いつかの過去の僕。@柏木裕介
予定の無くなった夏休み。
僕は、絵画の画集を食い入るように見ていた。特に有名画家などの人生の部分を。
ネトラレなんて、そういやごろごろしてた。
僕は画家でもセンスある若者でもないが、天才に習って、無心であの日の衝撃を描いた。
心が何かを突き動かすままに描いた。
初めて生まれた感情を大事に描いた。
何枚も何枚も描き、描いては燃やし、描いては千切り、また描き。そうやって心に折り合いをつけていった。
想像と事実。思い出と現実。
それらを繰り返し、ぐしゃぐしゃにして、組み立てる。
破壊と創造。創造と破壊。
そうしてキュビズムみたいにあの三次元を二次元に組み上げる。
削ぎ落とし削ぎ落とし一本にまとめる。
ここが、これが原点になるように自分をデザインする。
これ以上は無いくらい、一番底までもぐるように。これからの人生で例え酷い目に遭っても、これ以上底はないように。
家は裕福ではない。だから美大は元々諦めていた。
それにそこまで上手くない。
だからこれが最後だと思って、夏休みいっぱい描いたのだ。
◆
当然の事ながら、僕は彼女と縁を切った。だけどお隣は厄介だった。
事あるごとに家を訪ねてくるのだ。
母のいる時間を狙って上がってくるのだ。
だからもう一度だけ言った。吐き気を我慢し、もし、脅されているなら教えてほしいと。
彼女はそんなわけないと言った。
だから僕は二度と来るなと脅した。
来たら殺すと言って。
これも初めて生まれた感情だった。
でも、彼女の瞳は、諦めたような、疲れたような。それでいて、喜色に見えた。
まるでこの試練に打ち勝って欲しいと願うような。
これも僕の願望だろうか。
心が締め付けられる。
だから僕は、あのコンクールで金賞を取った金木犀の絵を。
小学校の時の、あの秋の日の思い出を。
とても遠くに行ってしまった思い出の子との絵を。
湧き上がる衝動に任せて、僕は思い切り切り裂いたのだ。
◆
それからというもの、行く先々でその男女に会った。
それはもうエスパーかと言うくらいに会った。
そしていつもイチャイチャを見せつけてきた。
当然のごとく、無視をした。
会話なんてしない。
だけど吐き癖だけが育てられていった。
本当に何がしたかったのか、僕にはわからなかった。
諦めて欲しかったのか。僕のデザインにケチをつけたいのか。
そんな僕は一つの決断をした。
母には…結局あの二人のことは言えなかった。
お隣とは大人同士仲良くやっている。それこそ父が亡くなる前からも、僕が生まれる前からも。
しかも一人寂しく残すことになる。関係を拗らせたら母がどうなるかわからない。
ただ、覚悟は認めてくれた。
だから僕はこの町を出ることにした。
幼馴染との思い出があるこの町が、憎くて憎くて仕方がなかったのだ。
そんな僕を母は笑顔で送り出してくれた。
その笑顔が母の生前最後の姿だった。
◆
それから都会に出た僕は、当時まだ小さいながらも新しいことをしようと頑張っている会社に勤めた。
幸い人手不足で就活に苦労せずに、すんなり入れた。
その頃はリモートも増えていたが、社長は対面の空気を大事にする人だった。
これからリモートが主流にはなるだろうが、膝を突き合わせてなんぼ、だから外回りで汗かいてこいと言われ、汗をかいた。
なんぼの意味はよくわからなかったが、人付き合いを大事にしろ、そういうことだろう。
人付き合いは苦手だけど、でも大丈夫。
僕はデザインしたのだ。
外面の良い、人懐っこい18才の僕を。
あの低い峰で囲まれた町から出る際に、僕にとって都合の良い自分自身をデザインしたのだ。
鏡に向かって何度も何度も何度も言い聞かせて、厚い厚い鎧にし、カジュアルな僕をデザインしたのだ。
誰に好かれたいからではなく、誰からも嫌われないようにするために。
やがて、それは武器になり、なんぼの意味がわかっていった。
◆
そこからは会社が大きくなっていった。観察し、相手に合わせ、商談をまとめ。
いつしかチームを任せてもらえるようにまでなっていった。
ただ、あくまで作ったのは外面だけ。内面は吐き出すことも、吐き出し方も知らない18才の僕のままだった。
