六一七年 秋の一節

渡り、色づいた木の葉がウィリデに秋の訪れを告げる。

 収穫祭を二節に控え、ウィリデでは収穫の準備が着々と進められ、すでに収穫を終えた畑もあった。

 そんな秋の、農夫たちもまだ寝静まっている朝まだきのことだ。

 薄闇に紛れ、一人の男がひっそりと物陰に立っていた。壮年の男のようだった。男は誰かを待っているようだ。身じろぎもせず、物陰で静かに立っている。

 動かず陰に潜む男の元に、誰かが現れた。若い男のようだった。微かな足音すら立てず、壮年の男が潜む物陰へ大股で移動する。若い男は、上着に縫い付けた帽子を目深に被り、顔を隠していた。

 若い男が誰かを確認すると、壮年の男は声を潜め、挨拶もそこそこに話し出した。


「全員が戻り、ここより東の町でカンテ東支部部隊長の姿を見た者は皆無と報告が」

「そうか。じゃあやっぱり、が神獣の仔で間違いないな」

「陛下から、再び雷害があってはならんと書状を預かって参りました」

「言われるまでもないだろ。雷に怯える日々なんて、誰も過ごしたくない。俺だって……母親の恥がいつ世間に晒されるか怯える日々を、送りたくはねーしな」

「では、計画は続行で?」

「期日は来節。その日は誰もウィリデから出さない。手配しておけ」


 壮年の男がうなずき、薄闇に消える。

 若い男はしばらくそこにとどまった。太陽が昇るのを待ち、物陰から出る。石畳の上に足を乗せて、やっと男は帽子を取った。

 石畳を歩き、詰め所へ戻るチャルチを、太陽だけが見ていた。

 それから、日が過ぎて。

 ヤラィの畑の一つが、収穫を迎えた。高齢のヤラィも当然のように畑へ出て、実った作物を収穫する。年老いた父が怪我をしないかとハラハラするダナンも畑に出て収穫している。ヤラィから家を借りているカンテ・ユピト親子も、当然手伝いに駆り出されていた。なぜかカルウィンまで手伝わされている。

 この時期ばかりは警備兵たちも収穫に駆り出され、武器ではなく農具を手に取る。警備兵たちが収穫を手伝うことから、収穫の季節はユノも詰め所から畑へ出ていた。畑で働く男たちの休憩や食事の世話をするためだ。

 収穫の時期は畑の世話を優先するべしと、何やら書面で定められているらしい。警備兵長がマナズからチャルチに変わっても、それは変わらなかった。

 これにより、見張りの役に当たっていない者は皆、畑に出ている。そしてユノも、ヤラィの妻から指示を受け、冷えた水を配り歩いたり軽く摘まめるものを作ったりと大忙しで走り回っていた。

 朝から働き通しで、そろそろお昼にしようと全員が一斉に休憩を取ったときのことだ。ユノが差し出した水を飲み干したダナンが「もうすぐ収穫祭だね」と話を振った。


「今年の収穫祭、夜は火を焚くんだって」


 収穫祭は土の神と水の神に感謝をする祭りであり、火を焚く必要はない。驚いたユノは「火を?」と水を配り歩く足を止めた。


「収穫祭なのに、どうして火を焚くの?」


 驚くユノに、カルウィンが説明する。


「収穫した後には料理をするだろ? 料理に火は必須だ。今年からは火の神様にも感謝を捧げるんだってよ」


 カルウィンの説明に、ユピトが納得したようにうなずく。


「火の神様、ほかの神様が食べるもんが羨ましいって言ってたもんな」

「神様から直接聞いたような言い方すんなよ。バチ当てられっぞ」


 ぺちっとユピトの頭をはたき、カルウィンが窘める。ユピトは平気な顔でけらけら笑っていた。

 それからユノは、ヤラィの妻と一緒に収穫をする者たちへお昼を配り歩いた。水と食事で一息入れ、再び収穫が始まる。空になった器を片付け、家へ運び込み、丁寧に洗っていたユノは、はたと思い出した。


「夕飯の用意、何もしてない」


 詰め所よりも収穫を優先していいと言われていても、ユノは食事の用意だけは欠かさなかった。しかし今日はぼんやりしていたのか、夕食の準備をせずに出てきてしまった。

 早く行かなきゃと焦るユノに、ヤラィの妻が「詰め所のこと?」と優しく尋ねる。


「警備兵さんたちのお夕食よね? いいわ、こっちは私に任せて。あとは洗うだけだもの」

「でも、奥さん」

「平気よ、平気。ユノちゃん、詰め所のお掃除も今日はできてないでしょ? こっちの後片付けが終わったら、手伝いに行くわね」

「そんなっ、平気です! 慣れた仕事ですから」


 ヤラィは年齢を感じさせない元気があるが、ヤラィの妻は年相応に体力の衰えを感じさせる。無理はさせられないと断り、ユノは洗い物を済ませると急ぎ詰め所へ戻った。

 詰め所の前まで行くと、外にチャルチの姿が見えた。詰め所の影で、険しい顔をして立っている。そばには、ウィリデで見ない顔の男がいた。チャルチはその男と何やら話をしているようだった。

 知らない男に警戒し、ユノは足を止めた。ユノに気づいた男が、ちらりとユノを見て、チャルチに示す。チャルチの顔から険が消え、いつもの気さくな青年の顔に戻った。

 男はチャルチに軽く手を挙げ、ユノとすれ違うようにウィリデの町へ消えた。チャルチは男と話していなかったかのようにユノに声をかける。


「どうした? 収穫、もう終わったのか?」

「いえ、収穫はまだ……。こっちの掃除と、夕飯の準備をしに戻ってきました」

「はは、律儀だなぁ。収穫の時期は畑を優先していいって言っただろ?」


 まあいいやと呟き、チャルチは「戻ろうぜ」とユノを詰め所へ促した。だが、ユノは足を踏み出さなかった。


「あの……それより、今の人は誰ですか?」


 ユノの問いを予想していたのか、チャルチはすぐに「王都での顔なじみだ」と返した。


「王都にいた頃、同じ部隊にいてな。今、隣町のアキルスにいるんだ。来節こっちで収穫祭だって話したら、酒でも送りましょうかって」


 ユノの目には、二人がそんな話をしているようには見えなかった。それになぜ、警備兵が警備する町を離れて別の町にいるのか。なぜ、町に戻らずウィリデに残ったのか。

 問いかけたくても、ユノはできなかった。チャルチの目が、ユノに語りかけるからだ。


『言わない方が賢いぞ』


 不穏な空気が漂う中、収穫祭の準備は着々と進んでいた。

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