小さな恋のうた。@森田薫
幼い頃の私は、長く病室にいた。
走る事に怯え、歩くのも怖かった。
いつしか足元から崩れていくんじゃないかって。
その頃の私は、土の地面の感触を忘れていた。
キンモクセイくんに救われて、初めて歩いた時なんて、まるで今みたいに綿を踏んでるみたいな、そんなフワフワとした感触を感じたもんだ。
そんな事をふいに思い出した時、声が聞こえた。
微かな声だ。掠れたような声だ。
あの時よく聞こえなかったのは、子供だったからかな。今なら聞こえる。
「見た…? 何を…永遠を…?」
ふふ。違うよ。私が見ているのは未來だ。
柏木くんがそこから来たんだ。
未來から私の元に現れたんだ。
どんなに時間が巻き戻っても、どんなに季節が過ぎてまた戻っても、きんきらきんの変わらない思いが実を結び、ようやく花が咲いたんだよ。
「うん。そっか。だったら永遠だよね」
私の初恋に終わりなんてないの。
◆
瞳を開けると、目の前には金木犀があった。小さな花を懸命につけ、目一杯咲いていた。
ああ、これ、これだ。
秋の日の遠い遠い思い出の日だ。
ああ、懐かしい場所、渇望した場所、恨んだ場所、救われた場所、二度目のループ世界で、ついに手が届かなかった場所だ。
そのキンモクセイくんを中心に、辺りは一面きんきらきんに煙っていた。これはあの時と同じ…?
でも、どこか記憶と違う。
なんだろ。違和感がある。
特に違うのは、幹に穴が開いてる事。
「痛い? 痛いでしょ? …何か伝えたいの…?」
聞いても無駄かも知れないけど、聞いてみる。
すると目の前の金木犀は囁いてきた。
葉っぱ同士を擦りあってる…音?
それが声に聞こえるのかな。音が間延びしてるから、これは子供の時ならわからなかったかも。
「お、さ、ら…手のひらで? 前みたいにかな?」
そこにぽたぽたときんきらきんが溜まる。
あの日飲んだ色と少し違うような気がするけど、あの金の露、ヌルっとした液体だ。
それが手のひらになみなみと溜まると何か映る。すぐ飲み干したからわからないけど、こんなだったのかな…?
その露によく目を凝らすと、灰色の二人が映っていた。
柏木くんと、私。
初めての出会いだ。
永遠の淵、一度目のループ中の私を助けてくれた時だ。
過去の壁の向こう、今のループが始まる前だ。
ああ、泣いている。
ああ、笑った。
ふふ、拳、握りしめて笑ってる。
二人で手を繋いで笑い合ってる。
ああ、そうだ。そうして私は恋をしたんだ。
小さな柏木くんに恋をしたんだ。
たかだか幼い頃の、未來ある君にとっては数ある出会いのうちの一つなんだろうけど、ほんの小さな出会いに過ぎないんだろうけど、あの時無限に感じていたループの、まるで際限なく広がり続ける広い宇宙のような、それでいて閉じている狂気の世界にいた私にとって、そんな世界に一人寂しくしてる私にとって、これは紛れもなく恋の瞬間だ。
ああ、私の記憶の中にずっと二人は生きているって信じてた。
色褪せも、ひび割れもしない強い記憶で、笑い合う二人は、今も私の胸の中にいるって信じてた。
あれから随分と時は経ったけど、その事実がはっきりと映っているだなんて、泣けちゃう。
夢ならば覚めないで欲しい。
でもこれは、いったい……?
そう思った矢先、きんきらきんの雨溜まりは、今度は誰かの記憶に変わった。
「…二人の記憶…だけじゃない…?」
断片的にだけど、また無音声の映像が流れてくる。
柏木くんに貰った絵の時と似ている感じ。
え、待って待って。
これ…裏切られる前…高校生の柏木くんだ。
私の知らない柏木くんだ。
中学でお別れして、私はまたループするけど、その先に続いた、柏木くんの未来だ。
入学式以降、だんだんと制服が合わなくなっていってる。
靴下とかめっちゃ見えてて可愛いなぁ。
柏木くんに貰った絵にはなかった記憶だ。
これは嬉しいなぁ。
ふふ。また絵を描いてる…美術部の部室だ。可愛い子もいるじゃん。なんだか嫉妬しちゃうなぁ……いや、ちょっと待って…待ってよ、これ…この後…もしかして…
「え…あ…嘘、やめて、嫌っ! いやだよ! 裏切られる瞬間とか見たくないよ!」
柏木くんの辛い顔なんて見たくない! やめて! やめてよっ!
