六一七年 夏の三節

 夏も終わりが近づく、三節のある日。

 休みを与えられたユノは、家主のラグに「羽を伸ばしな」と追い出され、朝から暇を持て余していた。誰か、何か、手伝いや用事はないかと尋ねて回るユノを捕まえたのはカンテだった。


「昼飯作ってもらえねーか、ユノちゃん」

「よろこんで」


 カンテに連れられ、ウィリデの端にほど近い借家へ向かう。十年前から剣術指導の場として使われているそこでは、子供たちが木剣を振るっている。指導役らしいユピトに、子供たちは次々質問していた。へどもどしていたユピトは、父であるカンテが戻ってきたことに気づくと「あっ」と声を上げた。


「どこ行ってたんだよ親父! 教えるのが仕事だろ、怠けんな!」

「まあまあ、ユノちゃん連れてきてやったからそう怒るなって」


 カンテの後ろからユノが顔を出すと、ユピトの顔は勢いよく赤くなった。その勢いにつられ、ユノも顔を赤くしてしまう。二人の様子に子供たちがニヤニヤ笑っていると気づいたユノは、そそくさとカンテたちが住まう借家へ入った。

 台所には、二人分にしては多すぎる食材が置かれている。遅れて台所に入ってきたカンテが「ああ、それなぁ」と食材一つひとつを指さした。


「子供たちも食わせてくれって、食材押しつけられてな。こんな量を料理したことねーし、ユノちゃん、ひとつ頼むぜ」


 そう言い残すと、カンテはユノの背中をバシッと叩いて台所を出て行った。息子のような扱いを受けた背中をさすりながら、ユノはさてと考え込んだ。

 この大量の食材で、カンテから扱かれへとへとになるであろう子供たちに何を食べさせようか。

 あれでもない、これでもないと考え抜いて献立を決めると、ユノは「よしっ」と呟いて腕まくりをした。

 ユノの調理中、休憩なのか、子供たちが何度か水を求めてやってきた。水瓶からひとすくいの水を飲ませてもらうと、子供たちは興味津々といった様子でユノの手元を覗き込む。


「何つくってんの?」

「おれね、おれね、すっぱいよりしょっぱいのがいい!」

「内緒だよ。食べるときのお楽しみ」


 ユノが人差し指を立てると、子供たちはニッと笑って「楽しみ!」と笑いながら出て行った。そんなやり取りを繰り返すうちに、ユノは子供たちが入ってきても気づかないほど調理に集中していた。

 ユノの集中力を途切れさせたのは、ユピトに指導役を押しつけたカンテだ。口笛を吹きながら台所に入ってきたかと思うと、わざわざユノに手を止めさせ、何を作っているのか尋ねた。ユノは秘密だと答え、水を飲みくつろぐカンテに眉をひそめてみせた。


「指導役がカンテさんだから、みんな子供を預けるんですよ?」

「わかってるわかってる。ちょっと休憩してるだけだって。ユピトに〝自分の技術を他人に教える〟ってことを覚えさせてんだよ」


 ほんとかな、と訝しむユノの前でもう一杯水を飲んだカンテは、外から子供たちが駆け込んで来る気配がないのを確認すると「ちょうどいいな」と言って、ユノに直球の質問をした。


「チャルチに俺たちのこと何か言われただろ」


 今までの軽い声音ががらりと変わり、重く鋭い声になる。悪いことなど一つもしていないユノがぎくりと身を強張らせると、カンテはニヤニヤ笑って壁にもたれかかった。


「さらに言えば……あの馬鹿息子、ユノちゃんに見せただろ。獣の姿を」


 ユノの目が泳ぐ。すべては目が語っていた。聞かずとも察したカンテは、動揺するユノに、さらなる動揺を与えた。


「ユピトはな、俺の〝妹〟の子なんだよ。だからあいつは、母親が生きてたって加護を授かれない」


 驚き固まるユノに、カンテは自分がかつて王国兵団に所属していたと明かした。それからカンテは、自身の過去とユピトの生まれについて、話し出した。


「俺には家族がいた。両親に妹、その下に弟がいた。だがまぁ、長男坊の俺は親と折り合いが悪くてな。成人してすぐ王国兵団の試験を受けて、そのまま家に帰らなかった」


 帰らず、便りすら送らず、妹が結婚したことも知らなかった。妹との折り合いはそれほど悪くはなかったはずだが、カンテとその妹にとって、互いはいてもいなくても変わらない存在だった。

