第11話

翌朝——。ママが帰った後すぐにベッドへダイブしたが、目は開けられたまま。案の定、ちゃんと寝れなかった。

ストレスで肌荒れした顔を冷水でパシャパシャ洗い、玄関へ向かう。そろそろ、水道料金の請求書が届く頃合いだ。ドアポストに手を突っ込み、中をまさぐる。


「——ん?」


ペラッとめくれる紙の音。指の先端がチクッとする。この肌触りは薄い紙切れだ。ドアポストから引っこ抜く。


「ママから、か——?」


中から出てきたのは少しクシャッとなった紙切れ。その紙切れには見覚えのある筆跡でこう書かれてあった。


『昨日は本当にゴメンね。ママはこのまま仕事に行ってきます。そう云えば、パパがセラに会いたいって言ってたよ。なるべく今日中に』


気のせいか「そう云えば、パパが——」から筆跡が乱れているように見える。元々、達筆なため全然文字は読めるのだが、変に走り書きだ。またママに違和感を覚える。

文の最後には小さく「パパのブロック解除してあげてね」と書かれてある。ちなみに“パパ”というのは二年前にママと離婚した“他人”のことを指す。ブロック解除してあげてということは恐らくLINEのこと言っているのだろう。LINEのトーク欄を遠い過去まで遡る。


「あった、これか……」


父親の名前を発見。タップすると随分昔のトーク履歴が出てきた。最後に会話したのが四年前。私からメッセージで「了解」だった。他のメッセージを見てもだいたい事務的なことしか会話してない。一文、一文に感情がなく隠し切れない冷たさを感じる。

画面の上には「このユーザーは友達ではありません」と表記されてある。そのすぐ下には『追加』『解除』『通報』といくつか選択肢が設けられている。ここはママの言う通りに解除だろう。危うく『通報』のところをタップしかけた。


「うげっ……」


解除するとちょうど、父親からメッセージが届く。待ち合わせ場所だろうか。住所と一緒に「来なさい」と命令される。時間は今から一時間後。全く気乗りしないが行かないと後々面倒なことになりそうだ。渋々いつもの私服に着替え始める。


■■■


父親が送ってきた住所に到着。この住所は先日、千夏と来た行きつけのカフェだ。


「あっ」


窓ガラス越しに父親が見えた。優雅にコーヒーを飲み、娘を待っている。ただコーヒーを飲んでいるだけでも気に障る。沸々と苛立ちが湧き上がる。二年ぶりに会っても生理的に受け付られないらしい。


「お父さん」

「おお、久しぶりだな。元気にしてたか?」


私はスタスタと店内に入り、パパの元へ向かう。声を掛けると意外にもフランクな感じだった。相変わらず胡散臭い笑顔は健在だ。


「なに、急に私を呼び出して」

「まあまあ、取り敢えずそこの席に座りなさい」


手短に立ち話で済ませるつもりだったが、父は自分の向かい側の席に腰を下ろすよう促す。


「勘定は僕が払う。なんでも頼め」

「その命令口調やめて」

「ハハッ。これはすまない」


父は有名国立大学で教授をやっている。講義内容は人間の心理学について。90分間、口角泡飛ばして講釈垂れ続ける退屈な講義。履修した生徒からは評判がいいと風の噂で聞いた事がある。余談だが偉そうな口調は准教授時代からの名残だ。


