私のメイドは銀のメイド

「金と銀ではどちらが好ましい?」


 夕食の席でそう尋ねたのは、チョコレート家現当主で私たちチョコレート家四姉弟の父であるブロンド。機嫌の良さそうなお父様の問いに、私の上三人が次々に答えた。


「もちろん金ですわ、お父様。貧乏人にも一目で価値を伝えるあの輝きは、銀では出せませんもの」


 誇らしげに答えたのは、長子で長女のミルクお姉様。艶やかなチョコレート色の髪は、金の髪飾りのお陰で光沢を増している。

 続いて「同感だな」とうなずいたのは、長男ビターお兄様。


「僕も金と答えますよ、父上。絢爛たる輝き、そして価値。我々チョコレート家の地位と権力を誇示するにふさわしいのは金でしょう」


 胸を張るビターお兄様の胸元には、金のネクタイピン。まるでビターお兄様の顔色のように、燦然と輝いている。

 けほ、と咳き込んでから答えたのは、次女のホワイトお姉様だった。


「金……すなわち黄と橙。どちらも裕福さを表していますわ。見た目は大事ですものね。チョコレート家でなくとも、名家の者であるならば金を好ましく思いますわ」


 青白い頬にうっすらと笑みを浮かべるホワイトお姉様の指には、来春嫁ぐドラジェ家から送られた金の指輪。技巧を凝らした指輪は、シャンデリアの明かりを反射している。

 三人の兄姉がブロンドを褒めそやす答えを口にするのに対して、末子で三女の私ことルビーはというと。


「わたしは、銀が好ましいです」


 銀のスプーンを置きながら、私は〝銀〟と答えた。思い浮かんだのは、母・ココの指で輝く結婚指輪だ。後になって思うのは、お母様がこの場にいてくれたら――という有り得ない〝もしも〟。お母様がアーモンド叔母様の出産で家を空けなければ、お父様はこんな質問をしなかっただろう。そして私も、こんな返事をしなかったはず。


白銀しろがねの凜とした輝きは、わたしにないものです。わたしは、白銀のように凜とした淑女になりたいと思います」


 この答えにすぐさま反応したのは、お父様ではなくミルクお姉様。ワントーン上がった声が「あぁら」と私を突き刺す。


「ルビーは銀なんて貧相なものが好みなのね。淑女になったあなたもさぞ貧相でしょうよ」


 それに同調するのはビターお兄様。ふんと鼻を鳴らし、呆れたように肩を竦めた。


「まあ、お子様にはわからないだろうさ、金の良さというものは」


 言うまでもなく、ホワイトお姉様も忍び笑いで調子を合わせる。


「まあ、あれを清楚と表す人もおりますからね……。ルビーの感性は、そちら寄りなんでしょう」


 兄と姉二人から馬鹿にされ、私はしゅんとしょげ返った。三人は年が近く、仲がいい。ホワイトお姉様より八年も遅く生まれた私は、その輪に入ることができず、いつも馬鹿にされていた。私の手から出るチョコレートが普通のチョコレートだったならば、もう少し相手にされたかもしれない。私が落ち込んでいても、三人が私を小馬鹿にしても、お父様は諫めもしない。かといって、私の答えを馬鹿にしたりもしな。ただ楽しげに肩を揺らして笑うだけ。


「そうか。ミルクたちは金を好み、ルビーは銀を好むか」


 お父様は何度も「そうか」とうなずき、笑顔のまま食事を再開した。それに倣い、お兄様、お姉様たちもフォークやスプーンを持ち直す。私も、銀のスプーンを手に今日のスープを口へ運んだ。丁寧に裏ごしされたジャガイモの甘さが、優しかった。

 金と銀の好ましさを問うた食卓から数日後。お父様が、末子のルビー、つまり私を次期当主に指名した。長女のミルクお姉様でもなく、長男のビターお兄様でもない。

「なぜです」と顔を紅潮させ抗議したのはビターお兄様。「納得できません」と眦を吊り上げたのはミルクお姉様。私は二人の形相が恐ろしくて、体を縮こめるだけで精一杯だった。

 対するお父様は、あの食卓のようににこにこと笑顔だ。


「私の手が生み出すのは、ミルクチョコレートでもビターチョコレートでも、ましてやホワイトチョコレートでもない。ブロンドチョコレートだ。その私が当主の座につき、チョコレート家はここまで発展させた。つまりは、そういう理由わけだ」


 父は私に、自分同様の商才を期待している。けれどそれは、ミルクお姉様に望むべきだ。自分同様の威厳を期待するならば、ビターお兄様に。社交性は、ホワイトお姉様。私には、三人が持つどの才能もないのだから。