ああ…そんなの…そんな残酷な最後ってないよ…そんなことしたら…! 私の眠るこの土地から出て行っちゃうじゃない!
こんなのいったい誰の記憶……いや、そんなの姫しかいない…! 華イチだ…! こいつ死ぬほど殺してやりたい…!
とぼとぼと力無い足取りで帰る柏木くんが映る……ああ、その背中抱きしめてあげたい…ほらすぐそばにいるよってただ強く抱きしめてあげたい…言葉なく、君の代わりに涙を流して、ただ抱きしめてあげたい…
……?
「ちょっと止めて! コンクールの……とったあの絵を…切り裂いた…嘘…? うわっ!? 何?!」
その時、不思議な風が心に吹いた。
ああ、わかった。そうだ。そうだよ、これだ、この時だ…! やっぱり私が蘇ったのはやっぱり柏木くんが呼んだんだ!
私に助けを求めたんだ! 私が死んでも繋がりは不滅で! 永遠で! 忘れ去られてなくって! 蘇った先が例えループの檻の中にだとしても! 例え裏切った姫の事でだとしても! 思い出の絵だとしても! 絶望の折、心の中で私に助けを求めてくれたんだ!
そんなのニマニマしちゃうよっ!
世界をなんで渡ったのかなって、いろいろ検証してもわからなくって、ずっとずっと疑問だったけど、やっぱり意味はあったんだ!
言うなればこれは檻!
柏木くんの用意した恋の檻の中!
例えそれで呪われたとしても!
そんなの嬉しいに決まってるよぉ!
もぉ! もぉ! もぉ!
やっぱりこれは宿命で運命っしょ!
なんか全て報われちゃうなぁ…
ニヤニヤが止まらないよぉ。
涙も止まらないよぉ。
涙なんて、萎んで縮んで枯れ果てたはずなのに、今周は泣いてばかりだ。
これはつまりそう! この永遠の繋がりによって! ループしていたのは確定だ! もぉ! 惰性で生きるんじゃなかった! 言ってよぉ! もっとサービスしたのに! 柏木くんが囲ってたって知ってたなら何周だってするよ、私! いやいや待って。待つの、落ち着くのよ、薫。この周回で大人になった柏木くんが初めてここにやって来たけど、それはなぜ? 前回私は何をした? 何を願った?
や〜ん! 頭がスポンジみたいになって考えられないよぉ! 思い出せないよぉぉ!
響け! 私の恋のうた!
なんちゃって!
そんなの歌っちゃうしかないよぉ!
いやいやそれよりこれ確定したと言っていいのでは? あの不安の正体はこれ? 不安に思ってたのはこれなんでしょ? 柏木くんの檻から出ようとしてたんだし、そりゃあ不安にもなるよ!
でもそんな不安、綺麗さっぱり消えちゃったよぉぉぉ!
ニマニマしちゃうよぉっ!
「やんやんやん…ッ?!」
頬に両手を当てて、いやんいやんしてたら、唐突にゾクリとした。
一瞬で鳥肌が立った。
そこに、冷たくて低い声が後ろから届いた。
「ふふ。嬉しそうね。いったい何が……見えたのかしら」
姫だ。
姫なのに、何なのこのプレッシャーは。
すぐには振り向けないくらい。
視線だけを動かすと、足元には伽耶まどかがいつの間にか居た。
まだ気絶してるようだけど、二人ともこの不思議な世界に居たようだ。
意を決して、ゆっくりと振り向くと、そこにはやっぱり姫が居た。
「あははは…姫も来てたんだ……?」
いや…やっぱり姫……じゃない。
そこには、とても不思議な髪色にゆらゆらと変わっていく、まるで宇宙人みたいな、円谷華が立っていた。
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