六〇七年 秋の一節
風邪がすっかり治る頃には、ウィリデに秋が訪れていた。
元気になったユノは、いつも通り裏庭の薬草畑の世話をしていた。一ついつもと違うのは、薬草畑が二つに増えたことだ。以前エオロが話していた『火傷跡に効く薬草』がようやく手に入り、ユノは念願の〝自分だけの薬草畑〟も手に入れた。
医者である父の影響か、ユノは薬草やキノコについて図鑑を眺めることが好きだった。ユピトと森で遊んでいても、知っている薬草やキノコを見つけると「これはね」と嬉々として名前を教え効能を列挙した。ユピトはユノの話一つひとつに真剣に耳を傾け、うなずき、「ユノはすごいな!」と目を輝かせる。
火傷跡に効く薬草が育って、ユピトの額の傷を目立たなくさせる薬を作れば、ユピトはもっと目を輝かせてくれるだろうか。そんな期待を胸に抱いて、ユノは毎日薬草の世話をしていた。
今日も、ユノはユピトのためにと無心で世話をしていた。水やりをしていると、ユノの脳裏に木こりの娘ルルと、職人の娘リリの三人で遊んでいたときのことが思い起こされた。それはユピトがウィリデに馴染み、男の子たちに混じって遊ぶようになった頃のことだった。
ウィリデの中で嫁ぐなら誰がいいか、という話題になったのは、三人がおままごとをしていたからだ。食材に見立てた雑草を皿に見立てた木の葉に載せながら、二人はカルウィンとダナンの名前を挙げた。
「お嫁に行くなら、商人の子カルウィンか、学者様の息子ダナンよね!」
そう言ったのはリリだった。
「ユピトみたいなお馬鹿さんだけは、いやよねぇ」
そう言ったのは、ルルだった。普段は滅多に怒らないユノだが、このときばかりはムッとした。
「そんなことないよ。ユピトは優しいし、いい子だよ」
ユピトを庇うユノを、リリは鼻を鳴らして馬鹿にした。
「二人はお似合いかもね。ユノみたいなかしこい女はね、男にいやがられるのよ。お母さんが言ってたわ!」
そんなこと、ユノは初めて耳にした。
ショックのあまり声も出ないユノを見て、ルルが「ちょっと」とリリの言い草を諫める。しかし、リリはルルを無視して続ける。
「ユノは医者先生の娘で、いっつもむずかしいずかんばっかり読んでるから、かしこい女だってウィリデの男の子に思われてるわ。そんなユノをお嫁さんにしようなんて子、いないわよ」
「リリ、そこまで言わなくてもいいでしょ」
焦った顔でルルが止めるが、一度口から出た言葉はなかったことにできない。それどころか、ルルに二度も諫められたことで、リリは拗ねてしまった。謝るようルルに言われても「ほんとのことだもん」と膨れてしまって決して折れない。ルルに「ごめんね」と謝られても、ユノが受けたショックは癒えやしない。
気まずい雰囲気が。三人の間に流れた。風が吹き、木の葉ごと雑草を吹き飛ばす。もう、ままごとを続ける雰囲気ではなかった。
別れるに別れられず黙ったまま佇む三人にきっかけを与えたのは、ルルとリリの母たちだった。
「ルル! 今日は忙しいから弟たちの面倒見ときなって頼んだだろ!」
「リリ、母さん今日はお裁縫を教えるって言ったはずなんだけど?」
ルルとリリはそれぞれの母に引きずられ、家に連れ戻されてしまった。いつもなら引きずられながらも次の約束をしていたが、この日に限ってはそうではなかった。
この件以来、ユノは女の子と遊ぶのを控えるようになってしまった。
リリに言われた言葉を思い出してしゅんとしょげるユノのところへ、家の手伝いを終えたユピトがやってきた。ユノが二つの薬草畑を世話しているのを見て、「何してるんだ?」と興味津々な目で覗き込む。こうしてユピトに尋ねられると、ユノはリリの台詞も忘れ、つい説明してしまうのだ。
「これね、傷跡を薄くする薬を育ててるの」
