海へ行こう。@柏木裕介

 母に連れられて病院にやってきた。


 通常、病院は五日くらいまで休診だろうが、三日から開いているそうな。


 この町にはお年寄りも多く、だいたい何らかの緊急事態になることがあると言う。その為かわからないが、ブラックな匂いがする。


 まさかそれで未来まで保たなかったのか、ここ。まあまあ流行ってる感じだが…不安になる。……医療ミスかもしれないな。


 心療内科も行こうと思ってたのに、忙しそうだし行きづらい。


 深層心理か、それともトラウマの質量保存的な件で、もう一度華に惚れさせようとしているのかい? タイムリープ神よ。


 ……


 やだよぉ。もっかい裏切りガチ失恋とかやだよぉ。


 オッサン恋愛経験ないんだよぉ。


 たった一回が濃すぎて無理なんだよぉ。


 よくあるタイムリープ主人公つよつよすぎぃ。


 はぁ……今の僕が僕は嫌いだ。





 ロビーで順番を待っていると、声をかけられた。


 白髪混じりの直毛。シルバーの細いフレームの眼鏡。少し骨張った体躯の谷川先生。僕の担任だ。


 どうやら孫と凧揚げをした際に腰を痛めたようだ。



「そこまで酷くは無いんだね」


「ええ、リハビリは必要ですが、多分成人式あたりには学校へ行けるかと」



 どうやら怪我が悪化したのかと心配してくれて話かけてくれたみたいだ。


 というか違うこと相談してぇ。


 それは…柏木くん。恋だね、恋。私も今の妻とはね…なんて始まったらと思うと相談できやしねぇ。


 客観的意見だとなお辛いし無理だな。


 

「安心したよ。クラスのみんなも待ってるから…また三学期に……いや、少し時間あるかな? 柏木君」


「…はあ、呼ばれるまででしたら」



 ィタタっと小さく漏らしながら座り直す谷川先生。その深刻そうな表情はなんだろうか。もし勉強ならすんません。


 授業とか勉強とか全然覚えてないっす。



「最近何か…いや…入院していたし、君はないか」


「何か…?」



「いや、我々教師の力が至らぬことを痛感するような、そんなことが今の学校にはあってね。受験もあるし、冬休みで落ち着いてくれれば良いのだけどね。柏木君も知っての通り、文化祭での事だよ」


「はあ…」



 文化祭…看板書いたくらいしか覚えてないが…先生の言い様から、学校側に何らかの落ち度があった風に聞こえてくる。



「その事を利用して、とても大きなイベントが引き起こされようとしているんだ」


「イベントですか?」



 一月に…? そんなの覚えてないぞ…というかどの時代の三学期もあまり記憶ないな。というか迷惑すぎだろ。もうちょっと考えろよ。



「そうなんッ……いや、もう行かないといけないな。ではまた三学期に」


「…あ、はい……?」



 先生はそそくさと立ち去っていった。なんだったんだろうか…あの一瞬怯えた表情は…



「柏木くん、あけましておめでとう」



 振り返れば、薫ちゃんがいた。





「あけましておめでとう」


「本年もよろしくね、柏木くん。谷川先生は…何を?」



 あれ? 名前呼びしてって言わなかったっけ? …なんかモヤるな。



「…腰痛めたって」


「そっか…骨折の経過はどうかな?」



「んー……診察は今からだけど、たぶん順調だと思う」


「そっか…ふふ。良かった。ね、少し…散歩しない?」



「この足で?」


「ううん、車椅子で。青くないけど、ごめんね、柏木くん」



 いや、青くなくて全然いいけど…


 やっぱりあれは、勘違いだったのか…でも薫ちゃん呼びがしっくり来るのは何故だろうか。





 診察を終え、ロビーに向かうと、森田さんは母といつの間にか仲良くしていた。


 だからか、置いていかれた。嘘だろ。


 どうやら森田さんがお世話してくれるらしい。まあ、ちょっと気分転換したかったし、ちょうどいいか。





 病院から出た僕らは、カラカラと歩いていた。後ろから車椅子を押してくれる森田さんに行き先を任せ、気ままに散歩していた。


 しかし、よく貸してくれたな。



「ほら、あそこ。少しだけお祭りしてる」



 森田さんが指を指した先には、神社があった。そこまで大きくないが、地元民が集まる神社だ。

 そして少しだけ屋台がある。この神社は合格祈願とか買いに来たな。それと三好歴によると…ここは確か…あれ? 嘔吐センサーが…働かないぞ…?



