第8話

只今の時刻、朝の七時。なんと私は千夏とオールした。千夏が急に私の家に行きたいと駄々をこね始めたのでお望み通り、お招きしたのだ。家に帰る道中でお酒も大量に購入。リビングで何をするわけでもなく朝までダラダラと飲み明かす。


「千夏?」

「ん?」

「あの時のこと覚えてる?」

「どの時?」

「中二の夏。地区大会の一週間前。私を助けてくれたあの日だよ」


二人共酔い過ぎて呂律が回ってない。服をだらしなく着崩して、中学校時代の思い出話に花を咲かせる。


「そんなことあったけ?」

「あった、あった。てか、あれのせいで私の悩みの種が一つ増えたんだから」

「おっと、それは申し訳ない」

「なんか口調おかしいぞ」


二人でガハハハッと下品に笑う。でもこれは笑い話にできるような内容ではない。ほんとにあの日から私は悩み続けた。翌日から千夏を見るたびに彼女が初めて見せたあの笑顔を思い出してしんどくなる。それが毎日毎日続いた。


「千夏、理由訊いてもいい?」

「なんの?」

「私を助けた理由に決まってるでしょ」


千夏が机に突っ伏したまま、動きを止める。私より先に酔いつぶれそうだ。


「なんだろうね。セラちゃんが可愛いかったから」

「ふざけずにちゃんと答えて!!」

「うふふっ。顔が怖いよ。ほら、笑って笑って」

「うぐっ⁉」


お酒で熱くなった千夏の右手が私の頬をつまみ、グニグニしてくる。硬くなった表情筋を優しく解してくれた。


「多分、貴方のことが前から好きだったんだと思う」

「それってどういうこと?」

「単純に一目惚れ。入部した当初からセラちゃんのことは目で追ってたんだ」


千夏の整った顔が急接近。お互いの息遣いが生々しく聞こえてドキッとする。


「あの歳で女子と群れず、自分の意志で音楽の世界に飛び込んできた一匹狼。常に誰にしても気丈に振る舞い、決して先輩の言いなりにはならなかった——」

「そ、それは違う‼」


当時の私のことを滔々と語り始めたが、我慢できずに途中で止める。千夏は勘違いしている。それは本当の私ではない。


「私は千夏が思ってるような強い人間じゃない。別に自ら女子に群れないようにしてたわけでもないし、気丈に振る舞っていたのもあれは見栄だ」


恥ずかしながら友達は人並みに欲しかった。だけどコミュ力が圧倒的に欠けていて、友達作りに失敗した。みんなからバカにされないように必死に見栄を張ってきた。少しでも弱いところを見せたらダメだと意識してやったことだ。


「それに先輩の言いなりにはならなかった、はウソよ」


言いなりになっていなかったら、私は先輩に連れて行かれる千夏を助けていただろう。でも、それが出来なかったということは所詮、そこまでの人間だったのだ。どんなに恨んでも悲しんでも、先輩が引退する最後の最後まで一歩も踏み出せなかった。我ながらホント呆れる。


「セラ。こっち見て」

「えっ……」


千夏が初めて自分の名前を呼び捨てした。千夏から顔を背けようとする私の額にデコピンをお見舞いする。


「ウソなんかじゃない。セラは最後まで先輩の言いなりにはならなかった。先輩の悪意に惑わされず、ずっとボクの内面を見てくれた」


そう言って千夏は優しく微笑み、私の前髪に触れる。


「ボクが虐められている姿をたった一人、悲しそうな目で睨んでいた。他の先輩や後輩は笑っていたのに」

「そんなの普通の反応でしょ」

「でも、当時のボクはそれだけでも嬉しかった。今でも感謝してる。ちゃんと悲しんで怒ってくれる人がまだいるんだって――」


あれは笑う方がおかしい。正常な人は私と同じ反応をするはずだ。その中でも勇気がある人は躊躇なく手を差し伸べただろう。千夏に感謝されるようなことは何もしてない。


「だからあの時、セラちゃんを助けたのはその恩返しでもあり、これからもボクを裏切らないでねっていう約束でもあったんだよ」


手櫛で髪全体を整えてくれたあと、今度は首筋に触れる。なんとなく艶めかし手つきで撫でてきた。


「ありがとう。部活を最後まで続けられたのは全部、貴方のおかげよ」

「——バカッ! アンタ酔い過ぎ。変なこと口走らないで‼」


酒気を帯びた千夏を軽く突き飛ばす。突き飛ばされた本人はケラケラ笑う。暫くしてそのまま寝息を立てて爆睡。私はその辺にあった薄い毛布を被せてやる。


「やっば……」


千夏の様子もおかしかったが、私も大概だ。顔が熱すぎて死にそう。千夏の顔を見るたびに心臓が不規則に脈打つ。そのまま心臓発作で倒れそうなぐらい動悸が酷い。普段から代謝が良いとはいえ、背中から湧く汗の量が異常だ。薄着なのに服がべちゃべちゃ。一体、これはなんなの?


「お酒のせい、かな……?」


顔だけでなく目頭も熱い。潤んだ瞳から無色透明な雫がポツリ、ポツリと滴り落ちる。


「おやすみ、千夏……」


泣き顔を隠すように机に項垂れる。そのまま私は眠りについた。


■■■


正午過ぎ——。近くの公園で遊ぶ子ども達の声で目を覚ます。

すぐ隣では毛布をかけられたまま眠りこける千夏の姿。背中を丸めて静かに寝息を立てている。不覚にも可愛いと思ってしまった。彼女の頬に手を伸ばし、つついてやる。全然起きる気配がない。


『ピーンポーン――』


突然、インターフォンが鳴る。荷物は頼んでない。集金か宗教勧誘のどれか。インターフォンのカメラで訪問者の顔を確認する。


「どちら様ですか?」

「どちら様ですかじゃねぇだろ。オレだよ、オレ!」

「オレオレ詐欺は帰ってください」

「ちゃうわ!!」


カメラに映る強面の男。眉をピクピク動かして声を張り上げる。


「なあ、セラ。俺たち、寄り戻さねぇか――」





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