六〇七年 秋の二節

 秋の二節、タマリの週が来た。ウィリデの町で収穫祭が執り行われる週だ。

 収穫祭は町の中央広場で行われる。中央広場には土の・水の神二柱の祭壇が用意され、三役が収穫物の一部を捧げる。二柱が現れ、収穫物を受け取れば、あとはどんちゃん騒ぎが始まる。

 収穫祭の日は、昼も夜も大騒ぎだ。昼の間は子供も大人も仕事を休み、中央広場にて、収穫物で作った料理を食べては音楽とともに踊る。

 料理はいくつもの小さな屋台で作られ、誰もが無償で食べることができた。この日ばかりは、甘い物もたっぷり振る舞われる。子供たちは大喜びで屋台に並び、お腹を満たしては踊り、遊び、楽しんだ。

 夜は大人が大喜びする番だった。夜になれば、三役から酒が振る舞われるのだ。

 酒を飲んで気をよくしたウィリデの大人たちは、酒を振る舞った三役たちに礼を言ってその際に彼らの杯になみなみと酒を注いでいく。お陰でユノの父エオロも苦手である酒をたっぷり飲まされた。だが「酒に弱いから」と言ったところで意味はない。

 町民たちは「じゃあこの機会に強くならなくちゃ」「酒くらい飲めなきゃ王都でも苦労するぞぅ」とますますエオロに酒を振る舞うのだ。

 三役たちは広場から離れることができない。商人フェオの息子カルウィンは、眠いとぐずる子供たちを一人ひとり家へと送っていった。農学者ヤラィの息子ダナンも、その手伝いで子供たちの面倒を見ている。では医者エオロの娘ユノはというと――。


「おいおいユノちゃん頼むぜ、しっかり歩いてくれよ」

「うう……ねむい……」

「おやじ、おんぶ……」

「ユピトぉ、お前までかぁ!? 勘弁してくれよ、ただでさえエオロ先生に睨まれてんだぜ俺は!」


 とっくに眠る時間を越えていたユノは、眠気に負けていた。広場の片隅でユピトと寄り添い眠るユノを見つけたカンテは慌てて二人を引き離し、ユノを家まで送ることになった。本来ならエオロの妻オセルに引き渡すのだが、今晩ばかりはオセルも忙しそうにあちこち走り回っている。ユノを引き渡せる余裕はなかったのだ。

 広場からユノの家まではそう遠い距離でもなかった。だが家に着くまでに、ユノはカンテの背中に、ユピトはカンテに小脇に抱えられていた。


「おーい、どこに寝かせりゃいいんだ?」


 カンテに背負われたユノは、言葉になっていない声で自分の部屋を教えた。だがカンテは、ユノが指で差す方向で判断しなくてはならなかった。

 何とかユノの部屋へたどり着くと、簡素なベッドにユノを下ろし、カンテは息子を連れて立ち去ろうとした。だが、ユノはそれを許さなかった。


「ユノちゃん。悪いけど息子の手ぇ離してくれるか?」

「いぃやぁああ……」

「いやーじゃなくてな……おいユピト、起きろ。ユノちゃんに手を離してもらえ」

「いやだ……おれ……もうねる……」

「ユピトぉ。頼むって、起きろよぉ」


 情けない声を出してカンテが懇願しても、二人の手は離れない。がっちりと繋がれた手を見て、カンテは大きな大きなため息を吐いた。

 カンテが折れるしかない。カンテたち親子は、エオロ宅で一晩の宿を借りることになった。

 ユピトもベッドへ放り込み、カンテは疲れたようにベッド脇の床にしゃがみ込んだ。


「勝手に泊まっちまって……。あーあ、こりゃ明日エオロ先生にどやされるな……」

「だいじょうぶれす……おとうさん、やさしいから……」

「そりゃユノちゃんには優しいだろうけどな?」


 ベッドに背を預け、カンテは床に座った。「早く寝ろよ」と声をかけられ、二人は仲良く返事をした。

 だが、あれだけの眠気は徐々に消えていった。二人の瞼は段々と持ち上がり、急速に笑いが込み上げた。

 くすくす笑い合う二人の声に気づき、カンテが再び「早く寝ろって」と声をかける。だが、いい返事は帰ってこなかった。

 ユノはベッドから半身を起こし、以前からカンテに聞きたかったことを質問した。


「カンテさんは、神獣って知ってますか?」


 少しだけ、カンテは黙り込んだ。まだ夢見心地でふわふわしているユノは、その沈黙を重いものと捉えない。だが平素であれば、触れてはいけないところに触れたと気づけただろう。

 しばらく黙り込んでいたカンテが口を開いたとき、重い空気は消えた。


「そりゃあ、なぁ」


 へへ、と笑うカンテの声は普段と変わりない。ベッドに肘を置き、二人を振り返り、無精髭の生えた顔にいつも通りの笑みを貼り付けていた。


「ユピトが生まれた年に、討伐されたんだ。嫌でも覚えてらぁ」


 自分の名前が出て、ユピトも起き上がった。ダナンの家で神獣を倒した兵士の話を読んだことをカンテに話す。


「おはなしで読んだんだ……あれ、本当なのか?」

「本当っちゃ本当だし、嘘っちゃ嘘だ。あれはルースの力をわかりやすく示すために書かれたもんだからな」

「本当に神獣っていたんですか?」

「本当に兵士が倒したのか?」


 すっかり眠気が吹き飛んだ二人に願われ、カンテは仕方なく、寝物語の代わりに神獣が兵士に倒されたときの話を始めた。


「まず……どの本にも書かれちゃいないが、神獣ってのは二頭いた。ルースだけじゃない。お隣さんのパマルや、ほかの国々にもいると思うぜ。二頭どころか、もっといる国もあるらしい」