 東支部部隊長にまで登り詰め、部隊にいる部下が妹の夫であったことも、カンテは知らなかった。部下の妻が神獣に攫われたと聞いたときも、それが妹である可能性など、欠片も考えなかった。

 命令が下され、カンテは東支部から腕利きを選りすぐり、必ず神獣を討伐するであろう部隊を組んだ。それでも、神獣はカンテたちの手からするりするりと逃げ続けた。思い返せば、カンテたちを暗く深い森へ案内するような足取りだった。

 名もなき深い森まで、カンテたちは神獣を追った。深追いをしすぎたのか、気づけばカンテはたった一人で神獣の黒い毛並みを追っていた。

 一人になったと気づいたカンテは足を止め、このまま追うべきか部下たちを探すべきか悩んだ。

 悩むカンテを、神獣は立ち止まって振り向いた。飛びかかられるかと身構えたカンテに、神獣は近寄らなかった。ゆったりと尾を振り、金色の瞳でじっとカンテを見据えた。神獣の体は、青い光を帯びていた。

 じりじりと、カンテはすり足で足を前へ進めた。カンテが追う意思を見せたことで、神獣は再び駆け出した。カンテを森の奥へ誘うように、決してカンテを振り切らない速度で、走り続けた。

 神獣が立ち止まったのは、洞窟の前だった。まとう光を強くして、神獣はカンテを先導するように洞窟の奥へ進む。カンテは、洞窟の奥で腹の膨れた女を見つけた。

 黒い髪、やや白目がちの目。

 十年以上会っていなかった妹の姿に声も出なかった――と、カンテは語った。


「やっぱ、血ってのは深い繋がりなのかね。十年以上会ってなくても、わかるもんなんだと驚いたぜ」


 光の宿らない暗い瞳で、今にも泣きそうな声で、カンテは語る。


「大きな腹抱えて、青く光る黒い獣と寄り添ってても、目の前にいるのが妹だってわかるんだ」


 神獣は、カンテの前で姿を変えた。若い男の姿になった神獣は、カンテに神獣の真実を明かした。

 青い光をまとう神獣は、元々〝神〟だった。赤い光をまとう神獣は、神から力を奪った獣だった。赤の神獣は神を憎み、神を崇める人間をも憎む。青の神獣は人々を守るため、赤の神獣を倒そうとしていた。

 青の神獣は必要な時以外に雷を落としたりしない。だが赤の神獣は、人や、動物や、植物の命を脅かすために雷を落とす。いたずらに、ただ壊すために、雷を使う。

 赤の神獣をこれ以上好きに暴れさせてはならないと言って、若い男は再び神獣へ姿を変えた。金色の目で、信じてくれとカンテに訴える。不思議と、カンテは神獣を信じることができた。だがなぜ、神獣が妹を連れ去ったのか理解できない。大きな腹を抱える妹を、なぜ攫ったのか。なぜ、夫にその光景を見せたのか。

