憧憬。@柏木裕介

「先輩…小さい頃のこと覚えてますか?」


「何だいきなり…」



 泣きそうな表情のまま、越後屋は唐突にそんなことを聞いてきた。


 深刻な話題は、婚活イベントに置いてきたんだが…


 というかお前、あのヤンキー敬語はどうしたよ。調子狂うだろ。



「……私と…ののとのこと…小学校の頃のこと…覚えてますか?」


「………?」



 さっき森田さんとそんなことを話したばかりだ。


 改めて越後屋を見ると、最近まであんなにネチャっとしてたのに、今はオドオドとした態度…何かが…あったのか? 


 しかも話し方も丁寧でウザくない。


 ここまでの急激な変化……まさかお前もタイムリーパーか…?


 …聞いてもいいのか?


 だとすれば何と聞けばいい?


 というか聞いたとして何になる?


 未来に帰るヒントが欲しいのか?


 僕は未来に帰りたいのか?


 …華を置いて?


 つーか昨日の今日で頭回らないんだよ…


 そんなことを黙って考えていたら、越後屋は微妙な笑顔を作って言った。



「………おめでとうです」


「ああ…え…?」



 おめでとうって…何の話だ?


 もしかして昨日のことか? こういうのって女子は何かしらの情報網があると言うが…まさか華が…?


 というかなんだ。なんなんだ。


 物凄く頑張って笑顔作られても困るぞ。


 めちゃくちゃおめでたくなさそうなんだが…そりゃお前にとっては面白くないだろうが…



「何か…あったのか…?」


「…何も…なかったです。……あ、これをどうぞ」


「……アイス?」


「上納…涼です。バレンタインじゃないので安心してください。……姫…様と…食べてくださいです」


「なんだ上納涼って」



 一段上の納涼…いやアイスの上納金ってことか…どっちもいけるだろ。天才かお前。新しい言葉を作るんじゃねーよ。わかりにくいだろ。しかも貢いでる風に恭しく渡すなよ…受け取りにくいだろ。


 しかもこれ、華は嫌いだぞ…?


 知ってる…はずだよな?


 こんな事も経験はしてない…ただ、妙に夢の中の越後屋に近い雰囲気だ。


 夢の中の彼女は優しくはにかんで笑う───



「はっ、あんなにヘタレな雑魚先輩だったのに、いつの間にか大人になってびっくりっす。一生分の運を使い果たしたっすから調子に乗らない方がいーっすよ」



 じゃなかったわ。


 越後屋だったわ。


 だが、彼女はすぐにぐっと詰まって押し黙る。


 何だ…? もういろいろと怖いんだが…


 少し震える唇を揺らしながらすーはーして僕の目を見て口を開いた。



「先輩……昔、サッカー…のボール…失くして、ごめんなさい…お父さんとの思い出なのに…ずっと、ずっと謝りたかったのです」



 なんだ。そんなことか。


 何事かと焦るだろ。


 そんなの覚えてないしな。



「違うんです。あの日、わざと、わざと隠して…後で返すつもりで…探しても見つからなかったんです…のの、怖くて、言えなくって…怒ってください…」


「…いいよ。大丈夫。気にすんなって」



 わざとも何も隠してるのだからそりゃわざとだろう。その言い方も気にはなるが、子供の時だし、僕からすれば、もう随分と前の話だ。


 今更謝られても、居た堪れなくて困る。


 それに、思い出と言ってもサッカーをやめたのは7歳で、父さんが死んだのは10歳。3年も空いている上に、今の僕は30歳だ。


 その思い出すら夢の中で見るくらいの記憶だ。気にすることがそもそもできない。


『忘れるのは、忘れたいからである』


 そしておそらく、その当時悲しかったからそう願ったのだろう。


 そうやって対峙せず、逃げ続けてきた僕と違って、越後屋は覚えていて、しかも本人に打ち明けてくれた。


 それは嬉しいしな。



「…形あるものはいつかは無くなるって言うし、お前を縛りつけるつもりはないから…まあ、チョコミントくれよ。それでチャラだろ」



 その僕の言葉に、彼女は溜息をついて、肩を落とす。


 なんでだよ。



「はぁぁ〜……今あげたじゃないですか」


「上納の分だろ。足りないぞ」


「ぁ……ま、またあげます…何度も何度もあげます…お店も絶対絶対付き合ってくださいね。ののがおごってあげるです」



 越後屋は精一杯の笑顔を見せながら言う。社交辞令のようにも感じるが、多分これは僕にボールを投げたのだろう。



「一個でいいよ。何個もとか紐みたいでイヤだし。後輩に奢らせたくないし」


「…今も変わらないのです。彼女以外にご飯を作らせて…鬼畜なのです。お腹冷やして壊せばいいのです」


「そういう事言うなよ…気にしてるんだよ…というか何で知ってんだ」


「ふふ…何ででしょうね…はは…」



 その言い方怖いだろ。気になるだろ。


 でもどうも深掘りして欲しくなさそうだ。



「まあ…今度、アイス誘うよ。でも受験終わってからだな」


「はい…はいなの…です…ま、まあ誘われたら仕方ないのです! 行ってやるです! 先輩にはののしか友達居ませんしねっ!」


「お前……いや、まあそうだな。付き合ってくれ。頼むよ」


「ふふ…はいなのです」



 越後屋の調子が戻ってきたか…良かった。


 ウザ絡みが終わり、猫撫でが終わり、やっと普通になった気がする。


 最初からそうしてくれよ…


 というか…なんかぶつぶつ言い出したぞ。



「…ふっ…この越後屋ののに撤退の二文字はないのです。せいぜい今を楽しむと良いのです。パートナー持ちの方のほうが油断するってお母様が言っていたので…ぇ、あ、ま、ま、真っ黒クソ野郎と! 思考が! …ぅぐわぁぁぁああ…」


「…いや、そういうの漏らすなよ…」



 こいつ、まだ華を諦めてなかったのか…というか真っ黒クソ野郎が誰だかしらないが、おそらくそのままクソみたいなやつ…いや、三好か、三好だな。


 未来も今世も厄介な二人だな…ガチ薔薇とガチ百合か…イヤすぎる。


 今度こそ、華を守らないとな…


 いや、今のところ守るべき対象に勝てる気がしない。


 鍛えないとな…鍛えてもな…


 すると森田さんが、鍵を開けて出てきた。



「柏木くん、用意出来た…ああ、ののちゃんか。いらっしゃい。晩御飯どう?」


「……森田さん…」



 ここ僕の家なんだが。


 まあいいんだけど。



「の、ののは忙しいのです…! 先輩さ、さよならなのです!」



 そう言って越後屋は走って帰っていった。


 ……いや、おっそいなあいつ…膝上がってないだろ。こけやしないか。


 なんかハラハラしてしまうな…


 ああ、何かあんな感じだった。あんな小学生の…バタバタ走るののちゃんの後ろ姿だった。


 憧憬、だろうか。


 この胸を締め付けてくる光景は。


 幼かった彼女、ののちゃんは、はにかんだ笑顔をいつも見せてくれていた…。


 何で忘れてたんだろうか。


 これもデジャヴみたいなものなのか。


 いや、小学校の頃の記憶なんてそんなもんか…


 その後の越後屋が酷すぎて上書きされ…て…? いや…いったい何があったらああもウザくなるんだ……


 記憶と違いすぎだろ。

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