そんな時はあの鈍色の瞳を思い出して吐いていた。
ある取引先の外国人は、牧場の牛の吐くそれをピザと呼んで笑っていた。どうやらスラングだったらしい。
下品な。だけど、良いかもな。
そう思って僕も真似してピザと呼んだ。
真似することで、吐き気は薄れていった。
大好きなピザにそれを重ねて。
そうすることで克服したんだろう。
同僚や後輩に飲みに誘われるも、お酒は弱く、お金の絡まない、未来に進まない停滞したただの会話は苦痛だった。
それに、決まって男女の恋愛話、風俗や、不倫の話。誰が誰と。誰は良かった。誰は最悪。
僕にとっての鬼門だったが、決めたデザインは揺るがない。
サラリと交わし、日々を過ごした。
でも、知らず知らずのうちにストレスを溜めていた。
でもそれは気づかずに蝕んでいたのだと知った。
あいつに会って、知った。
◆
僕は運命の出会いをした。
そいつは真っ青なとても綺麗な綺麗なブルーの車だった。
ある取引先にあったそいつは、中古で外車だったけど、ワンオーナーで三万kmしか走ってなかった。
それに、ただの大衆車。
内装も傷んでおらず、後々パーツは無くなっていく。それでも良いかい? そう言われても、その場で買った。
車なんて全く興味もなかったけど。
海のない、峰に囲まれたあの町から抜け出せるような気がした。
物言わぬその車に恋をしたのだ。
一目惚れ、そういうんだろう。
あの幼馴染とのことがなければ初恋だ。
◆
それからは楽しかった。
すでに母は亡くなり、あの町にいる親戚とも疎遠になっていた独り身の僕を癒やしてくれた。
日本の津々浦々までそいつと出かけて美味いもんを食う。
それが趣味というか、僕の人生だった。
そいつは僕にはなくてはならないパートナーとなっていた。
いつしか、そいつがいることが日常になっていった。
ストレスは飛んでいった。唸り声とともに。
でも愛車、という言葉はなんだかイヤだった。
◆
大人になり、人様の恋愛相談なんかを柄にもなく引き受けたりするも、ひいてしまうことなんて多々あった。
僕より大変な振られ方をした子なんかもいた。
時に強引に、時に柔らかく、時に譲り。絶対に成し遂げる意志はひたすらに隠し、欲しいものを手に入れる。君に足らないのは圧倒的意志と観察力。
仕事だってそうだろ? 納期はあるし、ライバル社もある。その会社は選ぶ立場。君の武器とコネはどうだ? さあどうしようか。
そんな風に、だいたい相談ごとは仕事ベースで話すと感謝される。
適当だけど。
でも恋愛なんてしたことない僕に言う時点でそもそも間違ってる。
まあ喜んでるならいいか。
根拠のない自信は、時に人を助けるみたいだ。
恋や愛と聞いて、彼女のことを思い出す。
10年も経てばいろいろと見えてくる。
受け止め方や、受け取る大きさは人によって違うだろうけど、もう恨んじゃいない。
あの時、僕はただ無力で、ただ無知で、成し遂げる意志が虚弱だっただけだ。
多分、彼女も。
◆
僕の車とも付き合いは長くなった。
いつもエンジン警告灯がついたり消えたり、片目もついたり消えたり。
車屋に持ち込むも原因がわからない。
でもなぜかいつも車検をヒラリと躱す。
自信満々で高速を唸る。
まるで頭の良い猫みたいなライオンマークのそいつは僕の一番の大事だった。
それなりの幸せに満足していた。
まあ、事故るなら。死ぬのなら。それが運命ならばそれでもいいか。人さえ巻き込まなければ。
そう思っていた。
そしてまた何回目かの車検上がりで戻ってきた日。
出張明けで家に戻ってきた日。
ポストに、案内状が入っていた。
15年会。
それは、あの無力だった時の、無知だった僕の、タイムカプセルを開けるイベントの案内状だった。
案内状をゴミ箱に捨て、すぐにあいつに乗って出掛けた。
美容院に行き、さっぱりし、美味いもんを調べ予約し。
高速に乗り、数分。
そういえば、今日は僕の誕生日だったな。
それに気づいた時、僕の記憶は途絶えた。
最後に、なぜか金木犀の香りがしたような気がした。
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