 カンテは、妹に問いかけた。妹は顔を背け、一言だけ答えた。


「結婚した人が、優しい人ではなかったの」


 寄り添った神獣の毛並みに顔を埋め、妹はそれ以上何も答えなかった。だが、カンテにはそれで十分だった。

 わずかに見える肌に、痣がある。艶やかだった黒髪に艶がない。伏せがちな目に浮かんでいる怯えの色。

 カンテが察したとわかったのか、神獣は妹に寄り添ったまま、協力をしてくれないかとカンテに頼んだ。


「赤の神獣を、俺はもう少しで仕留められる。その後なら、俺をどうしてくれてもいい。だがどうか、この人と俺の子を助けてくれ」


 妹の腹を膨れさせているのは、神獣だった。腹にいる子は、神獣の子だった。

 カンテの立場が兄でなければ、動揺は計り知れなかったかもしれない。だがカンテは静かにそれを受け入れ、一つだけ、妹に尋ねた。


「お前は、そいつを愛してるか?」


 問いかけに、妹は顔を上げた。妹の目から怯えが消え、まっすぐな瞳がカンテを見つめた。


「この人とだったら、死んでもいい」


 そうかとうなずき、カンテは神獣と約束を取り付けた。


「あんたが赤の神獣とやらを仕留めるまで、俺は、部隊の動きを鈍らせよう。だが、あんたを追うのはやめない。それで構わないな?」

「ありがとう。それで十分だ」


 神獣が「もう少し」と言ったとおり、カンテはそれほど長い期間、自分の部隊を欺かなくて済んだ。約束からわずか一節ほどで、神獣は赤の神獣を仕留めた。その牙で、爪で、赤の神獣の息の根を止めた。だが赤の神獣もまた、神獣から大事なものを奪っていた。

 カンテは、その場に居合わせなかった。礫のような雨の強さ、雷鳴の凄まじさで神獣たちの争いに気づき、部下を振り切って駆けつけた。だが、間に合いはしなかった。

 なぜその場にいたのか、理由はわからない。だが赤の神獣の死骸が転がるそばに、妹の亡骸もあった。赤い血は、妹のものか赤い神獣のものかわからないほどに広がり、混ざっていた。

 神獣は慟哭した。「守れなかった」と悔やみ、吼えた。神獣の慟哭に、赤ん坊の泣き声が重なった。妹の亡骸のそばに、赤ん坊が転がっていた。赤ん坊は小さな体で懸命に息を吸い、母の死を理解するかのように泣き喚いていた。

 子供の額には角があった。神獣と同じ、鋭い角だった。神獣はよろめく足取りで赤ん坊に近づき、大きな口でくわえ、カンテの前に下ろした。そのまま膝を折り、足をつき、地面に座り込んだ状態で、鼻先で子供をカンテへ押しやる。

 力のない声で、神獣はカンテに子供を托した。


「しばらくは、姿が安定しない。獣になったり、人になったり落ち着かない。あなたにしか頼めないんだ。どうかこの子を、守ってください」

「……名前は、どうする」


 子供を抱き上げ、カンテは剣を抜いた。神獣の金色の瞳が、カンテを見上げる。互いに、雨でずぶ濡れになっていた。体はしとどに濡れ、その目からこぼれる雫が雨か涙かの判断もつかない。

 カンテの問いに、神獣は答えた。


「ユピトと、あの人は名付けました」

「わかった」


 うなずき、カンテは剣を振り上げた。


「名も知らぬ神獣よ。お前と妹の子ユピトは、この王国兵団東支部部隊長カンテが、必ず守る」

「……ありがとう」


 神獣は頭を垂れ、首を差し出した。神獣の首は、王国兵団東支部の兵士によって刎ねられた。

 物語によれば、神獣の首はカンテの部下たちによって王都へ持ち帰られた。だが、カンテはそれを確認していない。神獣の首を置いて、妹の亡骸を置いて、カンテはその場を去ったのだ。

 王国兵団の鎧を捨て、剣だけを持ち、ユピトを抱えて東へ東へと移動して生きてきた。

 東へ向かう理由を、カンテはぽつりと語った。


「元が神だってんなら、神の地へ行けば受け入れてもらえるんじゃないかと思ってなぁ。東へ東へと流れてたが……」


 カンテは言葉を句切り、ユノを見た。暗かった瞳に、わずかに光が宿った。白目がちの瞳が優しく和らぐのを、ユノは見た。


「ここでユピトは、あんたと会った。このままここで暮らすのと、東の地へ行くのと……どっちがいいか、俺は……わからなくなっちまった」


 そして、そのまま、十年の時が過ぎたのだ。


「俺は根無し草でもいい。元々、居場所なんてあってないようなもんだった。でもな、ユピトには……居場所が、拠り所が、あっていいんじゃねえかって思ってる」


 壁から身を離し、カンテはユノを指さした。


「どうだ、ユノちゃん。あんたがユピトに好意を抱いてるのは誰もが知ってる。だが、今の話を聞いてもあんたは変わらない好意を抱き続けられるか?」


 ユピトの拠り所になれるのか?

