第6話

 長い間、闇の中に居たような気がする。光が少しも差し込まない、まるで目を閉じたときのような闇の中。そこに鳥の鳴き声が聞こえた。鳥の次は物音が幾つも聞こえてきた。そして、光が見えた。

「…………」

 開け放たれた窓から日の光が差し込むのが見える。俺はそれを見て、生き残ったことを痛感したのだった。自分の身体を見てみれば、白い包帯が腕と足に巻いてあるのが見えた。そして、扉が開く音が聞こえた。見るとそこにはジョンが立っていた。ジョンは目を丸くすると、すぐに部屋を飛び出して大声で母親を呼ぶ。走る音が聞こえると、すぐに二人の姿が見えた。

「目が覚めたんですね! 良かった……。もう三日も眠っていたんですよ!」

 三日もか。そんなに眠っていたということは、死に体同然だったのかもしれない。

「何故、俺を助けた」

「あなたはジョンを助けてくれました。それどころか、スティーブの命まで守ってくれた。純粋な感謝の気持ちです」

 ────感謝。そうか、俺は感謝されたのか。ここでは俺は悪党ではなく、感謝されるような人間として見られているのか。熱い思いが胸からこみ上げる。酒を飲みすぎてゲロを吐く感覚とは違う熱さだ。それが頭にやって来た時、俺の目からは涙が溢れだした。


 それから、俺はこの村で傷を癒すことにした。今では余所者と罵られることも、冷たい目で見られることもなく、むしろ温かく俺を迎えていた。

 俺はここ、カーマの村で暮らすと同時に決意をした。もう決して悪党の道へは戻らないと。これからは誰かに感謝されるように生きていこうと。

 それからの俺は酒を止めた。如何に心がマシになったとはいえ、酒を飲めばまた乱暴な俺が帰って来る気がしたからだ。盗みも当然止めた。今では誰かから何かを奪うのではなく、誰かの事を手伝って生きていた。かつての俺が唾棄していた、所謂真面目な生き方だ。しかし、断言できる。今の俺は幸せだ。

 そうやって生きていて、今日も村をぶらついていると、何かガキどもが言い争う声が聞こえてきた。見に行くと、そこにはジョンと三人のガキが居た。

「バカが、なんで本当に森へ行くんだよ!」

「おかげで俺達が疑われそうになったじゃないか!」

 非難の声を受けるジョンが小さくか細い声を出す。

「だって、みんなが言ったんじゃないか。蜂蜜を持ってこないともっと殴るぞって」

「知らねえよそんなこと!」

 すると太ったガキがジョンを蹴る。それを皮切りに他のガキも一斉にジョンに暴行を加えた。俺は黙って見る事は当然できず、大股で歩いてデブガキの首を掴んで持ち上げる。デブガキは驚いた表情で俺を見てくる。

「分かってねえな。暴力ってのはこうやるのさ!」

 俺はデブガキを遠くの方へ投げつけた。落ちた衝撃に苦しむデブガキを仲間が介抱すると、口々に俺を罵った。

「何するんだクソ野郎!」

「ふざけやがって、こんなことして皆が黙っていると思うなよ余所者!」

 そして、痛みがマシになったデブガキが俺を睨んで言う。

「俺を誰だと思っている。俺は村長の息子なんだぞ! 俺に手を出したこと後悔させていやる!」

「自分の事を棚に上げてんじゃねえぞクソガキども!」

 俺が空気を震わすほどに怒鳴ると、クソガキどもは一斉に鳴き止んだ。

「お前たち、ジョンをいじめていたんだな? そしてあの日、いじめの一環として蜂蜜を取る為に森へ行く事を強要した! つまりあの事件はお前たちが元凶だと言うことだ」

 クソガキどもは青ざめた顔をする。しかし、デブガキは負けじと言い返してきた。

「それがなんなんだ! そんな証拠、何処にある!」

「証拠はない。だが、俺は今ではこの村の人々に随分と受け入れられている。もはや余所者じゃない。そんな俺の言う事とジョンの言う事を信じるヤツはそれなりに出てくるだろう。分かるか? 証拠なんざ無くたって、悪評が広まれば終わりなんだよ! 分かったらとっとと失せろ!」

