仮の名前

 それから少しの間、ガルニスは黙っていたが、急に思い出して話を再開した。


「いや、そうじゃない! 自己紹介の続きだ! あんたらの名前を聞こうとしていたんだった」


 少年と少女はお互いに顔を見合わせる。


「名前と言われても……」

「私たち、記憶がないんです」


 青年は眉をひそめた。


「クダリサマには記憶がないって話は、オレだって知ってる。だからって、いつまでも『クダリ』とか『クダリサマ』じゃ不便だろ」


 少年と少女は再び顔を見合わせ、同時に言う。


「それはそうですけど……」

「仮の名前でもいいさ。とりあえずの呼び名だよ。自分たちで適当に決めてくれ」


 そう言われても少女は全く何も思い浮かばず、困り顔で少年に尋ねた。


「どうする?」

「どうするって言われてもなぁ……」


 仮の名前と聞いて少年が思い浮かべるものは、『太郎』と『花子』。しかし、自分は『太郎』でいいとしても、今時の女の子に『花子』は古すぎると彼は感じていた。

 思料の末に彼は提案する。


「ハナってのは、どう?」

「ハナ? 私?」

「そう」

「ハナ。私はハナ。あなたは?」

「俺はタローだ」

「タロー。タロちゃん」

「ちゃんって」

「イヤ?」

「……嫌じゃないけど。いいよ」

「ハナ、タロちゃん! いいね!」


 満面の笑みでよろこびを表す少女――ハナを見て、少年――タローは照れ臭くなり顔を赤くする。

 そんな彼にハナは愛おしさを感じる。まるで二人の心がつながっているようだと、彼女は思った。


「はい、はい。タローとハナね」


 目の前でイチャつく二人を見て、あきれたガルニスは小さく息を漏らす。平和なのは結構なことだが、このまま何もなくクンダ町まで行けるものだろうかと、彼は先を案じていた。



 街道には適度な間隔で休憩所が配置されている。売っているものはパン類と飲み物に少々の日用品ぐらいだが、長旅には欠かせないものだ。

 三人を乗せた馬車は、時々馬に乗った街道警備隊の者たちとも擦れ違う。


 御者と三人は昼食を取りに一度だけ休憩所に寄った。

 そこでガルニスがタローとハナに忠告する。


「ここから先、しばらくは休憩所がない。途中でトイレに行きたいなんて言われても困るぜ」


 ハナとタローは視線を交わして、お互いに大丈夫かと心配した。

 ガルニスは真剣な顔で続ける。


「賊に襲われるとしたら、この区間が最も可能性が高い。二人とも心構えだけはしておくんだな」


 彼の緊張が二人にも伝わる。

 タローはガルニスに問いかけた。


「もし襲われたら?」

「一にも二にも馬車から出ないことだ。あんたらはクダリだから、最悪でも命を奪われることはない。戦いはオレに任せろ」


 ハナは深々と頭を下げる。


「ありがとうございます。お願いします」

「礼はいい。それが役目だからな」


 タローは初めてガルニスを頼もしいと感じた。それと同時に、自分もハナを守るために戦えないかとも思った。男のジェラシーだ。


「どうして命を奪われないって言い切れるんですか? オレにも武器があれば――」

「ヘタな抵抗なら、しない方がマシってことさ。生兵法はケガの元だ。神器はクダリのもの。クダリが死ねば、神器も消える。だから、賊の狙いが神器にあるなら、まず命を奪うことはしない」


 ガルニスに断言されたタローは、何も言い返せなかった。


「タロちゃん、大丈夫だよ。ガルニスさんを信じよう」


 ハナはタローを安心させようとして言ったが、彼にとって心配なのは、賊の襲撃を受けることではない。頼れるガルニスにハナが心惹かれることこそを危ぶんでいる。当然、今ここでそんなことを言ってしまうわけにはいかないのだが……。

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