来て欲しいって書かれてて!」


「ふむ……」

(マキナイのパートナーってそういう意味だったんだなあ)


 もう大体察した墨也である。


「行ってみたら、赤奈先輩が交際を申し込んでくれたんです! 私嬉しくて抱き付いちゃって!」


「なるほどねえ」

(なるほどねえ)


 声と心の声が完全に合致している墨也は、キズナマキナ達の恋愛事情をこの時初めて知った。


 というのも絆システムが発明されてそれほど日が経っておらず、彼の様な自称一般人はそれに触れる機会が無いのだ。そのため現在、絆システムのテストモデルとなっている、魔気無異学園の一部生徒の恋愛事情は、世間に認知されていなかった。


「赤奈先輩とっても優しいんです! それに手を繋いだら温かくて、いつも優しく微笑んでくれて、それでそれで、あっ! クリスマスは、二人っきりで温泉に行く予定も立ててるんです!」


「ほほう」

(ほほう)


 まだ声と心の声が一致している墨也は、つまり戦闘者としての一つの到達点、明鏡止水の状態となりながらお湯を沸かし、ブラックコーヒーを作る準備をしていた。自分の一族全員が、惚気だしたら長い上に切りが無いから至ったこの境地を、彼は最大限に有効活用しているのだ。


 まあ流石の彼も、強い絆を持つ者を思い出して貰って、帰る意思を再確認させようと話を振ったら、まさか恋人の惚気話を聞かされるとは夢にも思っていなかった。


「でもやっぱりその前に海ですよね! もう少し先ですけど海水浴デートです!」


「ふむふむ」

(おかしいな。なんだか具合が悪くなって来たぞ)


 だが、若さと元気溢れる惚気を聞かされるのは初めてだったせいで、独り身の墨也は徐々にその精神を追い詰められていった。


(帰ったら水着を買わないと! まだ早いかな?)


 一方、一応墨也の思惑通り、元の世界に帰る決意を新たにしている桜だったが、夢描いた愛する赤奈との思い出作りは、全て歪み切ってしまうなど考えもしていなかった。


 赤奈と行くはずだった海に……

 見上げたのは花火ではなく……

 紅葉を見ながら手を繋いだ相手は……

 聖夜に愛を囁く先は……


 その全てが今の彼女が想像しているものとはまるで違っていた。


 頼りになる大人びた赤奈に惹かれた桜だが、ここにもいるではないか。しかも妖界という、自分達以外は全て敵という極限状態の中で隣に。


 しかも肯定してくれて、信じてくれて、守ってくれて、共に戦ってくれて、気にかけてくれて、一緒にいてくれる存在が。


(早く赤奈先輩に会いたいなあ!)


 桜と赤奈の絆の証である指輪、その宝石は深紅に染まっていたが、ほんの僅か、ほんのちょっとだけ、ドス黒い染みが一瞬だけ浮きあがった事に、桜は勿論、墨也も気が付かなかった。


「帰ったらちゃんと墨也さんにお礼したいんですけど、どうしたらまた会えます? 赤奈先輩も紹介したいんです!」


 そしてこの場限りの関係だったはずなのに、少女は道を踏み外して繋がりを求めてしまう。


「ああ、携帯番号と住所を書いて渡すよ」


 巡り合わせも最悪だった。墨也は解雇されたことにより、この世界から去る選択肢も浮かんでいたため、邪神としての姿を見せた上で、別に住所が知られてもいいだろうと、桜との関りを完全に断つつもりがなかった。もし騒ぎになればこの世界から去ったらいいだけだと、ある意味安直に考えていたのだ。


「ありがとうございます!」


 そのせいで、触れ合っていただけの糸がしだいに絡み始め、結ばれ、いつしかどうしようもない程ぐちゃぐちゃとなり、ついには一体化してしまうだろう。


「それでその、よかったらお礼をした後も会いに行っていいですか?」


 最早、後戻りできない言葉。


「ああ。俺も桜の綺麗な目をまた見たいからな」


「も、もう! 恥ずかしいです!」


「あっはっはっは」


 真っすぐ瞳を見て来る墨也に、桜の体のどこかでズグリと音が鳴ったが、彼女がそれに気が付くことはなかった。



「すう……」


 桜は夢の中にいた。初めての勝利で精神的に高揚していたため、一日があっと言う間に過ぎ去り、今は寝袋に入って熟睡していた。


 しかし、例え夢の中でも桜に安寧の場所は無かった。


『クケケ!』


『いやあああああ! 妖の赤ちゃんなんか産みたくないいい!』


 夢の中の桜は、まさに絶体絶命だった。忌々しき天狗に敗れた、あの時の経験を追体験していたのだ。そして赤奈に助けを求め……


『墨也さん助けてえええ!』


 いや……違った。確かに桜があの時助けを求めたのは赤奈だったが、夢の中での彼女は、愛する人ではなく墨也の名を叫んだのだ。ある意味で成功体験を脳が覚えていたのだろう。


『おう』


『墨也さん!』


 それに応えるよう、夢の中からドロリと黒い人影が……これも違った。実際には、真っ黒な人型だった邪神形態の墨也が乱入してきたが、夢の中では素顔のままの彼が現われたのだ。


