克ってやる。@柏木裕介

 結局、あれから森田さんは家まで送ってくれた。最初は背後から葛藤みたいな空気を感じていたが、泣いてからは無くなっていた。


 僕としては冬の海もアリだと思って…いや違うな。



「認めたくなかったんだろうな…」



 ベッドの上でそう呟く。


 家に着くとすぐに華が来て、森田さんと話したいからと言って、そのまま二人で病院まで車椅子を持って行った。


 どうやら盗んだ車椅子で走り出したんじゃなかったようだ。


 疑ってすんません。


 いやあの暴走じゃ仕方ないって。


 森田さんは気遣いの出来る優しい子だった。車椅子で押してくれている時、何故か感覚を共有している感じがした。風景に懐かしんだら速度を緩くしてくれたり。見たくないところは少し速めたり。


 気のせいかもしれないが。


 最後ので台無しだったが。


 暴走の理由を聞けば、トラウマでしょ、克服しよ? なんて言ってきて、今まさにトラウマ生まれてんだよ! と言ったけども。


 そのあと、あの光景を見た時も、やはり彼女は優しかった。


 ……



「しかし…なんだったんだ」



 あの彼女の涙は。


 僕は基本的には絵を描いている時しか鼻歌なんてしなかった、と思う。


 未来では仕事中、セクハラ後輩に突っ込まれていたから多分ノリノリで集中している時の癖だろう。


 ふんふんふーん、なんて教室など他人の前でとか無理無理無理。僕はそんなトゥーシャイシャイボーイだったはずだ。


 そして、美術部の部員は僕しかいない。


 彼女はいつ知ったのだろうか。


 記憶のないところで披露していたのだろうか。


 なんて、さっきの光景を見たからか、つい現実逃避をしてしまう。





 青春暴走特急号、はしゃいだ森田さんが車椅子を止めたのは、家から離れた場所で、ここまでの道のりは全然知らない道だった。



「はぁっ、はぁっ、怖、怖かった…も、なんやねん…今度はいきなり止まるや、ん…?」



 どこだここ。


 目を開け足元を見ると、遊歩道特有の柄ブロックで、顔を上げるとどうやら公園の入口付近だった。


 ここは…公園…沿いの…道…?


 どの公園…だ…? どの…?!

 

 そう確認しようとした途端、ゾゾゾと全身の毛が逆立つみたいに肌が粟立ったのがわかった。

 


「あ、ぁ、ああ……」



 ここは…あれだ…かつて華が、華と別れた…嘘だろ…まだ早いって…まだ心の耐性も装備も冒険も何もかも足りてないんだぞッ!?


 うがぁぁぁぁああ…あ、あ…? あれ…吐き気が……ない? 爆心地なのに? なんだ…なんだなんだなんだ逆に気持ち悪いぞ?!


 いつの間にかトラウマ超えたのか?! いや違う! あかんなんか気持ち悪いぞ!? なんこれぇ?! なんなんこれぇぇ?!


 肌に鳥肌が浮かんでんのに! 冷や汗はかいてんのに! 喉と胃はすっきりとしていて…変な鈍痛も圧迫も…ない…? そして妙な賢者感……脳がバグってんのか…?


 というか森田さんは何でここで止まって…



「…いったい何んむぅッ?」



 暴走の次は窒息責め?! あ、金木犀のいい香り…ってなんで口だけ押さえてんだよ! 殺す気あんのか! 殺す気でかかってこいや! 


 すんません、嘘です。


 あの、ここ快速とか特急とか乗りたいんすけど…鈍行めちゃくちゃ嫌なんすけど…出発進行してくれません?


 つーか口から手を離さんかい!



「柏木くん、しー」


「んぬー! …んぬ? んぬ…?」

 


 樹木に隠れるようにして、森田さんは人差し指を公園の中のベンチに向けた。あの…1番そこ見たくないんすけど…


 そこには例のベンチがあった。


 華との最後の別れのベンチだった。


 そこにカップルが座っていた。


 あれは…三好と……華?



「邪魔しちゃ悪いし、しー、ね?」


「……そう…だな…」



 こちらから華の表情は見えないが、笑い声を聞くに、どうやら二人は楽しくお喋りをしているようだ。


 またあの二人が並んでるところを見るなんてな…しかもこの公園でか…吐くだろ、普通ってやっぱり吐かない…だと…?


