過去のわたし。@円谷華

 一人暮らしのわたしの家に、一通の招待状が入っていた。


 朝帰り、キツイ香水で誤魔化した情事のあとが鼻につく。


 顰めた顔で封を解いた。



「…15年会……懐かしいな…」



 未来の自分への手紙を受け取るイベント。


 もうあれから15年も経ったんだ。


 相変わらずの独り身で、コーヒーを飲みながら呟いた。


 わたしには忘れられない人がいた。


 柏木裕介。


 裕くん。


 わたしの幼馴染で、わたしの初恋相手で、わたしの元彼で、わたしの大好きだった人だ。


 そしてわたしが裏切った人だ。





 幼い頃のわたしは人見知りの激しい子供だった。


 同年代の子達よりも背はかなり小さく、大きな子に囲まれるとパニックになるくらいだった。


 でもそんな時は決まってお隣の裕くんが助けてくれた。


 裕くんは辿々しく話すわたしの話をいつもニコニコしながら聞いてくれていた。話に夢中になると暴走してずーと話続けるわたしをニコニコしながら興味深く聞いてくれていた。


 悲しい時はお絵描きをして一緒に遊んだ。


 くしゃくしゃな紙みたいなわたしの悲しい心が、楽しくカラフルに弾むようにと、いろいろな色を使って、まるで魔法のように暖かくも楽しませてくれた。


 わたしの心と毎日を鮮やかに彩り、楽しく変えてくれる凄腕魔法使いさんだった。



 裕くんは絵が得意だった。


 裕くんは謙遜していたけど、事実、小学五年生の時、市のコンクールで金賞をとった。


 学校の写生大会で描いた絵だった。


 あの絵は素敵だった。



 そんな裕くんに恋をする女の子が現れた。小六の時だ。その女の子、今は忘れちゃったけど、その子はバレンタインに告白するから協力してとわたしに言った。


 わたしはまだその時わからなかったのだろう。うんって言ってその子を手伝って準備した。


 準備と言っても裕くんの予定を聞き出すだけだから簡単な話だったんだけど、なぜかなかなか聞き出せなかった。


 ついに聞き出し彼女に伝えてホッとしていたら、もう一人の幼馴染、翔くんがやってきて、チョコが欲しいと言い出した。


 翔くんはいつもいじめっ子から守ってくれていた。そして仕返しも容赦なかった。嬉しいけど、いつも過度にやり過ぎるからわたしは苦手だった。


 わたしは母に言われたまま何個か作っていたから翔くんに渡した。すごい喜んでその場で食べた。


 それから二人でその女の子と裕くんのバレンタインを、なぜかドキドキしながら見守った。


 裕くんは笑顔で受け取っていた。


 告白は……あんまりよくわかってなかった。


 裕くんは昔からニブいのだ。


 わたしもだけど。


 でもその時ようやく気づいたんだ。


 あ。わたし裕くん好き。


 だからその告白を断って欲しいと厚かましくも頼んだ。なぜと聞かれたからわたしが悲しいって伝えた。


 華ちゃんが悲しいのは嫌だなって断ってくれた。嬉しかった。


 本当は好きって言えば良かったのに、先に翔くんにチョコをあげてたから躊躇した。


 いつかきちんと告げようって決めて、わたしは臆病な性格を直すように努力した。


 それからは裕くんにべったりとなった。わたしは素直にデレたのだ。


 中学に入ってからもそれは続いた。


 でも裕くんは相変わらずニブかった。


 絵ばっか描いて、かまってくれなかった。


 いつしか裕くんから告白してもらいたくなっていった。


 でも学校ではコミュ力を高めたせいか、常に人に囲まれ、話せない。


 でも家に帰れば、すぐに逢える。まるでふたりだけの内緒の秘密みたいで、幸せだった。


 中学三年の冬。


 あの日、翔くんに、あいつに無理矢理奪われるまでは。





 それからの毎日は、苦痛だった。


 身体を差し出す日々だった。


 悍ましいあいつの所業は口には出したくない。


 ただあいつの望みは、裕くんとわたしが付き合うことだった。


 付き合わなければバラす。


 その一言でわたしは動けなくなった。


 裕くんからの告白は断りたかった。


 願いが叶い、涙が出るくらい嬉しいのに、断りたかった。


 こんな汚いわたしと付き合ってはいけないって、断りたかった。


 それをあいつは楽しんでいた。





 浮気をバラさなければ、わたしはこのままの関係を続けていたのだろうか。


 いや、心は疲弊していたからそう長くは持たなかっただろう。


 心を裕くんで満たし、身体をあいつで満たし。そう見えるように振る舞った。


