第9話

恐る恐る玄関の扉を開ける。勿論、ドアのチェーンは忘れずに。


「より戻す以前にアンタは誰?」

「半年前まで付き合ってた亀井」

「カメイ、かめい、かめい、亀井——。ああ、あの亀井ね」


頭の中で歴代の彼氏の顔を思い出し、目の前のチャラ男と照合する。わりとすぐに誰か分かった。忘れっぽい私からしたら珍しい。


「セラちゃん、オレともう一回付き合ってバラ色の夏を過ごそう」

「そもそも私はセラちゃんという人物ではありません。他人の空似じゃないですか。失礼します——」

「ちょいちょい、このタイミングで他人のフリは流石に無理あるよ」


ドアを閉めようとするとちょうど隙間にチャラ男の足が入る。上手く閉めれない。


「アンタとより戻す気なんてさらさらないんだけど」

「もう、相変わらず冷たいな。ワンナイトやった仲だろ。どうせ尻軽なんだからさ、もう一発お願い!」

「ヤリモクかよ」


コイツ、本音が出るの早いな。チャラ男は頭をペコペコと浅く下げて懇願する。スケベそうな顔が腹立たしい。


「嫌よ。アンタと一生、セフレになりたくない。だって、下手クソじゃん」

「下手クソ⁉」


下手くそと言われた瞬間、チャラ男の細目が開く。私の発言が気に食わなかったようでスケベそうな顔が一瞬にして不機嫌な顔に変わる。


「オレは下手クソじゃない。経験人数舐めんなよ。女、百人抱いてんだぞ。百人‼」

「そうやって昔から自慢してるけどさ、経験人数が多い男ほど下手クソなんよ。いつもワンナイトが前提だから平気で乱暴なことしちゃう。その点、一人の女しか愛したことがない男は魅力的。質の高いセックスが堪能できる」

「それはどこ情報だ。くだらん」

「私の実体験ですが、なにか?」

「ぐぬぬ……」


悔しそうに奥歯を嚙み締める。漫画みたいに「ぐぬぬ……」とか言っちゃう辺りイタい男なのは変わりない。サッサと別れて正解だった。


「だいたい、私は性根が腐ってるヤツと二回目はヤりたくありません」

「はぁ⁉ オレはどの女にも優しいジェントルマンだ」

「私のことを陰で変なアダ名で呼んでたのはどこの誰ですかぁ~?」

「うっ……」

「確か“口下手”だったけ。アソコを咥えるのも下手クソだし、会話も下手クソだからって。ちょっと上手いじゃん」

「あ、ありがとう……」

「褒めてねぇよ!」


なぜ、照れる? 気持ち悪い。


「そのアダ名のせいで暫く学内で笑われてたの知ってるでしょ?」

「あれは自業自得だろ。オレはただ事実を述べただけだ」

「はっ、事実ね……」


チャラ男がつけたアダ名は瞬く間に大学内に広がり、最近では歩くだけで指を指されて笑われるようになった。羞恥心よりも先に鬱陶しいが勝つ。クスクスと馬鹿にする笑い声がいつも耳障りだ。