 その代わりに調教という言葉が頭をよぎる。


 同時に胸の奥がズキズキと痛むのがわかる。吐き癖がなくなったからか、その痛みなど幻想だと振る舞うのもキツい、尖った痛みだとわかる。


 ぼろぼろと分厚いシールが剥がれ、崩れ、何かがそそり立っていくような気がしてくる。


 その何かに名前や形を与えたくなかった。


 特に盛大にピザを華にぶっかけて以降、吐き癖が減っていった。減っていく代わりにクリアーになっていく思いがあった。


 それでも認めたくなくて、真実に打ち当たりそうで、出来れば検証などしたくなかったが、この光景で、この心の痛みと騒めきだ。


 茶番みたいな嘘告は、それは許さないってタイムリープ神が言ってんだろうか。


 何も…17歳のあの日から僕は何も成長していないと突きつけられるのはこれで何度目だろうか。


 未来では何度他の女性に言い寄られても、僕には無理だった。たとえ彼女に似た女性であっても無理だった。


 お似合いだって認めたはずだった。僕には必要ないと前に進んだはずだった。そうして手にした未来のはずだった。


 でも、こうして並んだ姿を直接見ると……


 本当は…本当に…あれから何年経とうが、認めたくなかっただけなのか……絵を描き尽くして、吐き癖に逃げて、仕事に逃げて、ここから逃げていただけだったのか…あんな最後だったのに、あんな、あんな惨めな最後だったのに、僕は…


 はは。なんてこった。


 拗らせ極みすぎだろ…はは。



「逢引だよ逢引。仲良さそ〜」


「…そりゃあ付き合って……ってさっきから何をしてる」



「当ててんのよ」


「んなもんわかってんだよ。やめれ」



 この光景見ながらだとプレイっぽくなるから、後頭部にその大きいのを押し当てるのはやめろ。首に腕を巻きつけられると目が晒せないだろ。


 それに癒されるし気遣ってるのがわかるから余計嫌だ。


 それに、流石に好意くらいはわかる。



「フッ。なるほど。それが柏木くんの照れ隠しってワケ。感想は?」


「雑。古。重。フッじゃねーよ」



「んん" じゃ、じゃあ小娘のプリンにはもう興味ないのかな? あの時は動揺したのにぃ? 目がドリブルしてたのにぃ? んー?」


「やめろ馬鹿タレ。同い年だろ。燃えんな。アホか」



「んん" …そ、そんなに雑だと火が着いちゃうよ? 着火で発火で放火だよ? んー?」


「……とりあえず火遊びやめてください」



「…柏木くんと火遊び…ん"…も、もー仕方ないなぁ…やめてあげる。だから…だから泣かないで、柏木くん。君の涙は海が荒れちゃうからさ」



 森田さんは、先程までとは違って、優しくフワリと抱きしめてきた。



「…はは。泣いて…ねーよ。ただ喋ってるだけだろ。それに海が荒れるってなんだよ…それ。はは…」



 大人は簡単には泣けねーんだよ。


 だからこれは、大人の僕じゃなくて、乗り移る前の中学三年生の僕の…感情なんだよ。


 それになんだその回答は。


 どんな涙量やねん。


 ちなみに抱きつくくらいは後輩からのセクハラで慣れてんだよ。以前は青春か犯罪か心の線引きと肉体的葛藤で心配だっただけなんだよ。



「…でも、ありがとな」


「……柏木くんなんて、知ーらない」



 そして森田さんはゆっくりと車椅子を押し出し、華達に声を掛けるでもなく、二人で自宅に帰った。





「あけおめもナシか、こいつ…」



 ベッドで仰向けに寝転がっていたら、三好からこの世界で初めてのメッセが来た。以前のメッセは取り消されていたのだ。


 そしてその内容は写真のみだった。


 華と三好とのさっきいた公園での写真が送られてきた。


 二人してピースしていて、とても仲良く見える。


 ああ、お似合いだ。


 でもそれでいいんだ。僕が吐かなかったからいいんだ。中学生の彼が泣いたからいいんだ。


 僕はここに、この過去世界に戻った意味をずっと捜していた。


 あのさっきの光景を見てから、ぐしゃぐしゃに均して組み立ててみたら、別れた直後の17歳の泣きじゃくる僕が、中空に出来上がった。


 もう思い出すつもりもなかったし、乗り越えたつもりだったから決して見えなかった。


 でも、過去の僕は逃げただけだった。


 道理で捜しても見つからないわけだ。


 捜すのではなく見出す。これは誰の言葉だったか。


 僕は、あの日からの僕は、たくさんの偽物のカケラで出来ていたのを認めよう。


 拗らせた思いを、乱離拡散していた気持ちを、頭の中の動乱を、胸の奥底に沈めた衝動を。離れ離れに散りぢりにめちゃめちゃになってしまっていた…いわば念いを。


 絵に描き逃げるのではなく、ビチャビチャとピザを作るのではなく、デザインするのだ。自分だけのコンセプトを固めるのだ。


 それを未来に戻る閧とするのだ。


 ああ、待っていろ、タイムリープの神様よ。


 17歳のあの日に囚われたままだった僕の心を取り戻すために。


 僕はこの気持ちを、克ってやる。

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