第3話 シュールレアリスム異世界ガチャ

「痛いよぉ……痛いよ、ママ……」

「さめざめと泣くのをやめてください。本当に気持ち悪いので」

「殺しといて何言ってんだよ」


 二人は先ほどとほぼ変わらない風景の中にいた。空の色が鈍色でさっきより随分寒いほかは、一緒だ。


「というか、異世界転生失敗してるじゃねえかよ!!」

「転生だったら赤ちゃんになるので、正確には転移です」

「そうだね。そうだけどどうでもいいんだよ」

「失敗はしてませんけど、同じような世界に来てしまいました。だから言ったでしょう、『異世界ガチャ』だって。今回はハズレです」

「つまり」

「はい、御覚悟」


 再び高野流星のサバイバルナイフが空を切り、浅見原エリヤは喉を切り裂かれて死んだ。



 I woke up to find myself in another world. Again, again and again.


 ああ、ママ。俺、起こされちゃうんだ。何度も、何度も。

 助けて。俺を許して。大変だったねって、言ってよ。 


 殺され、目を覚まし、美しい少女の顔を見る。

 悪夢のような繰り返しに、しかし果てはない。

 幻覚のような、首の痛みに慣れることもない。

 あともう一つ加えるならば、『はい、御覚悟』という掛け声もどうにも気になって仕方ない。


「他になんて言えばいいの。お命頂戴?」

「知らんけど」


 数十回目の繰り返しの後、エリヤは嫌になって砂地の上に大の字に伸びていた。高野流星もさすがに少し疲れたように、ナイフを右手に握ったまま立ち尽くし、彼を見下ろしている。 


「というか俺を殺した後、お前どうしてんの?」

「普通に自分をぐさっとやってますけど」

「……一回くらい代わろうか?」

「あなた手際悪そうなので嫌です」

「なんでお前は手際いいんだよ」


 彼が起き上がる気配もないのを見たのか、高野流星はエリヤの隣に腰を下ろした。立てば芍薬、座れば牡丹。そんな言葉が頭をよぎるほど端整な正座。


「安心してください。こんな異世界転移ができるのは序盤だけ、少しでも【自宅性ホームネス】が高い世界を見つけるまで。この方法で元の世界に帰ることはできません」

「なんで?」

「いくつか理由はありますが、例えば先ほど言った『異世界転生』の問題です。『異世界転生』は赤ちゃんになって生まれ変わること。つまり、『転生』の概念がある世界に飛び移るリスクが発生してしまったらもう使えないの。自分が自分のまま帰れないのは、エクストリーム帰宅のルールに反するから」

「ルールあるんだ」

「以前、『自分』を定義し直すことで、二十四人の別人と合一して帰宅したと主張する選手プレイヤーの事例はあったのですが」

「あるんだ?」

「外見は出発した選手と完全に別人ですので、誰も事実確認ができませんでした。それ以降、少なくとも学生大会では、『自分』の再定義は不可とされています」


 淡々と語りながら、高野流星は彼女のものである赤い唇に少し触れた。


「そりゃそうだろ。むしろその次元の反則じゃないと禁止されないのか」

「何にせよ『転生』の概念がある世界なら、元の世界とある程度比較可能な文明があると思うから。自宅や故郷の概念も、きっとその世界にはあるでしょう。そうなったら別のアプローチができます」

「あれ、というか、ちょっと待って。『転生』の定義がある世界ってことは、それ、つまり『ママ』がいる世界ってこと?」

「……そう言われてみれば、そうなりますね」


 偶然ってあるものですね、と高野流星は興味なさそうに呟く。


「この異世界ガチャにとっての『当たり』は、『ママ』ですね」

「よっしゃ、早く殺せ」

 

 183㎝が颯爽と立ち上がった影が、うすぼんやりと光る砂地に長く伸びる。


「異世界にいるママはあなたのママではありませんが」

「わかってんだよそんなことは。俺のママは俺ん家にいる、今も俺を待ってる一人だけだ。それでも世界中の母親には、俺のママが少しずつ含まれてる。そんな気がするんだよ」

「自分の母親に母性を感じるのではなく、世間一般の母性に自分だけの母親を投影する。その倒錯の精神、見習いたいものですね」


 流星は顔をしかめながら立ち上がった。


「再開の前に一応方針をお伝えしておくと、このガチャは『サルヴァトール・ダリ』狙いです」

「は?」


 一応進学校の学生だし、ちょっと小洒落たアートにも興味はなくもないし、エリヤもあのピンと立った変な髭の画家のオジサンのことは知っている。しかし今、なぜ。そんな疑問を浮かべた顔を、黒曜石のような瞳が射抜く。


「おそらくあなたは知る由もないと思うので何も言いませんでしたが、私達はずっとイヴ・タンギーという画家の作品の風景に極めてよく似た世界を転々としてきていました。なんで最初がタンギーなのかはわかりませんが。このイヴ・タンギーはシュールレアリスムの画家ですが、他のアイコン的な作家たち以上に、シュールレアリスムに対し非常に純粋な作風によって」

「ごめん、何?」

「もしや、シュールレアリスムを知らない?」

「シュールってこと?」


 はぁぁ、と高野流星はこれ見よがしなクソデカ溜息をついた。


「現代の”シュール”はシュールレアリスムとはもはや掛け離れた概念です」

「あっ……そう」


 美少女にめちゃくちゃイライラされているが、その理由さえエリヤにはわからない。おそらく高等数学と同じように、彼女にとってシュールレアリスムは大事な何かなのだろう。全く理解できないが。


「シュールレアリスムの云々については置いておきましょう。あなたには永遠に理解できないと思われますので。タンギーとダリの絵はちょっと似てるけどだいぶ作風が違う。ただ、20世紀半ばのシュールレアリスムの画家という点では同じですので、『異世界』としても近い位置にあると思われます。つまり同じガチャから排出されるということです」

「エクストリーム帰宅って美術の知識すら必要なの?」

「この程度は教養の範囲内かと思いますが」

「それで、なんでダリを狙うんだよ」


 高野流星は身構えるように一歩後ろに下がった。”その概念”を持ち出す前の予備動作として。


「いいですか。ダリの作品に、『ポルト・リガトの聖母』という絵があります」

「なるほど、ママか。話が見えてきた」

「何よりです。ここで理解されるのは想定外ですが」


 固い顔で彼女は頷いた。


「ポルト・リガトはサルヴァトール・ダリと妻のガラが住んだ実在の街です。また、この作品はダリの名作としては大変珍しく、なんと日本に収蔵されていることで有名です。これらの要素だけでも、作品内に及ぼされる【自宅性ホームネス】は、少なくともタンギーの純粋概念的な世界よりは高いと思われますので。ダリの世界に辿り着けるまでガチャです。いいですね?」

「ママの存在する場所に行けるなら何でもいい。おし、死ぬか」

「説明の意義なかったですね」


 二人の冒険者ガチャラーの影が長く砂に伸びていた。少女は銀色にきらめく刃を手に持って、少年は首を反らし、彼女の前に喉を露わにして。


「それでは、『はい、お命頂戴』」

「……なんか、やっぱ、それも、だせえな、………」


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