ま、いくら文句を吐いても仕方ない。確かにこんな男と付き合った私にも否がある。お互いノリで付き合ったとはいえ、コイツの本性をすぐに見抜けなかったのは愚かだ。


「——セラちゃん。朝から騒がしいよぉ。近所迷惑になる」


玄関でワーワー騒いでいると、ぐっすり寝ていた千夏が起きてしまった。腫れぼったい瞼を眠そうに擦り、リビングから顔を出す。朝と勘違いしているところがちょっと可愛い。


「今の声、誰?」

「友達」


チャラ男は千夏の声を聞いてより不機嫌になる。こめかみにシワを作って不細工と化す。


「ん? その男は誰?」


千夏のぼやけた視界がチャラ男を捉える。眉をひそめ、遠くから値踏みするような眼差しをチャラ男に向ける。


「私の元カレ。ストーカーしてきやがった」

「ストーカーしてねぇよ。たまたまオマエの家の前を通ってそのついでに寄ったんだよ」

「あれれ~、そもそもアンタに住所教えたことないんですが——?」

「うぐっ……」

「おっかしな~」


基本、私が認めた人間以外は家に呼ばないようにしている。後々、面倒なことになるからだ。愛の重いヤツに尾行されたり最悪の場合、殺人事件まで発展する可能性がある。


「実は最近さ、ずっと視線感じてたんだよね。それもねっとりとした視線」

「ちがう……」

「電柱の後ろでジッと——」

「マジで違う。オレじゃない‼」

「その動揺っぷり。絶対そうだ」

「クソッ‼」


隙間に挟まったチャラ男の足が消える。さながら雑魚敵のように逃げて行った。


「はぁ……」


昼間から重い溜息。後頭部を搔きむしりながら、玄関のドアを閉める。


「おっとと——?」


ドアを閉めたと同時に背中に何かがぶつかる衝撃。その衝撃で前に転びそうになるが、鍛えられた体幹で耐え切る。


「セラちゃん‼」

「は、はいっ⁉」

「一体、どういうこと?」

「どういうこととは——?」


背後を振り返ると、そこにはリスのように頬をパンパンに膨らませた千夏がへばりついていた。

たわわな胸が背中を圧迫し、ドギマギする。

「あんなチャラそうな人がセラちゃんの元カレなんて有り得ない。いつも真面目でカッコイイ、セラちゃんがあんな、あんな——」

「ちょっと一回、落ち着いて。ほら、深呼吸」

「落ち着けないよ。すぐに親子会議だ‼」

「親子会議とは——?」


いつの間に私は千夏の娘になったんだ? 

腕をガシッと掴まれて、そのままズルズルとリビングの方へ引きずられた。


■■■


「そこに座りなさい」

「はいはい——」


娘の非行を咎める父親のような威厳で床にあった座布団の上に正座する。


「まず、あのチャラ男とはいつまで付き合ってたの?」

「半年前。付き合った期間は一ヶ月で短かったよ」

「そういうエッチなことも一応——」

「うん。五回ぐらいヤった」

「あああああああああああっ——‼」


頭を抱えて悲痛の雄叫びを上げる。なんか半泣き状態だ。



「処女ではないと聞いてはいたけど、まさかここまでだったとは——」


膝から崩れ落ちてゴミが散乱した床で項垂れる。その姿を見ていると何故か、申し訳ない気持ちが募る。


「○○ちゃんのスケベ、色ボケ、尻軽女、痴女、淫乱女、プレイガール。もう知らない‼」

「酷い言われ様だな」


床を叩きつけて低レベルの雑言を列挙する千夏。このままでは騒音で下の階から苦情が来る。一先ず、取り乱した彼女を宥める。


「ボクの知ってるセラちゃんはそんな破廉恥で下品なことをする人じゃなかった。男とか恋愛とか無縁だったはず」

「ま、そりゃあ、あの時は中学生だったからね。まだ純粋だったよ」

「うぅ~、一体どこで血迷ったんだ……」


背中をさすって必死に宥めるものの状況は変わらず。千夏は呻き声を上げて転がり回る。


「セラちゃん‼」

「はい、なんでしょう」


転がり回っていたのも束の間。正面で向き合う形で上体を起こし、力強く私の名前を呼ぶ。


「指切りげんまんしよ」

「え、ええっ……」

「しよっ‼」


千夏と私の小指がゆっくり絡め合う。


「これから先、ボク以外の子とそういうことはしない。約束して」

「は?」

「約束して‼」

「えぇ……」


凄い剣幕で私の顔をキリッと睨む。もしかして、あのチャラ男に嫉妬しているのか


「わかった。約束する」

「約束だよ」

「うん。約束、約束——」


絡められた小指が中々離れない。千夏の小指の力が強過ぎてこっちの小指が鬱血しそう。結局、小指がやんわり青くなるまで離してもらえなかった。時間にして約二分間。





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