 商才も威厳も社交性も持たない私が次期当主。当然、お姉様たちは面白くない。三人の冷たい態度は次第に棘を含むようになり、悪意が混じり、害意が滲み、やがて殺意が潜むようになった。私に刺客が放たれるまで、さほど時間はかからなかったように思う。

 私が生きていられるのは、お父様が手配したメイド、シルバ・カトラリーのお陰だ。

 初めてシルバと向き合った瞬間の衝撃を、私は忘れられない。シルバは私が思い描く〝銀〟がそのまま現れたような女性だった。

 切れ長の銀の瞳。つんとした鼻。耳の下で揃えられた銀の髪。そして、子供相手でも曲がらないまっすぐな背筋。


 ――何て凜とした人なの。


 その上、名前は〝シルバ〟だ。すべてが揃ったメイドを前に、私は感動を隠せなかった。


「わたしと同じ、宝石の名前!」


 思わずはしゃいだ私の言葉を、シルバはぴしゃりと否定した。


「シルバーは貴金属であり、ルビーは鉱石です。同じではありません」


 お兄様やお姉様を思い出させるような、すげない返事だった。それも仕方ない、と私は自分自身に落胆した。初対面の相手に対して、あまりに幼い言動、淑女らしからぬはしゃいだ振る舞いをしてしまった。これから仕える主人がこんな体たらくでは、シルバもがっかりしただろう。

 すっかり気落ちした私を見て、シルバがハッと息を呑んだ。切れ長の目が、気まずそうに揺れる。


「……どちらも美しく輝くものの名であることは、同じですね」


 気まずそうな目が、私を見ていた。こんな私に、シルバは気を遣ってくれた。それが嬉しくて、私はつい素直に笑みを浮かべてしまった。


「そうね、どちらもきれいなものの名前だわ!」


 はにかみ、シルバにお礼を言う。


「ありがとう。シルバがそう言ってくれて、嬉しい。わたし、この名前があまり好きではなかったの」


 お兄様はビター。お姉様たちは、ミルクとホワイト。三人ともチョコレートにまつわる名前を受け継いでいるのに、私だけチョコレートらしからぬ鉱石の名前。お父様もブロンドだから、私だけ仲間外れというわけではない。けれど上の三人がしっかりとチョコレート家の名を継いでいるだけに、私は気後れしていた。けれどそれも、この日までのこと。


「シルバが美しく輝くものと言ってくれたから、これからは好きになれそうだわ」


 私の台詞に、シルバは気まずそうな顔から一転、驚いた顔へ表情を変化させた。そして、困った顔で少しだけ笑った。わずかに下がった眉と眦から滲む優しさに、私の頬はますます緩んでしまった。




 シルバが私の元へやってきてそう時間がたたない内に、お父様から避暑地のお屋敷を与えられた。私を亡き者にしようとするお兄様やお姉様たちから離すためらしい。家族と離れて田舎住まいになったのは寂しいけれど、村に住む人たちが優しく、シルバがそばにいてくれることが慰めになった。

 しかし、田舎住まいになっても私が次期当主であることに変わりはない。

 当主として恥ずかしい振る舞いをしないために、通いで家庭教師がやってくることになった。生家を見るために、月に一度はお父様が訪れてくださる。二人から振る舞いに関して合格をもらったら、次は年に一度、チョコレート家に関わる様々な人が集まるパーティーに顔を出さなくてはならない。

 当主として、淑女として、覚えることはたくさんあった。

 私が勉学に集中できるよう、シルバは昼間、たった一人でお屋敷を回してくれた。大変だからほかにもメイドを雇いましょうと提案したけれど、それを却下したのはほかならぬシルバだった。


「ルビーお嬢様の命を狙う輩は、今までもこれからも、顔を覚えるのも面倒になるほど来るでしょう。雇い入れたメイドが寝返らないとも限りません。逆に、メイドを人質に取られないとも限りません。足手まとい――失礼。危険な目に遭う者を増やさないためにも、ルビーお嬢様のお世話は私一人にお任せくださいませ」


 物静かなシルバがこんなにたくさん話すのは珍しい。仕事への熱意に感心しながら、私は「わかったわ」とうなずくほかなかった。

 昼間のシルバは、メイドとして忙しく働いている。掃除に洗濯、炊事に庭の手入れ。それにの対応! 昼間のお客様はほとんどがまっとうな人。けれど夜ののほとんどが、私の命を狙う刺客だ。

 シルバの指は、銀の弾丸アラザンを生み出す魔法の指だ。

 無から有を生み出す名家は、私の生家チョコレート家だけではない。シルバの父親は、無から有を生み出すドラジェ家の誰からしい。シルバのお母様は、ドラジェ家のメイドだったそうだ。

 指先から放たれるアラザンは、弾丸の如きスピードで狙い違わず刺客の眉間を打ち抜く。最近では滅多と見ない光景だけれど、このお屋敷に来たばかりの頃は、巨木のような刺客が血を流し倒れる姿に何度も気を失ったものだ。

 こんな風に、シルバは休む暇もなく働き通しだ。


 ――シルバはいつ休んでいるのかしら?