「何飲むんだ?」

「じゃあ、ブラック頼むわ」

「ブラックなのに角砂糖7個入れていた頃が懐かしいな」

「黙れ」


わざわざ小さい黒歴史を蒸し返すな。もう私は成長したんだ。今は見栄ではなく純粋にブラックが飲みたい気分だ。

店員さんを呼んで注文を完了する。


「で、急に私を呼び出してなんの用?」

「娘の顔が見たくなかった」

「冗談言わないで」

「本当だよ」


また胡散臭い笑顔を浮かべる。詐欺師や怪しい宗教家の匂いがプンプンする。なにか裏があるような雰囲気だ。


「仕事に忙殺される日々に嫌気が差してね。我が愛娘に会いたくなったんだ」

「私はアンタの愛娘になった覚えはない」

「おいおい、キミも冗談はやめてくれよ。僕達は血が繋がった家族だろ?」


これは偶然か。昨日、私がママに吐いたセリフと同じことを吐きやがった。


「ただ血が繋がった仲だ。アンタは家族じゃない。赤の他人だ」

「違う。血が繋っていればみんな、家族だ」

「心理学の教授のくせにえらく浅はかな考えだな」


学術的に言えば、父の言っていることは正しい。だが、この世界はそう簡単に説明出来ない。人間の心理はもっと複雑だ。


「お前はいつまで経っても頑固だな。頭が固い」

「その言葉、そっくりそのままアンタに返すよ」


空気が徐々に悪化していく中、顔を引き攣らせた店員さんがコーヒーを机に置いていった。こんな公の場で親子喧嘩はみっともない。ゴホンと咳払いをして心を落ち着かせる。


「お前はいつも冷静を装っているが、その本性はせっかちで短気な泣き虫だ。もっと物事を理論的に分析して考えを導き出すんだ。意識すれば自ずと正解にたどり着ける」

「さっきからなに言ってんのか、サッパリ分かりませーん。早く本題に入ってくれませんか~?」


奴の言葉はいつも抽象的で聞いている側はイライラする。どうして、まともな会話ができない人間が大学では人気者なのか理解に苦しむ。


「本題はない。益体もない世間話をしたい」

「アンタ離婚する前に生産性のない会話は嫌いだって豪語してたじゃん。世間話なんか一番嫌いな類でしょ?」


前々からママの何気ない話が面白くないと不満を漏らしていた。離婚した理由の一つとして挙げていたのも覚えている。


「歳がいくと今まで無駄だと思っていたことも価値を見出すようになる」

「マジ意味わかんない……」


ああ、早く店から出て家に帰りたい。このままパパと話しているとストレスで毛が全部抜けそう。何年経っても生理的に無理だ。


「最近、悩み事はないか?」

「アンタに相談するような悩み事はございませーん」

「男遊びが激しいとどっかの誰かさんから聞いたのだが?」

「知りませーん」

「先日はN回目の失恋に精神を病み、線路を飛び出したとか?」

「なんでそんなこと知ってんの?」


飲んでいたコーヒーを吹きかける。コイツは私の心を見透かすどころか過去の行動まで把握している。自分の娘のことを全て知っておくことが親の役目だと前に語っていた。毎回、どうやって情報収集しているのか謎だ。


「簡単に命を無駄にしようとするな。親として死なれては困る」


「親として死なれては困る」という発言が少し引っかかる。自己中な性格がこの言葉から滲み出る。


「私が死のうが生きようが私の勝手でしょ。特にアンタには関係ない話だ」

「ホントにお前は僕のことが嫌いだね」


娘にボロカスに言われているのに、一切落ち込んだ様子を見せない。むしろ、喜んでいるように見える。その余裕ぶった態度が前から気に食わない。どうせアンタも私のことが嫌いなくせに。


「僕は少なくともお前のことは嫌いじゃない。なんなら、最近は好きといっても過言ではない」

「はぁ⁉」


そもそも親として産まれた時から好きであれよ。得意げに胸を張るな。


「眉の動きや目の開き方、足の開き方や瞳孔の大きさ、唇の乾燥具合や手の動き等々——。僅かな変化だが表情がコロコロ変わるところが堪らなく好きだ。特に感情を押し殺そうと必死になっている姿はどんなものより甘美‼」

「——キショ」


心の底から出た嫌悪の言葉。ヤツの発言はただ性癖が歪んだ変態野郎だ。キャラ付けするならマッドサイエンティストがお似合いだろう。


「今後も期待しているよ、我が娘」

「もう帰ります。お会計よろしく」


コーヒーがまだ半分残っていたが、飲む気が失せた。椅子から立ち上がり、流し目で睨みつける。


「ママはなんでこんなクズに一回惚れたんだろう……」


親子揃って男運がないとはいえ、さすがに理解できない。惚れる要素がまるでない。強いて言えば、顔が良いだけ。


「本人曰く、内に秘めた遊び心に惹かれたそうだ」


私の心の声が漏れていたらしく、そう返事してきた。彼のどこを見て遊び心をあると判断したのか、どうにも解せない。





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アンサンブル 石油王 @ryohei0801

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