 ユピトの帰る場所になれるのか?

 すべてを聞いてなお、ユピトを受け入れられるのか?


 そう尋ねられ、ユノはすぐに答えられなかった。ぐっと唇を結ぶユノに、カンテはさらに言葉を重ねようとした。だが、子供たちの足音に口をつぐんだ。

 台所へ、子供たちがどやどやと駆け込んだ。


「カンテせんせー、ユピト兄ちゃんおしえかたへったくそー!」

「カンテさん、戻ってきて教えろよ!}

「わかったわかった、わかったから引っ張るな。俺は繕いもんが苦手なんだよ!」


 子供たちに群がられ、服を引っ張られ、手を引かれ、カンテはユノと会話なんかしていなかったように台所を出て行った。

 ユノに息をつかせる暇すら与えないのか、入れ替わるようにユピトがやってきた。子供の相手をしたせいか、汗をかき、ずいぶん暑そうだ。

 ユピトはユノに目もくれず水瓶の前へ行き、一杯分の水で人心地ついた。そこでようやくユノに気づき、びくっと肩を震わせた。


「ゆ、ユノっ?」

「お疲れ様、ユピト」


 労われ、ユピトはあちこちへ視線をさまよわせたかと思うと、目を伏せ小さな声で「ごめん」と呟いた。


「なかなか出て来ねえから、もう帰ったのかと、思って……」

「カンテさんと喋ってたら、ちょっと遅くなっちゃった。ごめんね、もうすぐ作り終わるから」

「そ、そうか……。親父が、邪魔してごめんな」

「ううん、全然」


 首を振り、ユノはユピトを見た。ユノに見られているとも気づかず、ユピトはまだ目を伏せ床に視線を注いでいる。顔は見えないが、耳がじわじわと赤くなっていく様はよく見えた。

 カンテから聞かされた話を思い出し、ユピトに出会った日のことを思い出し、穴の底から助けられた日を思い出し、そしてつい先日、木の上から助けられたことを思い出す。

 過ごした日々を思い出し、反芻したユノの唇から、言葉がこぼれ落ちた。


「また、ご飯を作りに来てもいい?」


 ユピトの顔が上がり、金色の瞳がユノを見る。目を見開いた顔はすでに赤い。「え」と声を漏らすユピトの声音で、ユノは自分が言ったことの意味に気づいた。もしも〝婦人会〟の誰かに聞かれていたら、はしたない娘だと顔を顰められてしまう。ユノは慌てて言い訳を探した。


「えっと、あのねっ? ユピトがね、いつも頑張ってるからっ。応援……そう、応援! したい、なって……」


 この言い訳で〝婦人会〟を誤魔化せるかと問われれば、ユノは首を振るしかできないだろう。ユノは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 うつむくユノを見て、ユピトは困った顔でまた視線をうろうろとさまよわせた。だが今度は、床でも壁でもなく、ユノへ視線を固定した。ユピトはユノに近づき、手を伸ばせば触れられるほどの近さで立ち止まった。ユピトが自分の前に立ったと気づき、ユノはおずおず顔を上げる。ユピトは耳まで赤くながら、「この前……」とこの夏の一節について打ち明けた。


「この前……討伐んとき、ずっと笑顔でいてほしいとか、ほかの男といてほしくないとか……そう思う相手はいないのかって、聞かれたんだ」


 今度は、ユノが驚きで「え」と声を上げる番だった。榛色の目を見開くユノを見下ろし、ユピトは続けた。


「そんとき浮かんだのが……ユノ、だった」


 ユノの真っ赤な顔が、これ以上ないほどに赤くなった。ユピトもユノと同じかそれ以上に顔を赤くしながら、思いの丈をユノにぶつける。


「ユノにはずっと、笑っててほしい。俺のそばにいてほしい。ユノがほかの人……チャルチさんとか、ダナンとか……と、話してんのを見てると、胸のこの辺りが、痛くなる」


 ユピトの手が、自らの左胸を押さえた。左胸でぎゅうと固く握られた手がほどかれたかと思うと、その手はユノの手を包むように握った。毎日の鍛錬でマメができ、できては潰れるせいで手のひらは硬く、指は節くれ立ってゴツゴツした手だ。包まれたユノの手も、家事や炊事で荒れて、昔のように滑らかではない。すっかり大人になってしまった証だ。ユノもユピトも、大人になったのだ。

