IT'S Onlyラブ。@柏木裕介


 何年経っても眼鏡をしていてもわかる。それに当時よりエグいくらい綺麗になって僕の前に現れた。


 な、ええ…?


 そうして、大きく腰を折って謝ってきた。



「あの時はごめんなさい。いろいろなことから逃げたの、わたし」


「……」



 久しぶりに聞いた、奏でるように透き通る声と変な言葉遣い。さらりと滑り落ちた黒髪に、胸が締め付けられそうになる。


 彼女のこんな姿なんて見たくないと思っていたし、今更謝られても何と言っていいかわからない。


 華は顔を上げると朗らかな笑みを浮かべていた。


 はぁ…?


 いや、おかしいだろ。


 なんなんだこいつは…いや別に謝っては要らないけど、僕の返事くらい待ってから笑うかどうか決めてもよくないか?



「例えばね。地面に浅くて細い溝、そう、1センチ未満くらいの深さの溝があるとするでしょ?」


「……」



 しかも何かいきなり語り出したぞ…何を言おうとしたのかわからなくなるじゃないか…。



「それだけでね。人は傘を立てたりするの。その溝を使って滑らないようにして壁に立て掛けたりするの。タイルの間とか。経験無いかな?」


「お、おう…? それはみんなあるだろう…いや、そうじゃない。そうじゃなくてだな…」



 当時のことを気にしてないのは別に構わないが、何の話だ。


 昔から言動が斜め上過ぎて僕には理解出来なかったことを思い出す。しかもいい歳なのに、話し方が未だに子供っぽくて、余計感傷に引っ張っられそうになる…。


 しかし、いったいどうやって…。



「ここ? ここは明日香さんに聞いたよ」


「母さん?」


「だからこれを。明日香さんから」


「嘘だろ…?」



 婚姻届…だと?


 あの人再婚すんの?


 マジかよ…。


 婚姻届の父母の欄には母さんの名前があった。母さんの字があった。懐かしい円谷夫妻の名前もだ。


 なんでだよ。


 違うのかよ。


 どうやら僕と華の話のようで、端っこの方に「裕介、許さないとほんと知らないわよ。from異世界の車窓から」と書いてあった。


 何書いてんだあの人は…。


 微妙にパクってんじゃねーよ。


 そういえば小さな頃、死んだ父さんは召喚されたとか勇者ハーレム築いてる許せないとか流行りに乗って言ってたような…。


 考えてみればなかなかアレな母だったよな…僕を励ます為だろうけど、無茶苦茶な話をしてたな…よくグレなかったな、僕氏。


 いや違くてだな。


 婚姻届なんて……ああ、そうか。


 わかった。


 これは白昼夢だ。


 最近疲れてたんだよな。チーム任されたり、売り出し中の伽耶まどかの件も控えてたり、車だって「おーシャカシャカシャカ〜オシャカさまっ」だ。だじゃないか。古過ぎるか。語呂悪いか。いろいろ失礼か。元ネタ誰もわかんねーよ。僕もわかんねーよ…つーかあんな同窓会の案内なんて見たからこんな…ってあれ…?


 あれは…15年会じゃなかったか?


 いや、いい。どうでもいい。だって多分夢だ。うん、きっとそうだ。車もあんな呪われたみたいな壊れ方なんてするわけないし。はは。監視カメラにも映ってないとかおかしかったし。そうかそうか。こんな白昼夢なんて見るくらいに疲れてたんだな。


 それにだいたい華がここに現れるなんてこと自体が有り得ない。


 しかも婚姻届だなんて馬鹿馬鹿しい。


 だから僕は玄関の扉に鍵を差した。


 こういうのはだいたい寝たら治るもんだろ。


「話を戻すとね、つまり傘立てなんてなくてもね、一本の線がソコにあれば、人はその傘の先っぽを当てがいたくなるものなの」


「あーそだな。はいはい」



 僕のすぐ後ろで、夢の華は話を続けていた。


 つい、ドアノブを回す手が止まってしまうのは、なんなんだろうか。


 愛だけは忘れたはずなのに。


 この胸の痛みなんて、気のせいだ。


 いや、それともこれは……いやいやいや待て待て待て。


 そんな願望なんて僕にはない。


 しかし、僕の夢とはいえだな。いったいなんの話をして──いや、待てよ? 確か有名なデザイナーが、溝があれば傘立てなんて要らないって、デザインの本質とはって話をどこかの記事で見たような───



「だから裕くん。───好き」


「………いくら愛車があんな目にあったからってこれはない。これはないぞ柏木裕介」



 夢じゃなくてただの未練まみれの男の気持ち悪い妄想じゃねーか。本当に僕ってやつは───



「好き、裕くん」


「はぁ……僕も相当焼きが回っ──…え? え? あ、ええっ? 何だこれ何だこれ何だこれぇぇえええッ!?」



 か、身体がッ!? 華に引き寄せられられられ?! あ!? ギュッってすんな! あ、あかん! 吐く! 吐くから!


 共用廊下でピザはまずいだろ!



「一万年と二千年ぶり」


「壮大だなッ!? 大袈裟にもほどが…って違う! あ、ちょ、華! 華さん! ま、まま待て待て待て! くそっ! は、離せッ! 離してくれよッ!」


「裕くんが抱きしめてるよね?」


「そうなんだよなぁ!? 違う違うそうじゃ、そうじゃなぁい! これはきっと僕じゃないし華じゃない! 夢だ夢!」


「夢なら都合の良い夢見るよね?」


「だから悪夢だよ!」


「本当に?」


「…え? ちょっと待て…夢が会話した? してる? そうだ。さっきだって…それに確かにこの匂いと感触は…現実味が…? い、いや、僕はお前にこんなことなんてしたことないぞ!?」


「じゃあ願望なんじゃないかな?」


「違う! なんかおかしい!」



 しかもなんで吐き気とか震えとか痺れとかないんだよ!? 治ったのか…? じゃない! 夢なんだよ柏木裕介!


 ほんとなんなんだよ!



「あの時は…本当に…ごめんなさい」


「ッ、くっ!! 謝るなよ! 余計惨めだろ!」


「ボール当てて」


「それかよ! 懐かしいな! つーかそれじゃねーよ!」



 すると夢の華は何故か力を強めてギシギシと抱きしめてきたっ!? つっよッ!?



「あがぁぁあああっ!? 夢なのに痛いぃぃぃッ!?」


「んふ、ふふ、ふふふふふっ! んふふふふっ!」


「な、何笑ってんだよぉッ!」


「ビンゴ…!」


「ビ、ビンゴ…?」


「あにゃぁぁぁぁ!! 裕くん裕くん裕くん!! どうりで探しても見つからないと思ったよぉぉぉ──ッッ!! つい探さなきゃ見つからない眼鏡とかかけてみてたよぉぉぉ──ッ!!」


「あがぁぁぁッ!? み、見つからないとか当たり前だろ!」



 母さん以外誰にも告げずに出てきたんだぞ! あと何で懐かしい眼鏡屋CMに縋ったぁぁぁ!!

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