輪廻の果てに飛び降りよう。@伽耶まどか

 ある秋の雨の日、小綺麗な事務所で空をぼんやり眺めていた。


「はぁ…」


 随分と高層にある事務所で、専用の一室で、ソファにもたれながら眺めていた。


「はぁ…」


 曇天に、斜めの雨に、今日というこの秋の日に、もう飽きた。飽きた。超飽き飽きた。


「はぁ…」


 これから来る冬時期は肌がつっぱるからすごく憂鬱だ。


「はぁ…」


 溜息の最中、いつものように控えめなノックが鳴り、青山さんが静かに入ってきた。


 彼女はわたしの付き人だった。


 もう慣れた関係だからか、気を抜いていた。


 だから溜息が出ていたことに気づいてなかった。



「どうしたんですか? ため息なんか吐いて。やっぱり緊張してるんですか?」



 彼女にそう問われるのは初めてだった。


 彼女がわたしについて…二年か。そういえば、随分と板についてきたな。


 最初なんて緊張しちゃってガチガチだったのに。


 それに、わたしが緊張だなんて。


 多くの賞を獲得してもどんな舞台であっても、どんな撮影であっても、緊張も張り詰めることもしない。


 所詮は演技だ。


 わたしの得意とするところだ。


 それに、本当の緊張なんか、中学三年生に置いてきた。


 それに、本当に張り詰めることなんか、高校二年生に置いてきた。


 これは、本当のことで、いつものことだった。



「緊張なんてしないわよ」



 嘘だ。確かに今日は緊張していた。


 彼女の言うものとは決して違うけれど。



「でも……本当にこれで良いんですか?」


「ええ。このシナリオが良いわ。この通り進めて。それと…」


「はい。確かに確認してきました。この車ですよね」



 彼女が持ってきたタブレットに映し出されていたのは、外国製の青い車だった。


 日本車にはない青色で、どこかシャンパンを帯びたような透明感のある青さをしている車だった。


 青くて青くて、綺麗な車だ。


 待ち望んでいた車だ。


 もう、何度目かわからない。


 もう、何車目かわからない。


 にっくき青さの青い車だ。



「…それで…車体番号は?」


「えっと…はい、これです。でもそれってそんなに大事なんですか?」


「わたしにとってはね」



 そう言いながら、彼女の見せてくれた番号を見て。


 わたしは息を飲んだ。


 見つけた。


 やっと見つけた。


 やっと先に見つけた。



「え、ええ、これでいいの。OKよ。すぐに購入して」


「…はい。にしても良いんですか? 外車ですけど、大衆車で…随分と古いみたいですけど…しかも中古車ですよ? ワンオーナーみたいですが…ご自身でも乗るんですよね?」


「撮影が終わってもね。だって可愛いじゃない」



 嘘だ。全然可愛いくなんかない。



「くすっ、エンジェルナンバーでしたっけ。そういうの、信じてないと思ってました」


「もう、何よ。信じてもいいじゃない別に」



 嘘だ。全然信じてなんかない。



「くすっ、まどかさん、可愛いです」


「……まあ、少し興奮してるわ」



 本当だ。わたしは興奮している。



「…初めてのマイカー購入ですものね。意外でした。もっとバンバン外車を乗り回していたのかと」


「失礼ね。外車なんて生まれて初めてよ」



 嘘だ。


 今ならマローダーだって乗りこなせる。





 撮影当日、現場に向かう車内で、青山さんがわたしに言ってきた。



「でも本当に良くOKしましたね。シナリオ書いた子、まだ高校生ですよ?」


「…良いものは良い。それだけよ」



 嘘だ。たまたま都合の良いシナリオを見つけただけだ。



「でも…その…今更ですけどビッチ役だなんて…」


「大丈夫よ。問題ないわ」



 本当だ。むしろ得意だ。



「しかも何ですか、この殺し屋って設定…スタントナシだなんて…アクションなんて今までしてました?」


「いいえ。でも問題ないわ」



 本当だ。むしろ得意だ。


 わたしは大事なものを守るために、あらゆる格闘技をマスターしている。



「しかも…本当にご自身で運転されるんですか? めちゃくちゃ崖に近いから怖いです」


「そうね。怖いわ」



 嘘だ。全然怖くなんかない。


 そして彼女の懸念は当たっている。だからわたしは彼女に本当に嘘をつくのだ。



「でも大丈夫よ。本当に」



 本当に、本当だ。わたしには本当なのだ。


 本当に念願なのだ。



「運転は初めてだけどね」



 嘘だ。車の運転なんて、目を瞑っていてもできる。



「でも…このところ何か…思い詰めてませんか?」


「気のせいよ。でもこれで叶うから」



 嘘だ。これは叶うかどうかわからない。


 思い願い祈っているだけだ。


 未来を、希望を、願望を、将来を、きっとあるのだと信じて、また試すだけだ。



「…まだタイトル狙っていただなんて…なら安心ですね。なんか儚くって消えちゃいそうで心配してたんです。違ってて良かったです」


「…心配させてごめんなさいね」



 そうね。違うわね。


 違うけど、違わないわね。





 エンジェルナンバー106。


 “全てのシナリオはもう良い方向へ流れるように描かれ、全ての準備や手配は完了しているのです”


 ふざけないで。


 そんなわけないじゃない。


 でも今回は大丈夫。


 わざわざ調べてあげたんだから大丈夫。


 毎回毎回先に買われちゃうけど大丈夫。


 今回は先に買ったから大丈夫。


 それにスタントカーに抜擢してあげたんだから大丈夫。


 CGなんかで誤魔化さないから大丈夫。


 くそシナリオなんて潰してあげるから大丈夫。



 おーほっほっほっほ────!



「まどかさん! まどかさん! 大丈夫ですか!? 悪役令嬢役が抜けてないですよ!」


「は!」


 

 ええ、大丈夫大丈夫。


 大丈夫ですとも。


 嬉し過ぎてトリップしちゃってただけですとも。


 それに、わたしはまだ狂ってない。


 そうだ、わたしはまだ狂えない。


 この青い車を潰さないと、狂うに狂えない。


 わたしの手でスクラップにしないと、狂ってしまうだけ。


 だから見てなさい。


 おーほっほっほっほ────!



「まどかさん! やっぱり大丈夫ですかッ!? 声! 声出てます! やっぱり前の役が残って…迫真の演技でしたし…成り切るって大変なんですね…」


「…エキサイトしているだけよ」



 本当だ。あの外車に興奮している。


 本当に、あの害車に昂奮している。


 もう逃がさないから。


 もう逃げられないから。


 わたしが直接行くと駄目だったから。


 今回は周りを使って丁寧に囲っていったから。


 そしてやっとオーナーになれたから。


 だからエキサイトしても仕方がない。


 だって死ぬのが嬉しいだなんて、初めてなんだし。


 ウキウキしながら死ぬなんて初めてなんだし。


 ましてや、彼の為だなんて。


 それは興奮も昂奮もしちゃうわよ。


 さあ、一緒に崖から海にダイヴしましょう。


 さあ、輪廻の果てに飛び降りましょう。


 そしてほら、一緒に仲良くスクラップになりましょう。


 大女優と心中だなんて、とってもとっても華があると思うんだ、わたし。


 

 おーほっほっほっほ────!

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