いつかの過去の私。@森田薫

 気づいた時は病院だった。


 どうやら私は助かったみたいだ。


 助けてくれたのは部活の後輩かな? もしかしたら後ろにいたのかも。


 なんて考え、周りを見渡すとどうにもおかしい。


 蛍光灯に手を透かしてみると、何か小さいのだ。ボヤける視界を置いてペタペタと顔を触るが、髪の毛が無い。


 悲鳴をあげる前に、眼鏡を掛けた。


 すると周りのモノが目に飛び込んできた。


 壁に貼られたお気に入りのポストカード、寄せ書きの数々、千羽鶴、愛用のマグカップ。


 どれもこれも見覚えがあった。


 ここは、あの病院であの病室だった。


 どうやらわたしは過去に戻ってきたらしい。


 その手の話は好きだった。


 だからすぐにキンモクセイくんの仕業だと思った。


 そして、今度は彼を助けるためにわたしは頑張ろうと決めた。





 結論から言うと、駄目だった。


 どう頑張っても彼は引き抜かれる。


 病気を盾に懇願しても駄目だった。


 病気に蝕まれた身体のまま彼の前に立つも、声は届かなかった。


 銀色の秋の日はもうなくなっていた。


 そして、15歳で死ぬ。


 そして10才の春からの病弱リスタート。


 不死はいらないんだけどな。


 ほんと、どうしたら良いんだろう。



 そして、四度目のループスタートの時だった。


 ロビーでため息を吐いて悩んでいた時だった。


 二つ隣の席から鼻歌が聞こえてきた。


 どうにも病院に合わない明るい歌だった。


 ある男の子が歌を口ずさんでいた。


 そして何かを描いていた。


 それは、虹のかかった青い海の絵だった。


 その男の子はどうもお父さんを待っているらしい。時折話しかける隣の母親は悲痛な顔をしていた。


 瞬間的にわかった。


 死の匂いがわかった。


 そして、彼もそれをわかっていた。


 足が震えていたのだ。


 でも努めて明るく振る舞っていた。


 強がっていた。


 多分お母さんを支えたいんだ。


 長い前髪で、表情を上手く誤魔化していた。


 私の方には前髪は隠しきれてなかった。潤んだ瞳が見えていた。


 そして母親が看護師に呼ばれ、彼を残した。


 彼は途端に絵に涙を零し、虹が消え、海が荒れた。


 助けてあげたくて、なんとか元気になって欲しくて、キンモクセイくんを紹介した。


 恩人くらいしか私には無かったから。


 彼はニコニコと痛ましくも微笑んで、ありがとうと言った。


 どうやら、元気づけたいのはバレていたみたいだ。でも拳はギュッと固く結ばれたままだった。


 なのに、私を心配してくれた。


 自分の事など放っておいて。


 なんだか胸にキュンときた。


 それが私と柏木くんとの初めての出会いだった。





 次の日、また柏木くんに出会った。


 どうやら、彼のお父さんは事故に巻き込まれ、手術を受けているみたいだった。


 病院のロビーでぽつんと座る彼が居た堪れなくて、話しかけた。


 彼は泣き言は言わなかった。


 絵の話をしてくれた。


 学校の話と友達の話をしてくれた。


 そして私の病気の心配をしてくれた。


 お見舞いに来てくれるとも言ってくれた。


 優しい表情は女の子みたいに可愛かった。


 嬉しかったけど、甘えていいのに。


 そんなに拳を握ってるのに。


 そんなに足が震えてるのに。


 首から下は素直なのに。


 なんて強い男の子なんだろって思った。


 



 柏木くんのお父さんを助けてあげたい。


 そう思って挑戦したけど、駄目だった。


 日付がランダムなのもあるけど、前の周回で聞いた自宅にかけようとしたりすると、頭が痛んでキンモクセイくんの香りがした。


 キンモクセイくんの不思議は、どうやら一人乗りみたいだった。


 ごめんね、柏木くん。


 君の強張った拳を解いてあげたかったのに。


 荒い悲しい海は、もう見たくないのに。





 ある日、悪態を吐く男の子に出会った。


 このループでは有志を集めてキンモクセイくんを救うつもりだった。


 だからいろいろな病室にお邪魔した。


 彼は私に会うなり、初対面にも関わらず、馴れ馴れしくも絡んできた。


 しょぼい木なんて救ってどうするんだ、なんて言ってきた。


 その子はどうやら怪我で入院していたらしい。心配している両親にはガーガー文句を言うくせに、看護師のお姉さんには可哀想なふりをする。まるで小さなモンスターみたいだった。


 そして幼い容貌の私をなめているのがわかった。


 でも私お姉さんだから。心の中ではそう思っていたが、退院マウントを取ってきた。


 どうやら怪我が治るとすぐに退院して走れる。どうせお前は無理なんだろ、そんな心無い言葉を吐いてきた。


 はいはい。


 まあ、子供なんだし、仕方ないか。


 なわけないでしょ! クソガキ!


