二人っきり

「おはようございます!」


「おはようさん」


 肝が太いというか図太いというか、ともかく敵地のど真ん中の様な妖界で、桜は睡眠をとることが出来た。間違いなく大物であろう。


「これ体拭きシート」


「ありがとうございます!」


 風呂なんてものは流石に墨也の体の中に無い為、介護用の体拭きシートを桜に手渡す。


(ちゃんとテントは閉めろって言うのはセクハラだな)


 昨晩、テントを閉める閉めないで意見が違ったため、墨也は喉まで出かかった、体を拭くときは閉めろよ。の言葉を飲み込む。完全にセクハラだったのだが、桜はもっと斜め上だった。


「よいしょ」


「お、お馬鹿!」


「え? きゃあすいません!」


 なんと桜はテントを閉めることなく、そのまま服を脱いで体を拭こうとしたのだ。これには墨也も慌ててテントの前を閉めたが、桜は桜でそうだったと失念していたが、流石の彼女も顔を真っ赤にしていた。


(こんだけ明け透けなら、学園でも悪い意味で男を引き寄せてるだろうな……)


 その桜の無防備さから導いた、墨也の予想は当たっている。まさに彼女は無自覚に男を誘惑するのだ。しかしその性格は天真爛漫そのもので、そのギャップが更に男を引き寄せる悪循環となっていた。


「シートはビニール袋に入れてくれ。後で燃やすから」


「はい……」


 墨也がテント越しに桜に話したが、流石にその返事は蚊の鳴くような声だった。


「お待たせしました……」


(無かった事にするか)


 俯いている桜に対して、何も言わないことが墨也の優しさだった。


「そんじゃそれ燃やすから」


「あ、はい。燃やすんですか?」


「そうそう。妖界で体を拭いたものとか髪の毛とか残して、それを基に呪われたりしたらひい爺さんから怒られちまう。いいかいマイグレートサン、呪術ってのはそりゃもう恐ろしいんだから、用心するに越したことはないだよ。敵地で自分の痕跡を残すなんてもっての外さ。ってね」


「なるほどー」


 墨也は社会人ではあるものの、そこまで桜と歳は離れていなかったが、濃すぎる人生経験から放たれる雰囲気と、その体の逞しさから、桜は彼に対して色々とプロフェッショナルなんだと感心していた。仕事は解雇されている男だが、まあ確かにプロフェッショナルとも言えなくはないだろう。生きる事、戦う事、呪いの事に対してだが。


「そりゃ」


 体拭きシートを入れたビニール袋が、黒い炎に飲まれて一瞬で消え去る。


「わ」


 それを素直に感心した桜だが、まだまだマキナイとしてひよっこの彼女は、その炎の色こそ漆黒でも、不動明王が身に纏う不浄を焼き清める、迦楼羅炎そのものという事には気が付かなかった。


「あのー……」


 だが代わりに気が付いたことがある。ちらっと彼女が向けた先には、テント……ではなくその裏に設置されたポータブルトイレがあった。勿論全ての痕跡を消すため例外は無く、墨也は言葉で表さずただ肩を竦めて意思表示した。


「それで伊集さんは」


「あ、桜って呼び捨てでいいです! そっちの方が慣れてますから!」


「ん、じゃあそうするな」

(やっぱ人との距離が近すぎる。こりゃ交際する男も大変だな)


 別に両親との仲が悪いから伊集と呼ばれたくないなんて理由もなく、純粋に桜の名前で呼んで欲しいという彼女に、墨也はこれだけ明け透けで懐に飛び込むことが上手い者と交際したら、その相手は自分以外の男と仲が良すぎると、常にやきもきして大変だろうと思った。


 桜のパートナーである赤奈が聞けば、まさにその通りだと力強く頷くことだろう。


「それで桜はどうやって戦える?」

(単に守ってるだけだと、心に傷を負うタイプっぽいからなあ)


 桜を守る事だけを考えると、常に墨也が前に出ているのが一番なのだが、責任感が強すぎる彼女を蚊帳の外に置くと、自分だけ安全なところにいて役立たずだと思い込み、精神的に傷ついてしまうと判断した墨也は、それでは助ける意味がないと、彼女の戦い方を把握したうえで、適当な雑魚を誘い込み、共に倒すことを考えていた。


 そしてその桜の考えを、合理的にものを考えられないと思う墨也ではない。この状況で責任を感じない者の方が少数だし、なによりその精神性こそ彼が好むものだ。


「私キズナマキナで、接近戦が得意です!」


「ああ、目が綺麗だなあ」


 そのせいでつい口に出してしまった。自分に出来る事を精一杯しようとする桜の目の輝きを見て、思ったことをそのまま言ってしまったのだ。


「ふえ!?」


「ああすまん。ついな」


 一度褒めれられてはいたが、またしても自分の目をじっと見られて目が綺麗だと言われた桜は、素っ頓狂な声をあげて驚き恥ずかしがってしまう。


(ううう……! 言って当然みたいな顔してるよぉ!)


 顔を赤くして俯く桜だが、そもそもこれは非常に珍しい。可愛いと褒められたら、笑顔でお礼を言う彼女が照れて俯くなど殆どなかったのだ。しかも小憎たらしいというか、墨也はごく普通の事を言ったまでという表情で、桜だけが恥ずかしい思いをしていた。


「やっぱ綺麗だなあ……」


(ま、ま、また言われたああああ!)


 桜が前髪で隠れた目でちらっと墨也を確認した時、また一瞬だけ見えたその瞳の綺麗さを、彼は今度はさっきよりも小さな声で呟いたのだが、バッチリ聞こえた桜の顔は、桜色を通り越して彼女のパートナーの色である赤も赤、真っ赤だった。


 そしてこの墨也という男、桜の事を明け透けだの、人との距離が近すぎるだの言っておきながら、自分は人の事を褒めるのに躊躇いが無いと来た。


 桜は全く初めての経験の最中で普段と違う環境の中、自分を助けてくれて頼りになり、心の底から褒める事に躊躇のない男と、まだ数日2人っきりで過ごさなければならないのだ。


 果たして彼女の命運やいかに……。

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