第10話

あっという間に昼は過ぎ、黄昏色の夕陽が顔を出す。今日もまた千夏とダラダラお酒を飲んでいたら、いつの間にか夜が耽る。終始、千夏のテンションは高く、全く七年のブランクを感じさせない。初めのぎこちなさはなんだったんだろう。

一通り酒を飲んだあと、千夏は家に帰ると言って玄関を出る。私が途中まで送って上げると言ったが、自分一人で帰れるから大丈夫と断られた。この辺の土地の丑三つ時はゴッサムシティ並みに治安が悪くなる。成人しているとはいえ女の子一人、夜道を歩かせるのは気が引ける。千夏がそこまで心配しなくてもいいのにとニカッと笑顔で背中を叩いてきた。七年間、失踪していたヤツが何を言ってるんだ。

取り敢えず、家に着いたらLINEで連絡するように言っておいた。


『——ピンポーン!』


千夏が玄関を出てから数分後。本日二回目のインターフォンが鳴る。インターフォンのカメラで顔を確認すると——。


「ママだよぉ~」


泥酔したママだった。顔面をカメラすれすれまで近づけて、両目だけを映す。なんとなく目の下の隈が気になるが、仕事の疲れかな。


「早く開けてよぉ~。ママ、風邪引いちゃうぅ~」

「はいはい……」


二日連続で私の家に来るなんて珍しい。珍しいどころか今日が初めてだ。いつもなら半年に一回のペースでしか来ないのに、どういう風の吹き回しだ。

一先ず、ドタバタと鍵を開ける。


「ただいまぁ~」

「ママ、家間違ってない?」

「間違えてないわよぉ~。可愛い娘が住んでるんだからここも家みたいなものでしょ?」


例のごとく千鳥足でリビング方へ向かう。昨日より酔いが酷く、壁伝いに歩く。


「お酒は程々にって前から言ってるよね。もう若くないんだよ」

「うるさいぞぉ~。自分もさっきまでお酒たくさん飲んでたくせに」

「私はまだ若いからいいの!」


ママは机に散乱した空き缶を指差して抗議の色を示す。実は私もママと同じようにかなり酔っているのだが、それを悟れないように僅かな理性で見栄を張る。


「ああああ~、この座布団からなんか女の匂いがするぞぉ~。お友達いないで有名のセラちゃんは一体、誰を呼んだのかにゃ~」


ママの嗅覚は警察犬と同レベル。すぐに千夏の残り香を察知した。


「しかも、この匂い。どこか懐かしいよなぁ~。どっかで嗅いだよなぁ~」

「誰も呼んでない。アルコールで鼻がおかしくなってるんじゃない?」

「むぅ~、ママのお鼻はずっと正常だもん」


ママは千夏とは顔見知りだ。私が頻繫に千夏を家に呼んでいて、その時にママがよくお茶菓子を用意してくれた。ついでに三人でよく談笑もしていた。最後の方は本当の親子のように接していた。だから千夏が失踪したときは人一倍に涙を流し、暫く憔悴していた。やっとここ最近いつもの調子に戻ってきたけど。


「絶対、嗅いだことがある匂いだぁ!」

「気のせいだよ」


どうしてだろうか。普通はここでママに千夏の安否を教えてあげるべきなのに、咄嗟にシラを切る。やましいことはないはずなのに、ウソをついてしまう。私は親不孝だ。


「水、用意するから大人しく待ってな」

「はぁ~い」


浄水器でコップに水を汲む。ママにコップを渡すとぐびぐびと一気飲み。新鮮な水がお酒に見える。


「なんで今日もウチに来たの?」


ママと正面で向き合う形で座布団に腰を下ろす。


「娘の様子を見に来ただけぇ」

「そんな酔っ払てるのに?」

「酔っ払ってるからなによぉ」

「いや、アルコール入った状態で娘のことまで頭回るかなって。ちょっと疑問に思った」


口では言わないが正直、ママが私のことを心配してくれるのはちょっぴり嬉しい。でも、なんか不自然というか。ただ私の様子を見に来ているだけには思えない。もっと他に言いたいことがあるのではないかと勘ぐる


