小さな恋のうた。@森田薫

 幼い頃の私は、長く病室にいた。


 走る事に怯え、歩くのも怖かった。


 いつしか足元から崩れていくんじゃないかって。


 その頃の私は、土の地面の感触を忘れていた。


 キンモクセイくんに救われて、初めて歩いた時なんて、まるで今みたいに綿を踏んでるみたいな、そんなフワフワとした感触を感じたもんだ。


 そんな事をふいに思い出した時、声が聞こえた。


 微かな声だ。掠れたような声だ。


 あの時よく聞こえなかったのは、子供だったからかな。今なら聞こえる。



「見た…? 何を…永遠を…?」



 ふふ。違うよ。私が見ているのは未來だ。


 柏木くんがそこから来たんだ。


 未來から私の元に現れたんだ。


 どんなに時間が巻き戻っても、どんなに季節が過ぎてまた戻っても、きんきらきんの変わらない思いが実を結び、ようやく花が咲いたんだよ。



「うん。そっか。だったら永遠だよね」



 私の初恋に終わりなんてないの。


 



 瞳を開けると、目の前には金木犀があった。小さな花を懸命につけ、目一杯咲いていた。


 ああ、これ、これだ。


 秋の日の遠い遠い思い出の日だ。


 ああ、懐かしい場所、渇望した場所、恨んだ場所、救われた場所、二度目のループ世界で、ついに手が届かなかった場所だ。


 そのキンモクセイくんを中心に、辺りは一面きんきらきんに煙っていた。これはあの時と同じ…?


 でも、どこか記憶と違う。


 なんだろ。違和感がある。


 特に違うのは、幹に穴が開いてる事。



「痛い? 痛いでしょ? …何か伝えたいの…?」



 聞いても無駄かも知れないけど、聞いてみる。


 すると目の前の金木犀は囁いてきた。


 葉っぱ同士を擦りあってる…音?


 それが声に聞こえるのかな。音が間延びしてるから、これは子供の時ならわからなかったかも。



「お、さ、ら…手のひらで? 前みたいにかな?」



 そこにぽたぽたときんきらきんが溜まる。


 あの日飲んだ色と少し違うような気がするけど、あの金の露、ヌルっとした液体だ。


 それが手のひらになみなみと溜まると何か映る。すぐ飲み干したからわからないけど、こんなだったのかな…?


 その露によく目を凝らすと、灰色の二人が映っていた。


 柏木くんと、私。


 初めての出会いだ。


 永遠の淵、一度目のループ中の私を助けてくれた時だ。


 過去の壁の向こう、今のループが始まる前だ。


 ああ、泣いている。


 ああ、笑った。


 ふふ、拳、握りしめて笑ってる。


 二人で手を繋いで笑い合ってる。


 ああ、そうだ。そうして私は恋をしたんだ。


 小さな柏木くんに恋をしたんだ。


 たかだか幼い頃の、未來ある君にとっては数ある出会いのうちの一つなんだろうけど、ほんの小さな出会いに過ぎないんだろうけど、あの時無限に感じていたループの、まるで際限なく広がり続ける広い宇宙のような、それでいて閉じている狂気の世界にいた私にとって、そんな世界に一人寂しくしてる私にとって、これは紛れもなく恋の瞬間だ。


 ああ、私の記憶の中にずっと二人は生きているって信じてた。


 色褪せも、ひび割れもしない強い記憶で、笑い合う二人は、今も私の胸の中にいるって信じてた。


 あれから随分と時は経ったけど、その事実がはっきりと映っているだなんて、泣けちゃう。


 夢ならば覚めないで欲しい。


 でもこれは、いったい……?


 そう思った矢先、きんきらきんの雨溜まりは、今度は誰かの記憶に変わった。



「…二人の記憶…だけじゃない…?」



 断片的にだけど、また無音声の映像が流れてくる。


 柏木くんに貰った絵の時と似ている感じ。


 え、待って待って。


 これ…裏切られる前…高校生の柏木くんだ。


 私の知らない柏木くんだ。


 中学でお別れして、私はまたループするけど、その先に続いた、柏木くんの未来だ。


 入学式以降、だんだんと制服が合わなくなっていってる。


 靴下とかめっちゃ見えてて可愛いなぁ。


 柏木くんに貰った絵にはなかった記憶だ。


 これは嬉しいなぁ。


 ふふ。また絵を描いてる…美術部の部室だ。可愛い子もいるじゃん。なんだか嫉妬しちゃうなぁ……いや、ちょっと待って…待ってよ、これ…この後…もしかして…



「え…あ…嘘、やめて、嫌っ! いやだよ! 裏切られる瞬間とか見たくないよ!」



 柏木くんの辛い顔なんて見たくない! やめて! やめてよっ!