「これが薬になるのか?」
「んっと、これだけじゃないけど、これも大事な材料。それでね」
説明をしながら、ユノはユピトをちらちらと見る。ユピトの輝く目は、ユノをじっと見ていた。気恥ずかしさから目を逸らし、ユノは意味もなく薬草の葉をいじりながら続きを話した。
「できあがったら、ユピトのおでこに……使って、ほしいなって」
「おれ? いいのか?」
きょとんとするユピトに、ユノは何度もうなずいた。薬草とユノを見比べ、ユピトはにかっと笑って、「嬉しい!」と喜んだ。
眩しい笑顔にユノの心臓がいつもよりずっとずっと速く脈打つ。血の巡りが頬まで達したとき、リリの台詞が再びユノの耳に呼び起こされた。
『ユノをお嫁さんにしようなんて子、いないわよ』
――ユピトも、わたしが薬草とかキノコの話をするの、いやかなぁ。
ユピトはそんなこと思わないかもしれない、いやユピトだって思ってるかも、とユノの頭で疑念と不安が渦巻く。空になったじょうろの持ち手を強く握り、ユノはユピトに、思い切って尋ねた。
「ゆ、ユピト」
「うん?」
「ユピトは、わたしがお父さんの図鑑を読んだり……こうやって薬草を育てたりするの、いや?」
「何でだ?」
心底不思議そうに尋ね返され、ユノは返事に窮した。もじもじするユノを見て何かを察したのか、ユピトは薬草畑の前でしゃがむと、薬草のひとつを指さした。
「おれ、こういう草見ても、何の薬になるかとか……全然わかんねえ」
「でも」とユノを見上げ、ユピトは眩しそうに笑った。
「ユノはわかる。人の役に立つことをたくさん知ってる。それって、いいことだ」
ユピトの笑顔に、ユノはまた胸が苦しくなった。ユノの胸の苦しみを知ってか知らずか、ユピトはまた薬草へ目を落とした。
「いっつも楽しそうにずかん読んでて、おれにも説明してくれる。ユノがずかんを見てるの、おれは好きだ」
ユノは自分の顔が真っ赤になったことを意識し、ユピトに見られないよう隠そうととっさに両手で頬を押さえた。しかしそのせいでじょうろが音を立てて落ち、ユピトは顔を上げてしまった。真っ赤な顔を押さえるユノを見て、ユピトはまた風邪がぶり返したのかと心配する。
「だ、大丈夫かっ? ユノ、顔が真っ赤だ! エオロ先生に診てもらったほうが、」
「大丈夫! 大丈夫だからっ」
ぶんぶんと首を振り、落としたじょうろを拾いながらユノは必死で言い訳をする。
「あ……あの、えっと、お世話終わったからっ、遊びに行こ! も、森っ! 森に行こう、ユピト! 怪物の討伐も終わったから、遊べるよ!」
「行く!」
目を輝かせうなずくユピトに待ち合わせ場所を伝えると、ユノは「じょうろ片付けてくる!」と言ってその場を離れた。ユノの赤い顔、赤い頬。それらに疑問も持たず、ユピトは待ち合わせ場所へ走って行った。
じょうろをぎゅうと抱きしめ、ユノは今にも泣きそうな声で呟く。
「好きって、言ってくれた。いいことって、言ってくれた。ユピトは、嫌がらなかった――」
嬉しい、と呟き、ユノは落ち葉より赤くなりながら家へと走った。リリの言葉は段々と小さくなり、ユピトの声がユノの胸を満たしていく。
物置にじょうろを片付け、ユノはまだ熱い頬を扇いだ。
「……わたしも、ユピトの優しいところが好き。ユピトの笑った顔が好き。ユピトが――好き」
いつか言えたらな、と呟き、ユノはまた真っ赤になった。扇いでも扇いでも頬の熱は冷めない。このままでは、家に入っても両親から風邪がぶり返したと心配されるだろう。そうなっては、ユピトと遊べない。
早く冷めてと必死に扇ぐが、ユノの頬の熱は、なかなか下がらなかった。
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