 二頭いる神獣は、つがいでも仲間でもなかった。二頭の神獣は常に争っていた。

 一頭は、赤い光をまとっていた。

 一頭は、青い光をまとっていた。

 物語で語られる〝兵士が倒した神獣〟は青い光の神獣であり、赤い光の神獣は青い光の神獣に倒されていた。


「青い光をまとう神獣はな、悪い奴じゃねえんだ。黒髪の女を攫ったのだって、本当は……」


 カンテはそこで話を切り、黙り込んだ。暗い部屋は月明かりすら差し込まず、カンテの顔は見えない。ユノとユピトは固唾を呑んで続きを待った。だが、続きが語られることはなかった。

 顔を上げたカンテが、明るい声を出して話題を変えてしまったからだ。


「ルースは小国で、周りは大国に囲まれてる。なのに何で平和だと思う?」


 突然の質問だった。首を傾げ考え込むユノの隣で、ユピトがおずおずと答える。


「か、雷を落とす神獣が、いなくなったからか?」

「いいや、その前からだ。お前たちが生まれる前、俺がガキの頃から平和だったぜ、この国は」


 カンテが言うことには、ルースの民は神に仕え彼らの用命を果たすため、昔から神の加護が強かったらしい。他国とて神を信じているが、ルースとは信仰の形が異なる。ルースの信仰は、他国にとっては〝異〟であり〝脅威〟だった。

 もしもルースの信仰が他国と同じものだったら、とっくの昔に侵略されて跡形もなくどこかの国のものとなっていただろう――とカンテは語った。

 カンテの語る内容に、ユピトは「へぇ」と感心したように声を上げた。


「やっぱり、かごって便利なもんなんだな!」

「まあな。与えられるまでが面倒な分、見返りはでかい」


 二人の会話を聞いたら、ダナンなら卒倒するか「神様に謝って!」と青ざめるだろう。ダナンが慌てる様を想像し、ユノはくすっと笑った。カンテもにっと笑って、ユピトの頭をがしがしと撫でた。


「うちは貧乏だし、お前の母親も死んじまってるからなぁ。お前は俺と同じ加護なしだ、ユピト」

「母親がいねーのはしょうがねーけどっ、貧乏なのは親父がすぐ新しい剣ばっか買うからだろぉ!?」

「なまくら使って命落としちゃ話になんないだろ? 飯と同じくらい剣も大事なんだって」

「だからって息子のための金も貯めらんねーのはどういうことなんだよ!」


 ユピトは獣の歯が目立つ口を大きく開け、頭を撫でるカンテの手に噛みつこうとする。しかしカンテは「おっと」と軽く避けてしまった。空を噛んだユピトは唸らんばかりにカンテを睨む。息子に睨まれても、カンテの顔から笑みは消えない。

 再び噛みつきに行きそうなユピトの気配を察し、ユノは慌てて話題を変えようとした。


「え、ええとっ! 血の証明って、神様が嘘を嫌うからなんですよね? どうして神様は嘘が嫌いなんですか? どうして、本当の親子って証明しなくちゃいけないんですか?」


 ユノの問いに、カンテは「んん?」と考えるような素振りを見せた。だが答えは出なかったようで、返ってきたのは「さてなぁ」という曖昧な感情が滲む答えだった。


「神様たちにもいろいろあったと言われちゃいるが……誰の子かの証明が必要になった背景に何があるかは、学者さんたちもわかんねえらしいな」


 しんみりした空気を醸し出すカンテの声音に、問いかけたユノも、怒っていたユピトも、驚きにぽかんと口を開けてしまった。討伐や護衛の仕事以外で、カンテがこんな風に真剣な――どこか寂しそうな――表情を見せることはなかった。なのに今日は、二度もそんな感情を露わにした。

 いったいどうしたのだろうかと心配する二人の空気に気づいたのか、カンテは取り繕うようにいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。


「明日は先生にどやされるだろうなぁ。うまい言い訳考えといてくれよ、ユノちゃん」


 ぽんぽんとお腹を叩き、カンテは二人を寝かしつけにかかった。カンテの手つきは母オセルほど優しくないし丁寧でもない。だが一定のリズムで優しく叩かれると、不思議に瞼が下りていく。まどろむユノの隣で、ユピトの寝息が聞こえた。健やかな寝息はますますユノを眠りへ誘った。


「カンテさん」

「んん? 何だ、どーしたユノちゃん」

「ユピトの、おでこの傷……わたし、治してあげたいの」

「……優しい子だな」


 ユノの耳には、カンテの声が泣きそうに聞こえた。泣きそうな声で、カンテは続けた。


「ユピトを、俺の息子を、怖がらないでやってくれ」


 怖がらないよ、とユノは答えた。だが口は思ったように動かず、不明瞭な声にしかならなかった。カンテには、十分伝わったようだった。

 父エオロとはまた違う、大きく硬く、ごつごつした手がユノの頭を撫でた。この手に撫でられたユピトが照れくさそうに、幸せそうに目を細めるのを、ユノは知っている。


 ――明日はユピトと、何をして遊ぼう。


 必ずやってくると疑わない〝幸せな明日〟を夢見て、ユノは眠りの底へ落ちていった。

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