 そう言うとクソガキどもは舌打ちをし、そのまま走り去った。俺はまんまといじめられていたジョンに近づく。

「なんで抵抗しなかった」

「抵抗って、出来るはずないよ。三人相手に勝てないし、僕、弱いし」

「ということはお前、強くなったらアイツらに抵抗するのか?」

「そりゃあ……そうだけど」

 ここ最近、俺は気分が良かった。皆に頼られ、慕われるこの生活を気に入っていた。そのせいか、俺はお節介を焼こうとした。

「お前に自分の身を守る方法を教えてやる」

 それから俺はジョンとよく会うようになって、喧嘩のやり方を教えた。ビビらないよう度胸を付けさせる為に、何度も拳を軽く叩きこんだし、何処を殴ればいいのか、俺の身体を殴らせて反応を見せてやった。簡単にバテねえように走り込みさせたし、度胸を付けさせる訓練の一巻で馬にも乗せた。

 時は流れて、ジョンは成長して十四歳になった。肉体は育成され、昔のヒョロガリとは比べ物にならないほど逞しくなったジョンに、俺はどこか達成感のようなものを感じていた。

「お前、やりたい事とかあるのか。やはり、親父さんと同じ医者か?」

「医者もいいけれど、僕、もっとなりたいものがあるんだ」

「ほう、なんだ?」

「ジャックみたいな、強くて皆を守る人。僕、この村を守るよ」

 俺は嬉しくなった。ジャックに憧れの目で見られていることが嬉しくなった。照れ隠しでジョンの頭を乱暴に撫でると、俺は新しい事を教えることにした。

「皆を守るには、やはり力が必要だ。それも圧倒的な力だ。────ジョン、お前に銃の使い方を教えてやる」

 それから、俺とジョンはよく銃をぶっ放すようになった。銃弾は高価でうるさい。俺の財布と村人たちは悲鳴をあげたが、俺達は気にしないで訓練に勤めていた。


 ────そんな風に、俺は生きていた。かつて犯した罪を忘れていた。そんな生き方をしていたからだろう。俺は、俺の罪の象徴と出会い打ちのめされることとなる。


 村に余所者がやって来た。肩まで伸びた綺麗な金髪の女で、目は碧眼だ。名をアリシアと言った。色鮮やかなワンピース型の衣服を身に纏うその姿は、まるで良家の娘という感じだった。アリシアは愛想が良く、よく上品に笑っていた。そんな人柄に、余所者嫌いの村人たちは態度を軟化させ、今では村の一員として迎えていた。

 そんな時だ、アリシアはよく俺に話しかけてきた。なんでもない世間話だ。俺も変わったとはいえ女好きの性分まで消えてはおらず、俺は女と語ることに夢中になった。そんな時だった。村の外れでアリシアはとある話を切り出してきた。

「昔、私は兄と暮らしていたんですよ」

「兄が居たのか」

「はい。正義感が強くて、毎日汗水垂らし働く、真面目で優しい自慢の兄でした」

 するとアリシアは俺の目の前に立つ。────そして、物陰に手を伸ばすと、そこからライフルを取り出した。

「兄さんは殺されたの。夜中に自分の家で強盗に遭遇して、殺されたんだ。────あなたにね!」

 瞬間、アリシアの姿が何かと重なる。そして思い出した。昔、俺が盗みに入った家で、金髪碧眼の若い男と遭遇した。逃げる男を俺は拳銃を片手に追いかけた。そして、追い詰めた寝室で男はライフルを持ち出してきて、撃ってきた。俺はすぐに遮蔽物に隠れると拳銃だけを物陰から出して発砲した。聞こえてくる重い何かが倒れる音。一瞬だけ顔を出して見えたのは、溢れる血の中に倒れ、腹を抑える男の姿だった。それを見た俺は本来の仕事をすることなく、すぐに家から逃げた。それが、俺の最初にして最後の殺しだった。あの時の男とこの女は似ているのだ。

