思い出がいっぱい。@森田薫

 長く辛い病室のベッド。次はどんな方法でトライしようか、なんてことを考えていたら、看護婦さんに話しかけられた。



『───ねぇ、薫ちゃん。泣いている男の子がロビーにいるから、元気づけてあげて』



 この人は私を担当してくれている、マドカさん。お願い出来ないかしら、なんて言うけど、私考えたい事いっぱいで忙しいのになって考えてた。



『どんな子なの? 慰めてもいいけど、私、お姉さんだから話合わないと思うよ』



 それに、病院で泣いてるなんて、注射を嫌がる憎たらしいガキしかいないし…やだなぁなんて思ってた。



『──ふふ、そうね。だから薫ちゃんなのよ。ね、お願いできないかしら』



 その時彼女の瞳からは、まるで脅すかのような、それでいて縋るかのような、真剣な圧を感じたのだと今ではわかる。



『も、もぉ、わかった、わかったよ。マドカさんの言うことだし…でもなぁ、こんな回あったかな……って変な顔してなぁに?』


『──ッ、ふふ、何でもないわ…』


『そう? じゃあ行ってくるねー』



 これはさっき見た、きんきらきんの思い出が、手のひらいっぱいに溢れていた露の中だ。





 ロビーに向かうと、お母さんに見えないように、泣いてる男の子がいた。


 おそらくもうこの時点で、マドカさんからの言葉を忘れていたのだと今ならわかる。



『君、泣いてるの?』


『…泣いてない』



 そうだ。私が話しかけたら、君はぐしぐしと目を擦らず、瞼で涙を切ったよね。



『そ、強がっちゃって』


『…強がってなんかないよ、僕は男なんだ』



 そうだね。私の上からのその言葉に、君は拳を強く握って、少し絵の端が波打ったよね。



『ふーん。答えになってないけど』


『男は女を守るんだ。泣かないって約束したんだ』



 そうだったね。そんな勇ましい言葉とは裏腹に、君の絵は涙でびちょびちょで、でも隠しはしなかったね。



『…古臭いなぁ』


『…そうかな…当たり前だと思うけど…』



 ああ、そうだ、そうだった。その本当にきょとんとした顔と、ずずって吸った鼻が赤くって、なんてったって、可愛くって。



『ッ、ふふ、来てよ、君! 私の友達紹介してあげるからっ!』


『え? ぅわわっ』



 私はそう言って君の手を握って、キンモクセイくんのところに連れ出したよね。


 ふふ。この少女は誤魔化したんだ。


 だって、心臓が確かにきっと高鳴ったんだ。


 これはマドカさんは関係ない。


 そうだ。これまでの私にとって、時は無限に繋がってて、終わりなんてもう思いも願いもしなかったのに、始まりだけは、こんなにも色鮮やかに鮮明だったんだよ。





「思い出したかしら」



 華イチのその言葉に、私はつと意識を取り戻す。やっぱり相変わらずの不思議空間だ。



「…ふ、ふふ」


「何よ…その顔は。そんなにショックだったかしら」



 失礼な…可愛い顔でしょうが。だらしない笑顔の意味をわかっていないのかな。



「あは、はは……思い出したよ。私が恋に落ちた瞬間を」


「そう、ならわかったでしょ。こいつがそうさせたってことが」



 華イチはマドカさんに目を向けてそんな事を言った。


 柏木くんと私のやり取りを、どうやら知らないみたいだ。全てわかってるわけじゃない? 


 姫の意識の下にこいつはいた…つまりこれは推察と願望のブラフだ。


 しっかし、演技の綻びが全然見えないなー。


 絶対性格悪いよ、こいつ。



「いや? 全然関係なかったですけど? 寧ろよりはっきりと思い出せてありがとう的な? 音声付きとかご褒美みたいな? 好きな人のお父さん助けるとか当たり前だし? というか初めて見た時のあの悲しみを誤魔化す可愛い泣き顔も、初めて握った柏木くんの手のひらの氷みたいに冷たい感触が、そう、徐々に私の熱を帯びてまろやかに混ざり合っていく過程も、初めて見た時のあの涙の絵の意味も、今なら全てわかったよ」


「…涙の絵…?」


「ふふ、あれー? 知らないんですかー? ぷふー。まあ、私との思い出ですし? 当たり前に教えませんけど? で、それが何か? 超時空ストーカーさん」


「…」


「もしかしてあれですかぁ? 誤認だったと落胆させて、マウント取ろうとでもしたんですかぁ? おあいにく様ー。より強く運命の初恋の人だと私確信したんですけどー? 柏木くんもキュッて握り返してくれたしー? ぷぷー」


「…言うじゃない」



 そうだ。あの日の私は、あのレーンの私は、柏木くんに出会って、未來が色鮮やかに咲いたのだ。


 奇しくも華イチに思い出させられるなんてなんだかなぁって感じだけど。



「森田薫…今世はあなた、わたしに譲って諦めてたでしょう」


「はぁ? 諦め…まあいいよ。というか、今の今まで何してたの? いや、私にはわかる。どうせ擦れにスれて、少女だった頃なんてもう思い出せなかったんでしょ?」



 出るに出れなかったんでしょ?



「そ、そんな事ないわ。裕くんの前ではずっと少女のままよ」


「こっちみて言いなよ」


「そんなわたしを裕くんは強引に…大人の非常階段をあくせく登ってきて…」


「あ〜その手の話いらないから」


「屋上なんて、初めてだし恥ずかしいからやめてって言ったのに…ゆ、裕くんったら履き忘れたシンデレラみたいになってるわたしのお口にその履き忘れたパン──」


「いらないっつってんだろがっ!! ああ"!? アゴにジャブ入れて脳揺らすぞごらぁ!!」



 戦争か? 戦争だよね? 買うぞこらぁ!! というかどんなシンデレラなのよ! 履き忘れるのは靴でしょ! いろいろ置換しすぎでしょ!



「というかあんたは結局何しに来たのよ!」



 すると華イチはだらしなく崩れた頬を引っ込めて、まるで能面のように表情を消した。


 うわ、こっわ。


 プレッシャーもあるけど、姫の顔でそんなことされるとかなり怖いな…というかこれ姫もたまにやるか…柏木くん、この先大丈夫かな…胃に穴が開かなきゃいいけど…



「それよ。森田薫、あなた協力しなさい」


「…協力…? うわっ、何これ…」



 華イチがパチリと指を鳴らすと、何もないところに、大きな銀のマサカリがゆっくりと現れた。


 それは童話のように馬鹿みたいにデカくて、まるで重さを感じさせないかのように宙に静かに浮いていた。


 というか、どうやってこれ持つの…?


 まさか私のこと金太郎だとでも思ってんの? 外でとか、破廉恥なのあなたじゃない。

 


「この空間をこれでぶっ壊すのよ」


「え? まさかこれで? 馬鹿じゃないの? というか空間を? ぶっ壊すってどうやって? もっかい言うけど、馬鹿じゃないの?」


「馬鹿じゃないわ」



 そう言って、抱えていた鞄から華イチは一枚の絵を取り出した。


 それは真ん中が破れている、柏木くんの絵だった。



「馬鹿じゃなくて、贋作よ」



 そう言って、華イチはニヤリと笑った。

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