色々初体験
「その制服、魔気無異学園の学生さんか」
「あ、すいません! 私、伊集桜って言います!」
インスタントラーメンを作るためのお湯を、ガスコンロで沸騰させている間、桜は自分を助けてくれた相手に、まだ自己紹介もしていない事を思い出し慌てて名乗った。
「俺は一条墨也。職業は……気圧師だ」
改めて名乗った墨也だが、嘘は言っていない。つい先ほど解雇されたが、気圧師としての資格は持っているので、その肩書に偽りはなかった。ただ、勤め先がないだけで。
「気圧師って、ツボとかのですか?」
「そうそう。その気圧師」
幸いにも桜は勤め先にことまで聞かなかったため、墨也が崩れ落ちることはなく、沸騰したお湯をインスタントラーメンに注いでいる。
「あの、助けて頂いてありがとうございます!」
そこで名前を名乗っていなければ、助けて貰ったお礼も言っていないと、桜は勢いよく頭を下げて感謝の言葉を伝えた。
「なに、困ったときはお互い様だ」
元々墨也の一族ほぼ全員が、見返りもなしに人助けをすることが多いものの、その中で墨也は一番素直だったため、頼もしい笑みを浮かべてそう答える。素直というのはつまり、べ、別にあんたの為じゃないんだからね! か、勘違いしないでよね! とかを言わないという事だ。
「それに君みたいな子を助けられてよかった」
「えっと?」
墨也の言葉に桜が首を傾げる。
尤も、誰彼構わず助けるという訳ではないのだ。
「そんなに目が綺麗な人と会ったのは久しぶりだ。自分を差し置いて人のために戦える目だ。身を挺して人を守れる目だ。凄い人の目だ。助けられてよかった」
「えっ、あのっ、そのっ」
きっちり助ける、助けないの基準がある墨也だが、桜はその中でもとびっきりだった。まさに人のために戦える桜の精神性をその瞳から読み取ったのだが、桜の方は堪らない。今まで可愛らしいと言われたことは多かったが、目が綺麗と褒められたことはなかった。しかもじっと自分の目を見ながら、柔らく微笑んでいる男から。墨也が素直なのも考え物である。
「そろそろいいだろう」
「あっはいっ!」
墨也の視線から逃れるように、顔を赤くして俯いていた桜だが、まさに色気より食い気。出来上がったラーメンの器をニコニコしながら手に持つ。
「おいしー!」
「はははは」
なんの変哲もない安物のインスタントラーメンだが、酷い経験をして精神的に疲れ果てていた桜にとって、それは何よりのご馳走だった。
「まあ、4日くらいで帰るキャンプだと思ってくれ。その間俺がなんとかする」
「その、墨也さんは、それでいいんですか? 私のために」
相変わらず桜の距離感の近さが出てしまった。初対面の男相手でもすぐ下の名前で呼ぶから、同級生達を惑わせるのだ。しかし、彼女の感情は深刻だった。自分を助けるために、人間が無事に帰って来れないと言われる妖界にまでやって来て、現実世界に帰るまで何とかすると言われたのだ。
「じゃあ言い方を変えよう。いいから守らせろ」
「あ、あの、その、お、お願いします……」
「おう」
普段の桜なら、妖が来たら私も戦いますと言うはずなのに、墨也から向けられた太い笑みに、何故か顔を伏せて頷いてしまう。
「という訳で飯食ったら寝ろ。俺はあっちので寝るから」
「はい!」
墨也が指差したテントとその中にある寝袋だが、実はこのテントは特別製だ。これを使って寝ようとしたのに、キャンプ場で鳴いていた蛙の合唱にブチ切れた墨也の曽祖父が、外からの音を遮断する様にまじないをしていたのだ。
しかし、これについて墨也は何も言わなかった。言えば都合が悪かったのだ。
「おやすみなさい!」
「ああお休み。テントの前閉めてろよ」
「はい!」
お腹も膨れてテントの中に入った桜は、墨也に促されてテントの前を閉じ、すぐ寝袋にくるまった。
(お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな?)