「兄の家には手紙をよく出していた。なのに返事は帰ってこなかった。そして訪ねたら、酷い臭いを出して、乾いたどす黒い血溜まりの中で死んでたわ。犯人の手がかりは黒い馬と大きな乱暴者ということだけだったわ」

 俺は震えていた。恐怖していたのだ。俺にはこれから輝かしい未来が待っていると思っていた。しかし、そんなものは待っている筈がないと気付いてしまったのだ。何故俺は、今まで犯してきたことを忘れてしまっていたのか────。

「でもあなたの足取りを追うのには苦労しなかったわ。随分と行く先々で暴れていたようじゃない。少し聞けばすぐにどの方角へ行ったのか教えてくれたわ」

 全ては因果なのだ。俺が今までやってきた悪行が、何の償いも無しに許されるはずも無かった。俺は、今、その応報を受けている。

 ふと、誰かの足音が聞こえた。見るとそこには、ジョンの姿があった。ジョンは目を丸くして、何が起きているのか分からない様子だった。しかし、すぐに呆けた顔を引き締めると、アリシアに向けて叫ぶ。

「何をやっているんですかアリシアさん!」さ

「あなたは、確かこの男とよく一緒に居た子ね。……私はただ、報いを受けてもらおうと思っているだけよ。この犯罪者に、私の兄を殺した罪を償ってもらう!」

「……は、殺した? あなたの兄を? ジャックが?」

「あなたから全て話しなさい。ジャック」

 今まで犯してきた罪が俺の目の前に見える。人が血を吐くまで殴ったことも、酒を飲んで店で暴れ散らしたことも、……人を殺したことも。今になって俺は罪悪感に浸っていた。そして、俺は見えた罪を全てうわ言のように話した。

「そんな、ジャック……」

「すまないジョン。俺は決して、決してお前に褒められるような人間じゃないんだよ」

 全てを白状する頃には、太陽は傾き光に赤みが増していた。その間アリシアはずっと、風に揺れる髪に触れることもせず、ライフルを構えて俺を睨んでいた。

「嘘だ、ジャックがそんなことをするはずがない! だって、ジャックは狼から僕を助けてくれた! スティーブおじさんもそうだ! 村のみんなだって、毎日ジャックに手伝ってもらってた! そんなジャックが犯罪なんて……」

「……ここでは随分と猫を被っていたようね」

 アリシアの非難が俺の心に突き刺さる。

「本当は、本当は、この村に来たのだって犯罪をする為だったんだ。あの時の俺にお前を自ら助けようとする考えなんて、無かったんだ」

 絶句して涙を流すジョン。それを横目で見て、アリシアは溜息を吐くと、今一度銃を構えなおした。

「そろそろ償ってもらうわ。────死になさい」

 そして銃声が轟いた。しかし、それはアリシアのライフルではなく、村の方から聞こえてきた。銃声は一発に留まらず、連続して散発的に聞こえてきた。まるで、撃ち合いをしているかのような発砲音だ。

 アリシアはライフルを構えたまま村の方を見る。そして、困惑していた。

「なに……? 一体何が」

 その時、悲鳴が村の方から聞こえた。女子供の甲高い悲鳴が、村の方から聞こえてくる。ただ事じゃない。まさか、盗賊が村を襲っているのか!

「行かねえと」

「っ! 待ちなさ────!」

「今は俺を撃ってる場合じゃねえだろ!」

 アリシアの憎しみが籠った目がわずかに揺れる。

「あの村の連中は余所者に強く当たるクソったれだが、それでもいい奴らなんだ! ……頼む! 今だけは、今だけは待ってくれ! 俺が必ずここに戻って来る!」

 俺は走る。アリシアが俺を撃つことはなかった。代わりに、俺を呼び止めようとするジョンの声が聞こえる。

「ジャック!」

「お前はそこに居ろ!」

 そして俺は、煙まで見え始めた村の方へ走っていくのだった。

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