時の間

外東葉久

時の間

 時間というものは、どこまでも融通がきかないものだ。

 忙しい。かなり。

 しかし、心地よい忙しさというものは、この世に存在する。仕事の内容が濃く、多くとも、カフェでのんびりする時間や、映画を延々と見る時間があれば、それは心地よいのである。

 かくいう自分も、今、喫茶店で窓の外を眺めながら、コーヒーをすすっている訳であるが、これは休息ではない。ものの数分もすれば、仕事の相手がやってきて、打ち合わせが始まるのだ。この時世に、会って打ち合わせをするなど、珍しいとは思うが、会うからこそ引き出せる話もある。まあ、自分は古い人間なのかもしれない。

 ここ一ヶ月、毎週のように大きなイベントが立て込んでいて、準備や対策に追われている。しかも、あと一ヶ月はこの状態が続きそうだ。上のスケジューリングをどうかと思うのは、皆同じで、それでもやるしかないのが現状である。

 喫茶店の入り口に、相手の姿を認めると、脳のスイッチを切り替えた。


 相手を笑顔で送り出したときには、夜になっていた。これから一度職場に戻り、なんだかんだしてから、帰ることになりそうだ。

 夜の街並みを眺めながら歩き、そのエネルギーを体で受け止めて、若者の元気な姿に羨ましさを覚える。


 職場に戻ると、仲の良い同僚も仕事を片付けているところだった。

「お疲れぃ」

「お疲れー」

同僚の向かいにある、自分のデスクに腰を下ろし、一通り忙しさに愚痴を言い合う。言葉に出して、自分は忙しいと実感することも意外と大事だったりする。本当は忙しいのに、騙し騙し無理をすると、結局良いことがないというのは、お互い分かっているのだ。

 話はそのまま、世間話へと移行していった。

 「そういえば、この間、うちの父がついに使ったんだよ」

同僚が言った。

「本当に?どうだって?」

思わず顔をあげる。

「いやぁ、そもそも、もう仕事もしてなくて時間はあるから、さらに増やしたところで、気持ちいいものではないみたいだよ」

同僚は資料片手に言った。

「そうか。よく聞くけど、やっぱりそうなのかもな」

「俺ら、今のうちに使ったほうがいいのかな?」

しばし考えてから、

「じゃあ、もし使ったとしたら何をする?」

と聞いてみた。

「そうだよなぁ。それが分からないから困るんだよ」

同僚はそこで大きく伸びをした。

 「俺は一生、使わないでいいかな」

そう言ってみる。

「え?」

「俺は使わないつもり」

「ああ、まあ、それは自分で決めることだから」

同僚は言葉を濁した。


 今、時間の枠は緩みつつある。

 時間を延ばせるという装置が開発され、数年前から一般に普及するようになった。しかし、使えるのは一生に一回、一日分だけ。それ以上使うと、身体への負担や、周りへの影響が大きくなるらしい。

 延ばすといっても、実際に延びるのではなく、一日分過去に戻れるという仕組みだ。つまり、同じ日を二回繰り返すことで、時間が増えるということである。もちろん、過去や未来の自分、周りには干渉はできない。ひとりで過ごせ、ということだ。

 今現在、この装置を使うのは、通過儀礼のような位置づけになっていて、折角できるのであれば、やったほうが良いという流れが主流だ。

 でも、思うのだ。

 限りある時間だから、有意義に過ごせるのではないだろうか。時間が増えれば、その分怠けてしまうだけではないだろうか。

 時間という概念が発見されたときから、時間に限りがあることは決まっていて、それが人間に規律をもたらしたのではないだろうか。あるいは、人間が規律を持つために、必然的に創り出したのではないだろうか。この劇的な発見を崩すべきではないと思うのだ。


 だから、問うてみる。

「忙しいのも、楽しいだろ?」


 その言葉が、しばらく心の中にこだました。


「まあ、そうだな」

明るい笑みが返ってきた。

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時の間 外東葉久 @arc0

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