一人っ子の桜には兄弟がいなかったが、墨也の逞しさと頼り甲斐に、自分に兄がいればこの様な感じなのかと想像していた。
(寝ないと……)
そんな事を考えながら眠りにつこうとした桜だが、今日あった出来事のせいで、体は疲れ切っていても神経が高ぶっていたため、中々寝付くことが出来ない。
(墨也さん、もう寝ちゃったかな?)
そんな時脳裏に過ったのは、自分に安心感を与えてくれた男の事だ。桜は墨也の様子を見ようと、軽い気持ちでテントを開いたのだが……。
「え?」
そこは戦場だった。
桜は失念していた。ここは妖が蔓延る妖界。日本のキャンプ場ではないのだ。
『かっ!』
【邪神流剛術"散禍斬回"】
黒が闘気を込めた手刀が、朽ちた鎧を身に纏った亡霊武者を、その兜から真っ二つに断ち割る。
【邪神流柔術"うねり"】
左右の鎧武者から雷光のような太刀が振り下ろされるも、その刀身は黒が放った闘気の波にのまれ、虚しく地面を突き刺す。
『ぜあっ!』
再び黒から放たれた左右同時の手刀は、全く同時に2体の鎧武者を両断した。
『お、おおお……良き、闘争也……』
そう言い残しながら、鎧武者達は塵となり消え去っていった。
「全く、寝ろって言っただろ」
「す、墨也さん大丈夫ですか!?」
「ああ。怪我一つないとも」
それを見届けた墨也が黒を解き、テントで固まっている桜に声を掛けると、彼女は弾かれたように彼の元まで走り彼の体を確認する。
「さっきのは!?」
「いや、雑魚が寄り付かない様に闘気で周りを牽制してたんだが、そうしたら強い奴と戦いたい求道者みたいなタイプを引き寄せちまったみたいでな」
墨也はこの周囲一帯を自分の闘気で囲み、その圧で雑多な妖は恐怖を感じて近寄れなかったのだが、逆に闘神そのものの様な気に惹かれて、妖としては珍しい武人気質な者達を引き寄せてしまったのだ。そのため鎧武者達は、墨也に消滅させられても満足気に散っていった。墨也としてはいい迷惑だったが。
「私も戦います!」
「じゃあお休み」
「ちょっ!?」
自分の知らない所で守られていた桜は、今度は自分も戦うと宣言したが、墨也は彼女の首根っこを掴むと、そのままベッドの寝袋に放り投げて、テントの前を閉め切った。
「墨也さん! 私も戦います! あ、開かない!?」
だが桜はくじけず起き上がると、閉められたテントを開けようとしたが、ファスナーが全く動かず開けることが出来なかった。
「私だって! 私だって戦えます! お願いします!」
自分を守るために墨也が一人で戦い、自分はテントの中でのんびりなんて出来ないと、必死の様子で墨也に訴える桜の顔は悲壮な表情だった。
「全く……」
「墨也さん!」
その声が届いたのだろう。墨也がテントの前を開けながら、仕方ない奴だと言いたげに桜を見た。
「守らせろって言ったろ。大人しく守られとけ」
「で、でも!」
今までこんなに堂々と守ってやると言われた経験のない桜は、言葉に詰まりながら決意を固めた顔で反論しようとする。
「しょうがねえなあ」
「ふえ?」
しょうがないと言いながら自分の目の前に指を近づけた墨也に、桜は戸惑った声を上げる。その指の形は人差し指と親指がOの形を作っていた。まあ早い話が
バチーン!
デコピンの構えだった。
「にぎゃああああ!?」
「ぷぷ。そっちの顔が似合ってるぞ。テントの前は開けてるからな」
桜の悲壮な顔を無理矢理矯正した墨也に、一応彼女の決意は伝わったようで、テントの前は閉められなかった。
「ひ、ひどいいい!」
デコピンを食らった桜は涙目になっていたが。
とにかく、桜にとって何もかも初体験だった。男にじっと目を見られて綺麗な目をしていると言われたことも、男と2人で食事した事も、男とキャンプする事も、男にデコピンされたことも。そして、無意識にではあるが、男を無条件で頼りになると思ったことも。
沢山の初めてを、初体験を奪われた彼女の運命は、一体どうなってしまうのか……。
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