 腹を立てた私は、クソガキの花瓶の水を変えに出た男の子のほうが断然格好良いよぉと言った。


 君は格好悪いけど、とも。


 少しくらい隠したら、とも。

 

 彼は、何かを言おうとして静かになった。


 どうやら水を変えに出た男の子には本性は隠してるみたいだった。


 ほんと格好悪い。

 

 お見舞いの男の子は柏木くんだった。


 さっき私の病室に来てくれて絵をくれたからわかるよ。


 毎回毎回違う絵なのが、いつも楽しみなんだ。


 眼鏡、トイレに忘れたからクソガキは誰かよくわからないけどさ。





 ある日柏木くんからキンモクセイくんを描いていいかと聞かれた。


 柏木くんは写生クラブにいて、市民コンクールに応募するという。


 私に頼む必要はないけど、これはどの周回にもなかったことだ。


 どうせ引き抜かれちゃうし、引き抜かれた後は、柏木くんもなかなか来なくなるし。ならこの周回の思い出でも良いのかも。


 そんな気持ちで嬉しいと喜んだ。


 柏木くんはにこりと微笑み、両手を大きく広げた。


 おっきく描こう、そう言った。


 彼の細い指先は、もう震えてなかった。





 そこからの日々は楽しかった。


 たった一週間だけど、楽しかった。


 この可愛い男の子の側にいることが、何より嬉しかった。


 描いてる途中にちょっかいかけたり、端ないけど抱きついたり。枯れ木みたいな身体で申し訳ないけど、彼に寄りかかった。


 宿木ってわけじゃないけど、癒された。


 未来の閉じた私に、柏木くんは熱だった。


 疲れた私に暖かかった。


 心の真ん中が熱かった。





 そして彼は金賞を取った。


 それが話題になり、キンモクセイくんは助かった。


 私は恋を自覚した。


 付き合ってなんてとても言えないけど、好きだと伝えた。


 彼も好きだよと笑って言ってくれた。


 ありがとう、でもごめんね。



 思ったとおり、手術は失敗した。


 やっぱり、一人乗りだったみたいだ。





 死の間際、キンモクセイくんを描き終えて見せてくれた時の柏木くんとの会話が過った。


 私は興奮して、おっきな声で言ったっけ。



「君はすごいデザイナーさんだよ!」


「デザイナー? それってどういう意味なの?」


「君はデザインしたんだよ! キンモクセイくんの本当の姿を! 私の気持ちを! 私の人生を! つまり私をデザインしてくれたんだよ! だからこんなに嬉しいんだ!」


「なんだかよくわからないけど…デザインか…そっか。薫ちゃんが嬉しいなら嬉しい」



 柏木くんは、にこりと笑った。


 でも私は後で、画家さんとか絵描きさんって言えば良かったな、なんて思った。


 興奮しすぎたんだ、私。


 絵のことも、デザインのことも、何にも知らないけど、興奮したんだ。


 あの遠い遠い秋の日の雲のない夜を思い出したんだ。そりゃあ仕方ないよ。


 成長しないキンモクセイくんをあんなに大きく描いてくれたんだ。そりゃあ仕方ないよ。


 ああ。君の将来を横で眺めたいな。


 君と同じ写生クラブに入ろうかな。


 顔についた絵の具とか拭ってあげたり、水零したり。


 また笑いあったり、今度はふざけあったり。


 風景を描きに山に行ったり。川に行ったり。海に行ったり。


 ああ、今なら荒れた海じゃないよね。


 きっと優しく凪いだ海に虹が掛かるんだ。


 裕介って初めて呼んで。


 そこで初めてキスをするんだ。


 なんて。


 そうなったらよかったのにな。


 そんな妄想でニマニマしながら涙を零し。


 あのキンモクセイくんの絵を思いながら。


 あの彼の笑顔を思いながら。


 ああ、恋なんて、しなきゃよかったな。


 未来なんて嫌いだ。


 そう思って、私は死んだ。

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