第2話

 あの後、俺は酒屋で借りた宿に戻り、そこで眠りについた。銃なんて久々に撃ったせいか、痺れるような感覚が腕に残っているが、気にしないことにした。結局昼まで眠っていた俺は、鬱陶しい朝日に顔を顰めながら部屋から出た。朝っぱらだと言うのに酒場は騒がしい。恐らく、昨夜起きた騒ぎで住民が騒いでいるのだろう。上手く俺から注目が逸れている事を祈りながら、階段を一階から見えない範囲まで降りる。すると、野郎どもの声が聞こえてきた。

「どうやら、捕まった二人組は前から騒ぎを起こしていた強盗だったみたいだ」

「ああ、兄弟の……。やっぱりアイツらがこの街で盗みを働いていたのか」

「マルティーニ夫妻が言うには、誰かが助けてくれたそうだぜ」

「誰かって、分からないのか?」

「そりゃあ、夜だしなあ。明かりは月だけだし、ましてや屋内ってんなら見えるもんも見えねえだろ」

 ……最高だ!! 俺の代わりにあの二人組が捕まり、更には俺がこの街でやった盗みも奴らの罪となった! おまけにあの時の夫妻は俺の顔を見ていない! そろそろこの街を移動すべきかと思っていたが、どうやらそうせずに済むらしい。安堵した俺は、今度はぐっすり眠ろうと考えて寝室に戻ることにした。

「────いや、それが、顔は見えたらしいぜ」

 ぎい、と。階段を踏む俺の足音が止まる。

「どうやら月の光で見えたらしい。強面の男だったそうだ」

「ほー、強面で夜中に自主パトロールするような正義漢……。そんな奴この街に居たかね?」

 そこまで聞いて俺は、思い出した。あの夜、俺は人間の表情が見えていた。ならば当然顔は見えているに決まっている! 俺はすぐにこの街を離れることにした。この街には保安官が居るが、別に正義に燃えているわけでも仕事人間なわけでもなく、自堕落な人間故、警戒心を抱く必要は無い。しかし、住民は別だ。住人は基本的に正義を気取る傾向にあり、悪人を見れば日頃の憂さ晴らしも兼てリンチにする恐れがある。夫妻に顔を覚えられた俺は、近い内に注目の的となるだろう。そうなれば、やってきた悪行が俺によるものだと気付かれる可能性がある。

 そう考えた俺は、部屋に戻ると的を開けて必要な荷物を袋に詰める。金、酒、手帳、リボルバー、懐中時計、松明用の油が入った入れ物、パン、兎に角俺の私物──勿論、盗品も幾つか入っているが──全部だ。

 そして袋を窓から落とすと、俺もそこから飛び降りた。転がるように着地した俺は、酒場の表に向かい、繋いでおいた馬の鞍に荷物を括りつけた。馬の足音には糞が巻かれており、悪臭に俺は顔を顰める。

「随分と出しやがったなラウディ」

 柵からロープを外し、馬を道に誘導する。ラウディはその名に反して従順なヤツで、大人しく俺に付いてきた。十分に建物から離れると、いよいよ俺は馬に跨る。そして、ゆっくり進むよう指示をした。朝の街は賑わっており、人が見えない場所などない程に多くの人々でひしめき合っていた。それを馬の上から見るのは、少しの優越感を俺に与えた。

 街の出口まで辿りつくと、俺はすぐに走るよう指示を出すため馬を蹴ろうとする。

「待ってください!」

 聞き覚えがある静止の声に、俺の身体は固まった。この声は恐らくあの時の夫の声だ。

 俺は振り返るべきか、このまま走り去ってしまうべきかを悩んだ。振り返れば、もしかしたらあの夜の事を追及されるかもしれない。そうなれば、俺は銃でも撃たれてくたばるのかもしれない。一方で、走り去ってしまう場合、銃を構えられていた場合即座に発砲される可能性がある。ならば、出来る手段は一つ、振り返って、なんとか追及を交わす。それしかない。

俺は馬に跨ったまま上体を逸らして振り返る。見てみればやはり、あの時の夫だった。どうやら銃は持っていないようだ。

「あなたですよね? 昨夜私を助けてくれたのは……」

「さあ知らねえな」

 そう言って俺はカウボーイハットを深く被る。すると、夫は笑い出した。何かを追い詰めたような笑い声では無く、好青年らしい実に朗らかな笑いだ。そして、それが収まると話しかけてきた。