 ユノの手を包み、ユノの目を見つめ、ユピトは言い淀むことなく続けた。


「俺はこの先、神様の加護も受けらんねえ。ダナンみたいに頭が良くないから学者様にもなれねえし、カルウィンみたいに店を持つこともできねえ。チャルチさんみたいに、兵になることも、できないと思う。俺と一緒になったって、貧乏暮らしが続く。だけど、でも……」


 ユピトの金色の瞳に、真っ赤になったユノが映り込む。ユピトの榛色の瞳には、耳まで赤いユピトが映っている。


「ユノだけは絶対不幸にしない。俺の一生をかけて幸せにする。約束する。だから、俺と……お、俺とっ」


 ユピトは一度だけ、顔を伏せた。それでも手を離したりせず、むしろより強くユノの手を握っている。

 顔を上げたユピトは、真剣な目でユノを見つめた。いつも照れてはすぐ逸らす目が、まっすぐ、貫くようにユノを見つめている。

 ユピトはかすれた声で、ユノに求婚した。


「俺と、夫婦になってほしい」


 ユノの中に答えは一つしかない。嬉しさに声も出なくなったユノは、何度も何度も首を縦に振ることで意思を示した。ユピトは「ほんとか?」と信じられない目でユノを見た。


「ほんとに、俺で……俺で、いいのか?」


 ユピトの手の力が緩んだ。ユノはすかさず自分の手をユピトの手から抜くと、今度は自分の手で、ユピトの手を包み込んだ。見下ろすユピトを見上げ、「私だって」と訴える。


「私だって……私も、ユピトを幸せにしたい。ユピトと一緒に、二人で幸せになりたい!」


 ユピトはぷるぷる震えたかと思うと、ユノをひょいと抱き上げた。抱き上げたユノを見上げ、ユピトは「夢じゃないよな?」と尋ねる。不安そうに聞こえる台詞だが、ユピトの声からはちっとも不安を感じない。

 ユノが大きくうなずくと、ユピトは喜び、くるくると回り出した。


「嬉しい……嬉しい、嬉しいなぁ、ユノ!」

「わぁ待って! 下ろして! 危ないよユピト! 止まって!」


 子供のように喜ぶユピトに、ユノは照れも相まって「下ろして」と訴える。ユピトは「いやだ!」と拒否すると、回るのをやめてユノをぎゅうと抱きしめた。


「嬉しいんだ。ユノが俺と夫婦になるって言ってくれて、嬉しい。こんな幸せでいいのか?」

「私も、同じこと思ってるよ」


 足が宙に浮いたまま、ユノもユピトを抱きしめた。

 抱き合い、幸せに浸る二人を、戸口から覗く者がいた。それは、カンテに「ユピトを呼んでこい!」と言いつけられた子供たちだった。

 子供たちに見られていると気づいたユピトは、ハッと我に返ると、そっとユノを下ろした。下ろされたユノは恥ずかしさに子供たちと反対を向いてしまった。

 二人の反応を見て、子供たちはくふくふ楽しそうに笑う。その笑みに、ユピトは耐えきれず脱走を図った。子供たちがいる戸口ではなく、裏口からの脱走だ。

 脱兎のごとく逃げ出したユピトを、子供たちが「まてまてー!」「奥さん置いてくってどういうりょーけんしてんだー!」と追いかけていく。

 ユピトには悪いと思いながら、ユノは自分から矛先が逸れたことにホッとしていた。だが、その安堵はすぐに消え去る。

 子供たちがいなくなった戸口に、カンテが立っていた。子供たち同様、カンテもニヤニヤ笑っている。


 ――料理さえなければ今すぐ逃げ出しちゃうのに! ご飯さえ作り終わってたら逃げ出せたのに!


 そう思っても、律儀な性格のせいでユノは逃げ出すこともできない。外から聞こえる子供たちとユピトの声を聞くともなしに聞きながら、ユノは鍋の中の具材が煮えるのを、カンテに見守られながら待っていた。

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