 ああ…そんなの…そんな残酷な最後ってないよ…そんなことしたら…! 私の眠るこの土地から出て行っちゃうじゃない!


 こんなのいったい誰の記憶……いや、そんなの姫しかいない…! 華イチだ…! こいつ死ぬほど殺してやりたい…!


 とぼとぼと力無い足取りで帰る柏木くんが映る……ああ、その背中抱きしめてあげたい…ほらすぐそばにいるよってただ強く抱きしめてあげたい…言葉なく、君の代わりに涙を流して、ただ抱きしめてあげたい…


 ……?


 

「ちょっと止めて! コンクールの……とったあの絵を…切り裂いた…嘘…? うわっ!? 何?!」



 その時、不思議な風が心に吹いた。


 ああ、わかった。そうだ。そうだよ、これだ、この時だ…! やっぱり私が蘇ったのはやっぱり柏木くんが呼んだんだ! 


 私に助けを求めたんだ! 私が死んでも繋がりは不滅で! 永遠で! 忘れ去られてなくって! 蘇った先が例えループの檻の中にだとしても! 例え裏切った姫の事でだとしても! 思い出の絵だとしても! 絶望の折、心の中で私に助けを求めてくれたんだ!


 そんなのニマニマしちゃうよっ!


 世界をなんで渡ったのかなって、いろいろ検証してもわからなくって、ずっとずっと疑問だったけど、やっぱり意味はあったんだ!


 言うなればこれは檻!


 柏木くんの用意した恋の檻の中!


 例えそれで呪われたとしても!


 そんなの嬉しいに決まってるよぉ!


 もぉ! もぉ! もぉ!


 やっぱりこれは宿命で運命っしょ!


 なんか全て報われちゃうなぁ…


 ニヤニヤが止まらないよぉ。


 涙も止まらないよぉ。


 涙なんて、萎んで縮んで枯れ果てたはずなのに、今周は泣いてばかりだ。


 これはつまりそう! この永遠の繋がりによって! ループしていたのは確定だ! もぉ! 惰性で生きるんじゃなかった! 言ってよぉ! もっとサービスしたのに! 柏木くんが囲ってたって知ってたなら何周だってするよ、私! いやいや待って。待つの、落ち着くのよ、薫。この周回で大人になった柏木くんが初めてここにやって来たけど、それはなぜ? 前回私は何をした? 何を願った? 


 や〜ん! 頭がスポンジみたいになって考えられないよぉ! 思い出せないよぉぉ!


 響け! 私の恋のうた!


 なんちゃって!


 そんなの歌っちゃうしかないよぉ!


 いやいやそれよりこれ確定したと言っていいのでは? あの不安の正体はこれ? 不安に思ってたのはこれなんでしょ? 柏木くんの檻から出ようとしてたんだし、そりゃあ不安にもなるよ!


 でもそんな不安、綺麗さっぱり消えちゃったよぉぉぉ!


 ニマニマしちゃうよぉっ!



「やんやんやん…ッ?!」



 頬に両手を当てて、いやんいやんしてたら、唐突にゾクリとした。


 一瞬で鳥肌が立った。


 そこに、冷たくて低い声が後ろから届いた。



「ふふ。嬉しそうね。いったい何が……見えたのかしら」



 姫だ。


 姫なのに、何なのこのプレッシャーは。


 すぐには振り向けないくらい。


 視線だけを動かすと、足元には伽耶まどかがいつの間にか居た。


 まだ気絶してるようだけど、二人ともこの不思議な世界に居たようだ。


 意を決して、ゆっくりと振り向くと、そこにはやっぱり姫が居た。



「あははは…姫も来てたんだ……?」



 いや…やっぱり姫……じゃない。


 そこには、とても不思議な髪色にゆらゆらと変わっていく、まるで宇宙人みたいな、円谷華が立っていた。

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