 こんな疑問が湧くのも必然といえる。この疑問が解決したのは、家庭教師のリボンさんが帰った翌日の昼下がり。言いつけられた宿題が一段落ついて、お茶が飲みたくなった頃だった。この時間、シルバは庭のバラを世話している。お茶くらい一人で入れられるようにならなくちゃと、私はベルを鳴らさず部屋を抜け出した。

 そして、火の気のない台所キッチンで見たのは、椅子に腰掛けうたた寝するシルバだった。


「まあ、シルバったら!」


 声に出し、その声の大きさにとっさに口を塞ぐ。いけないわ、シルバが起きちゃう。でも、シルバが風邪を引いたら大変!

 私は大急ぎで自分の部屋に戻り、いつも肩にかけるブランケットを持ち出した。ブランケットをかけても、シルバはすやすやと寝息を立てている。眠るシルバは、とても穏やかな顔をしていた。シルバがこんな無防備な姿を見せるなんて初めて。珍しさのあまり、シルバの顔をまじまじと見つめてしまう。

 思い出したのは、シルバが私の側仕えになったばかりの頃、ビターお兄様が憎々しげに言った台詞だ。


「お前のメイドは鉄面皮だな」


 鉄面皮。顔が鋼鉄のよう。つまり、表情が変わらないこと。確かにシルバは感情表現が控えめかもしれない。でもそれは、私の身に危険が及ばないか常に警戒しているせいだ。女性に対してそんな言葉を使うなんて、ビターお兄様ってばひどい人!

 怒る私を止めたのは、ほかの誰でもない、シルバだった。私の上着をそっと引いてから、私の斜め後ろで、ぴんと背筋を伸ばしてビターお兄様へ目を向けた。


「感情を表に出さぬことも、メイドの務めです」


 そう言ったシルバの顔は、本当に鉄でできているかのように、まったく感情が浮かんでいなかった。銀の睫毛に縁取られた銀の瞳に睨みつけられ、さすがのビターお兄様もたじろいでいた。

 今、このお屋敷で働くシルバは、鉄面皮の面影すらない。すぐ顔に出てしまう私に比べれば控えめと言えるけれど、チョコレート家にいた頃より豊かな表情を見せるようになった。何より、こんな風にうたた寝をするようになった。

 私は何度か「シルバ」と呼びかけ、彼女が起きないことを確認した。シルバはぴくりとも動かない。一度だけ深呼吸して、私はシルバに肩にそっと手を置いた。


「いつもありがとう、シルバ」


 ビターお兄様は鉄面皮だなんて言ったけれど、そんなことない。シルバの頬は、マシュマロのように柔らかかった。

 シルバの頬へのキスを終えて、私ははたと気づいて自分の唇を押さえた。


「どうしましょう。わたし、初めてのキスだったかもしれないわ」


 キスは大事な人とするまで取っておきなさい、と言ったのはお母様だった。私が次期当主に選ばれてから会えなくなってしまったけれど、今もお元気かしら。

 会えないことを寂しく思わないのは、シルバのお陰だ。ということは、シルバは家族に等しい大事な人といえる。初めてのキスは大事な人、つまりシルバに取っておいたのだ。そういうことにしておこう。

 キスに関してそう結論づけた私は、このことについて考えるのをやめた。そんなことよりも、お勉強の続きをしなくっちゃ。お茶は、シルバが起きてからにしよう。

 そっとドアを閉め、なるべく静かに部屋へ戻る。その足取りは、自分でもわかるほどに軽かった。


「シルバの頬は鉄じゃなくってマシュマロだって知ったら、ビターお兄様はどんな顔をするのかしら」


 もちろんそれを教えるつもりはない。次期当主である以前に、私は淑女だ。寝ている人にこっそりキスしただなんて、言えるわけもない。だけど――。


「わたしがキスしたなんて知ったら、シルバは、どんな顔をするかしら」


 はしたない、と怒るだろうか。当主の自覚が足りない、と呆れるだろうか。それとも?

 シルバがどんな顔を見せるのか。ああでもないこうでもないと想像しながら、私は堪えきれずふふふと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シルバ・カトラリーとルビー・チョコレートの感情 雲晴夏木 @kumohare72ki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