消えたハナ

 男性警備員とタローは、ハナと女性警備員の分も鳥のパン粉焼きを買って、貴賓席に戻ってきたが、そこに二人の姿は無かった。

 二人でどこかに出かけたのかと、タローは軽く考えていたが、男性警備員の表情は険しい。


「二人とも、どこに行ったんでしょうか? トイレ?」


 タローに問いかけられても、男性警備員は無視して、貴賓席のバルコニーから対面の運営席に向けて、ハンドサインを送った。両手を高く上げて、頭上で交差させ×印を表した後、水平に開く。これを三回以上繰り返せば、非常事態の合図だ。

 即座に事情を聞くために、闘技場の警備員がタローたちの元へ派遣される。


「何やってるんですか?」

「二人の身に何かあってはいけません。すぐに探させます」


 タローの再びの問いかけに、男性警備員は真顔で答えた。

 ちょっと大げさじゃないかとタローは思ったが、急に姿が見えなくなったのは確かに心配だったので、何も言わないでおく。


 それから間もなく、闘技場の警備員が一人、タローたちの元にやってくる。


「どうしました?」

「クダリが一人、姿を消しました。十五ぐらいの女の子で、名前はハナ。同性の警備が一人ついていましたが、そちらも見当たりません」

「すぐに探します」

「お願いします」


 闘技場の警備員は早足で、貴賓席から出ていった。

 その後で男性警備員はタローに問いかける。


「タロー様は観戦を続けられますか?」

「いや、そんな場合じゃないでしょう」

「では、私はこれから運営席に移動するので、ご同行をお願いします」

「はい」


 二人は貴賓席の対面に見える、運営席へと移動を始めた。



 運営席に着くと、男性警備員は通信機の前に座っている女性に声をかける。


「通信機を使わせてください」

「はい」


 既に事情を聞いていた女性通信士は、席を立って譲る。

 ここにある通信機は、大きな箱型の機械装置だ。まだ通信機が発明されたばかりの時代のよう。

 男性警備員は素早くトグルスイッチを操作して回線を切り替え、市警備隊の本部と通信する。音声通信ではなく、モールス符号のような通信だ。


 長時間の通信を終えた後で、男性警備員は立ち上がり、女性通信士に礼を言う。


「ありがとうございました」

「いいえ」


 それから彼はタローに向き直った。


「……まだハナさんは見つかっていないみたいですね」

「はい」


 通信している間も、闘技場の運営からの連絡はなかった。ちょっとトイレに行っただけなら、すぐに見つかるはず。何か良くないことが起こってしまったのは確実なのだろうと、タローは感じていた。

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