「…寄るか?」


「んーん。柏木くんと散歩したいだけだからいいの。それにもういいんだ…これ、はい」


「お守り? 何この束。すごいな」



 森田さんがくれたのは、お守りのパーティセットと呼べるくらいの量だった。なんか花束みたいな数だけど…もらいすぎじゃないか? 安産祈願もあるし…いやツッコまないぞ。



「おっきい幸せを願って、柏木くんにあげるね」



 そう言った彼女は、軋んだように笑った気がした。





「ねえ…柏木くん……海へ行かない?」



 神社を後にし、二人で散歩していると、そんなことを森田さんは言ってきた。


 川沿いの遊歩道に車椅子を止め、前に回ってきて、そう言ったのだ。


 誘う内容としては唐突すぎるけど、何か熟考した空気がある。


 これは仕事場で見たことがある。なかなか言い出せなくて、内容を聞けばなんだそんなことで。といったことが多いやつだ。



「…この足だと……母さんに車を…いや、6日から仕事だ。松葉杖でも…電車とバスを乗り継いだら…貯金あったかな…野宿は死ぬか…しかも森田さんに助けてもらうことに……どうした?」



「…え? あ、あは、はは。そんなに真剣に考えてくれるんだ…」


「いや、薫ちゃ…森田さん真剣だしな。何かあるんだろ?」



 だがこういったケースは放置しておくと、のちのち大問題になるパターンが多い。


 多分彼女の口から漏れ出てしまっただけなのだろうし、心配も迷惑もかけたくないのだろう。あるいは先送りしたいだけなのだろうが、こちとら大人だ。中学生と違って選択肢が多い。


 だから理性的な家出くらいできる。


 受験ノイローゼだろ? わかる。


 企画と計画は任せろ。


 だから僕も連れてってくだせぇ!


 家に帰りたくないんだよぉ!


 夜が怖いんだよぉぉ!



「……ああ……幸せだぁ…」


「なんで?」



 いや、まだ海じゃないし。脳内クライマックス早くない?



「ううん、違うよ。もー! 拾わないでよ! 柏木くんはいじわるだなぁ……揺れちゃうよ…」


「いじわるではないし、まだ船じゃないから揺れやしない。それに…海に行けばその幸せな何かがあるんだろ?」



「もー! …そうだよ馬鹿…」


「何だって?」



「んーん。なんでもないよ! 幸せすぎて、幸せすぎて、悩んだだけ。一生閉じ込めたいなって一瞬悩んだだけ」


「結構な事件だな。誰をかわからんが、やめときなさい」



「柏木くんだよ?」


「やめてあげなさ…僕? 確かに虚弱で怪我してるから容易いだろうけど達成感はないよ。たぶん満たされない。別のにしときなさい」



「さては冗談だと思ってるな〜?」


「いや、思うだろ……え?」



「ふふ。……冗談。嘘だよ。でも海は行きたいんだよ。実は見たことなくてさ。でも初めてはね。青い車がないとね…行きたくないんだ」


「……なんで?」



 なんで青い車…? それにさっきの青くなくてごめん発言…


 まさか…まさか君も未来人か! ってそれはないか…あったとしても別のドクがついてるかもしれないし、こっちにも事情があるし語り合うのもな…


 そんな事を考えていた僕に、森田さんは、後ろ手に手を回して、こう言った。



「ほら。君のお父さんが好きだった曲だよ。鼻歌しながら絵を描いてたでしょ? あれ、好きだったんだ…私」



 そう言った彼女は、昔を懐かしむように優しく微笑み───



「いつか、君の青い車で海に行きたいな」



 そしてはにかむような笑顔で、嬉しそうに優しく泣いた。

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