「そうですか。でしたら、少し私の家に来ませんか? ご馳走をしたいんです」

 屈託のない笑顔を向ける夫に、俺は一瞬、ものを考えられなくなった。何故かと考えて、ふと思い至ったのは、そんな笑顔を向けられたことが無いという事だった。この国の開拓地に住む人間は、基本的に皆強張った表情をしている。和らぐのは酒を飲んだ時や、気心の知れた人間相手にした時ぐらいだ。そして、その表情は自分のような悪党に向けられるものではない。俺は困惑した。何故こんな真面目そうな好青年が、俺のような真逆の人間にその表情を向けたのか分からない。一体、どうしてそんな顔をするんだ。


 俺は薄気味悪さを感じながらも、しかし初めて見たその表情が気になってしまった。


「……酒はあるんだろうな?」

「勿論、ワインでいいですか?」

 それから、俺は馬を降りて、夫と並んで歩く。

「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はヨゼフ、ヨゼフ・カンフィールドです。失礼でなければ、あなたのお名前は?」

「……ラフィアンだ」

「はは、御冗談がお上手ですね。あなたからはそんな風には見えませんよ」

 何も知らないのに、よくそんな事を言える。いや、知らないからこそその台詞が出てくるのか。何故かは分からない。しかし、俺は、本当に口を滑らせたんだ。滑らせて誰にも言わなかった本名を呟いた。顔もしらねえ親が、まだ赤ん坊の俺の足に取り付けていたとかいうネームプレートに血液型と一緒に書いてあった名前だ。

「ジャックだ。姓は知らねえ」

「ジャックですか。ジャック……」

 何度も、俺の名を噛み締めるように口にする。何がそんなに気に入ったというんだ? 正直な所、コイツが気持ち悪い。なんだって、こんな親し気に話しかけてくるんだ。コイツは俺のどこが気に入ったって言うんだ。まさか昨夜俺が言ったことを真に受けているのか? そんな間抜けなのかコイツ。ならば、やはり追及されることもないだろうか。

「ここです、ジャック。歓迎しますよ!」

 気付けば、昨夜やって来た家にたどり着いていた。……もうここまで来たら行くしかない。馬を柵に繋げると、俺は今度は堂々と足を踏み入れた。ヨゼフの案内で家に入ると、そこにはやはり見覚えのあるリビングがあった。食卓があって、椅子が四脚並んでいる。そして、リビングには妻の姿があった。あの時とは違い、今は穏やかに落ち着いていて、愛想の良い笑顔をした。明るい状況で見ると、この妻は美人と呼べるほどの人間だった。それこそ、平時なら抱きたいと思うほどに。しかし、今は警戒心の方が勝っているせいか、そんな性欲は湧いてこなかった。

「初めまして、アンネです。あなたをお待ちしておりました」

 アンネはそう言って、ワイングラスとワインを棚から取り出す。そして、俺に向かって微笑みながら、席に座れるように椅子を引いた。俺は奇妙な感覚に陥りながら、そこに座ると、夫妻は俺の正面に座る。

「二人暮らしなのか?」

「ええ、子供は二人欲しいので、椅子を二脚余分に用意しているんですよ」

「もう、そんなこと言わなくていいでしょ!」

「なんだい、照れてるのかいアンネ?」

 イチャつき始めた二人を咎めるように俺が咳ばらいをすると、ヨゼフは失礼。と言いながら、俺に向き直った。そして、アンネがワイングラスにワインを注いでいき、三人分を用意した。

「では、早速飲みましょう! 乾杯!」

 乾杯、そんなことを誰かと言ったことは記憶に無い。俺は酒を飲むと大暴れをするからだ。大暴れをしてそして皆を殴打する。そして、当然ながら厄介者扱いされるのだ。最終的に宿を追い出され、別の場所へ行くのが何時もの流れだ。実を言うと、この街でも既に厄介者として名が広まりだしているので、どの道もうすぐ追い出されていたと思う。

「乾杯」

 三人でグラスの先を軽く打ち付けて鳴らす。そしてその日の俺は、酒を飲むのは控えめにした。

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