「ホントに様子見に来ただけ。ていうか、今まで半年に一回しか見に来なかったのがおかしい」


ガラスコップ越しに見えたママの寂しそうな笑顔。今にも消え入りそうな儚さを感じた。そう云えば、千夏が失踪した直後も同じ表情をしていた。

胸がズキズキと痛む。


「ママは元から放任主義なんだから、今更じゃん」

「放任主義でも育児放棄した覚えはないわ。今まで娘のことを心配しなかった日なんてない。昔も今も、セラのことを愛してる。これからも愛し続ける——。ずっと、ずっとね」


そう言ってまた寂しそうに笑う。最近見せなかった表情をこの数十秒の間に二回見せた。明らかにおかしい。

机に突っ伏したママを値踏みするようにマジマジと観察する。そしたら——、


「ママ、手首見せて」

「急に何よぉ~」

「早く」


服の袖からはみ出た真っ白な手首。薄っすら浮き出る青い血管の他にあってはいけないものが見えた気がする。

半ば強引にママの腕を引っ張り袖をたくし上げる。


「なに、これ——」


手首には青い手形の痣。手形の大きさから見て恐らく痣の原因は自分ではなく他の男性だろう。強く握られたのか酷く鬱血している。

私は衝撃のあまり言葉を失う。


「ヤメテ、触らないで……」

「えぇ……?」

「触らないで‼」


悲鳴に似た拒絶反応。突然立ち上がったママは私の肩を押して、無理やり距離を取る。押された反動で私はバランスを崩し、壁まで飛ばされる。壁に飛ばされた際、思いっ切り頭を打ち付けた。


「セラ⁉」


激痛が走る後頭部を抑えてママの方を見る。娘を突き飛ばした衝撃で酔いが醒めたのか、表情が強張っている。顔中から玉の汗が滲み出て、瞳孔が激しく荒ぶる。あんぐり口を開けたまま、力なくその場に崩れ落ちる。


「ゴメンなさい。気が動転して、思わず——」


突き飛ばされてから数十秒後。ママはもう一度立ち上がり、私の元に駆け寄る。


「ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメン、ゴメンね——」


床に座り込む私の頭を両腕で優しく包み込み、たんこぶが出来た患部をさする。「ゴメンね」という言葉が鼓膜をいやに刺激し、頭の中で反芻する。最近、やけに謝られることが多くなった。


「頭、大丈夫? 怪我してない? 一応、病院に行った方が——」

「ママ、一旦落ち着いて。小っちゃいたんこぶが出来ただけだから」

「それでも脳に障害があったら——」

「心配し過ぎだっつーの」


久しぶりに感じた母親の温もり。荒んでいた心が一瞬にして浄化された気分。

このままママの腕の中にいたら、ダメになりそう。正直になれない私は呆れた感じでママの腕の中から抜け出す。


「私の心配よりママの方が心配。手首にある痣はなに?」

「これは——」


気まずそうに視線を逸らされた。なるべく痣を見せないように手首を後ろに隠してしまう。


「セラには関係ない」

「関係なくない。私たちは血のつながった家族でしょ。隠し事はやめて」

「そういうけど、セラだってママに隠していることがいっぱいあるじゃない!」

「うっ……」


図星を突かれた。言われてみれば、私が自棄になって男遊びに目覚めた時からママとまともに話さなくなった。酔っ払いに真面目な話をしても無駄だと諦めていたし、それよりもママのストレスをこれ以上増やしたくなかった。私の学費や仕送りのために汗水垂らして働いている人に負荷がかかるようなことを言いたくなかった。


「大人になると他人には言えないことがたくさん増えるものよ……」


そう言い残してママはリビングを後にする。今日は泊まらず帰るらしい。


「本当の家族ってなんだろうね、セラ——」


泣く一歩手前の複雑な表情で玄関のドアをそっと閉める。今晩はママの何気ない表情と動作がやたらと目に入った。ママの悲しそうな顔が頭から離れる気配がない。今日はまともに眠れなさそうだ。






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