『しっ』


 後の流れは同じだった。墨也が天狗を地面に叩きつけ、その頭を踏み砕いて勝利したのだ。


『ありがとうございます墨也さん!』


『おーう』


 短い付き合いだが、多分墨也ならこうするだろうと、桜の脳は手をひらひらと振る彼の姿を形作る。


 そこに赤奈の姿は何処にも無かった……。


 ◆


「うへへ……」


(大物というか図太いというか……)


 邪神の系譜の癖に夢に這い寄れない墨也は、桜が魘されていたら起こそうと思っていたが、聞こえてくるのは締まりのない笑い声なのだ。ここが敵地のど真ん中であると考えると、彼でなくとも桜の事を図太いと評するだろう。


 しかし夢に入り込めなくとも、桜の夢の中には墨也がいるときた。それを彼が知る術はなかったが、もし知れば何とも言えない顔になっただろう。


(しかしひどい目に会った……)


 墨也が思い起こすのは、明鏡止水の境地にいたのに、それを貫通してダメージを与えて来る桜の惚気話だ。そのせいで彼は、桜のパートナーである赤奈と全く面識がないのに、ある程度赤奈の事に詳しくなってしまった。


(耐性が無かったら死んでたな)


 だがしかし。両親、従兄弟に再従兄妹、叔父叔母、祖父母、曽祖父母、高祖父母なんかから常に惚気話を聞かされて育った墨也の耐性は、カーボンナノチューブもびっくりな強度だった。


(俺もなあ……)


 だがここ数年、その耐性に綻びが出始めていた。


(結婚なあ……)


 それなりに結婚願望がある墨也だったが、困ったことにこの男、外見ではなく魂や精神といったもので女性を判断しているため、悪徳蔓延る現代では、これぞと思う者に中々出会えなかった。そのため女性と付き合ったことがないし、しかも彼本人はつい先日無職になったときた。これでは女性の方からお断りなのは当然で、結婚なんてものは夢のまた夢だろう。


 その上段々と従兄妹達が結婚し始め、あれ、墨也君の結婚はいつ? あ、ごめんごめん。彼女いなかったね。ぷぷぷ。とマウントを取ってくるため、邪神流戦闘術継承者による仁義なき戦いが勃発してたりする。


(まあ母さんの方の爺さんも、結婚自体は遅かったし、俺と同じでほぼ無職だったな。なら大丈夫だな! はは……)


 だが、その濃すぎる家系図の中には、そこそこいい歳で結婚して、その上肩書は幾つかあっても実質無職だった者もいて、それが墨也にとって心のよりどころであった。


(ひい爺さんかその辺りを呼んだら、桜をすぐ帰してやれるんだけど、従兄弟連中も含めて全員デカすぎる上に厄いからな……)


 その濃すぎる家系図にも欠点がある。どいつもこいつも個性的過ぎる上に厄過ぎて、単純に助けを呼べばいいというものではないのだ。例えば墨也をひたすら甘やかした高祖父を呼べば、すぐにやって来て彼らを元の世界に戻してくれるだろう。その代わり、あまりにも圧倒的な力を持つがゆえに存在の格が大きすぎるため、こちらに来る途中で時空間を滅茶苦茶にして、世界に未曽有の大災害が齎される可能性が高かった。


(やっぱなしだな……)


 大邪神の血を持つ者の中で、最も常識人な墨也はその考えを改めて却下した。そんな事をすれば、桜と自分の責任で収められる範囲を軽く超えてしまうのだ。


(地道に時空間を広げていくしかないか)


 その一族の中で、墨也はほぼ例外的に別世界への道を、周りへの被害なく広げて通ることが出来た。これは大邪神の系譜ではなく、別の血が混じった事によるものだが、問題は墨也が不器用すぎて、別世界への道をすんなり通れても、それを作り出すのに時間が掛かる事だろう。


 余談だが濃すぎる家系図の中で墨也はとびっきりの一人で、その血を辿ると邪神の呪いが効かない超越した精神の持ち主、天使、聖女、時空漂流者などが名を連ねており、墨也は邪神の系譜の癖に、対邪神に置いて特効的な力を有しているため、従兄妹連中は墨也を揶揄う時、かなり覚悟をする必要があった。まあ、そんな血が混じっているのに、墨也の大本の力が大邪神な辺り、流石は自称頑固汚れ筆頭の力だろう。


 そんな墨也が、今後の予定を考えている最中、夢の中の桜は……。


 ◆


『あの、墨也さん……この水着どうですかね……』


『お、おう、その、なんだ』


『ほら桜、もっとちゃんと見せてあげないと』


 海辺で愛する赤奈に促されながら、墨也に照れながら少々際どい水着を披露する桜。


 ◆


『たーまやー!』


『ふふ。かーぎやー』


『ちょ、ちょっと近くないか?』


 浴衣姿の桜と赤奈が、墨也を挟む様にしてくっつき花火を見上がる。


 ◆


『紅葉が綺麗ですね!』


『落ち葉で焼き芋って言いだすかと』


『もう酷いです墨也さん!』


『ふふふふふ』


 赤奈と桜が墨也と手を繋いで、紅葉を目で楽しむ。墨也を通して赤奈と繋がっているのだ。桜の中で違和感はなかった。


 ◆


『す、墨也さん……』


『さあ、いらしてください』


 そして雪化粧に染まった旅館に泊まり、敷かれた布団の上で……。


 ◆


「すう……」


 可愛らしい寝息を立てる桜だが、その夢は果たして……。


 彼女の、いや、彼女達の運命はどうなるのか……それは神のみぞ知る事だろう。

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