 あいつは危うかった。


 裕くんに何をするかわからなかった。


 だから言えなかった。


 裕くんは必ず助けてくれただろう。


 けど、こんなわたしを見られたくなかった。


 こんな汚い口でキスなんて出来なかった。


 求めてくれる裕くんをかわすのに、嬉しさと罪悪感で押しつぶされそうだった。


 でもあいつは何がしたいのか裕くんと別れさせてくれなかった。


 もう限界だった。


 だから高校二年の夏休みで無理矢理断ち切った。


 あいつを騙して嗜虐心を盛り上げて。


 裕くんを騙して見せつけて、決定的に徹底的に嫌われてしまおうって。


 もう心が限界だった。


 でも、裕くんはそれでも手を伸ばしてくれた。


 浅はかなわたしは見抜かれていた。



『華… 何か理由があるなら……聞かせて欲しい………そっか。なら、これだけは聞かせてほしい。僕のことは…好きじゃないか…?』


 その言葉ではっとした。


 罪悪感が限界に達してからまともに顔を見れなくなっていた。


 久しぶりにちゃんと見た裕くんは、憔悴していた。


 わたしは好きな人になんて悲しい顔をさせてしまったのかと。


 残酷な決断を委ねてしまったのかと。


 ガツンと殴られたのだ。


 自分の心の限界なんて、些細なことだった。


 陽だまりみたいな裕くんには幸せがよく似合う。


 だからこんな汚いわたしなんか忘れて欲しくって、真逆の事を言った。



 そんなに好きじゃなかった。だって浮気するくらいだし。


 翔太に言われたから付き合ったんだよ。


 男は時に強引じゃないと。


 裕くんって頼りないしー。



 いろいろ思いつくまま言いながら涙が出てきた。


 駄目。泣く資格なんかない。でも止まらない。せめて笑わないと。


 どうしようもなく裕くんとの思い出が溢れてくる。


 その思い出にあの日の排泄物と吐瀉物がかかり、汚れていく。


 はは。もうわたしなんかばっちりばっちく汚れてるのに、悲しいなんて思ってる。


 誤解して欲しくないって、厚かましくも思ってる。


 わたしは裕くんが吐いてる横で嘘を吐き続けた。


 笑いながら泣きながら、嘘を吐き続けた。


 嘘が本当になるように、嘘を吐き続けた。


 裕くんは何も言わずに去ろうとした。


 瞬間的に背中に手を伸ばして口にした。


『ごめんなさい』


 我慢していたのに、わたしの本当が口から出てしまった。


 それだけがわたしの本当だった。


 決して見せないようにと思ってたのに。


 それが最後の会話だった。


 こんなわたしを好きだと言ってくれてありがとう。


 大好きでした。


 裕くんが去った公園で一人隠れて泣いた。





 それから高校を卒業したわたしは地元の大学に進学した。あいつもだった。


 裕くんは、この町を出ていった。


 当たり前だけど、お別れもなかった。


 お隣さんでも幼馴染ですらもうなかった。


 彼が隣からいなくなって、やっと気づいた。


 わたしは見当違いにも、ああ、失恋したんだとようやく気づいた。


 涙はもう出なかった。


 それからというもの、あいつが何を言おうが何にも心は動かなかった。


 抱かれても何とも思わなかった。


 演技する気もおきない。


 あいつは次第に荒れていった。


 打たれても、特に何にも感じない。


 何が調教だと言うのか。


 わたしがそう振る舞っていたことに気づいてすらいなかった。


 本当に馬鹿だ。


 わたしと同じ大馬鹿だ。


 その時になってやっとわたしはあいつに向き合い、絶縁を突きつけた。


 裕くんと別れる前は何にも出来なかったのに。


 裕くんがこの町を去るまでは何にも出来なかったのに。


 すると今度は脅してきた。


 まるで初めてキスを奪った時のように。


 まるで初めてを奪ったときのように。


 わたしの写真や動画を、ばら撒くならばら撒けばいいと言ってやった。


 裕くんがいないなら、何にも意味なんてない。


 それと、すぐにあいつの親に言った。


 自分の親にも打ち明けた。


 被害届を出し、すぐに警察も動いた。


 示談には応じなかった。


 結果、あいつ、翔太は大学を去った。


 前科をつけて、この町を去っていった。



 あまりにも簡単過ぎて、わたしの心はそれで折れた。

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